○離婚した夫婦の相手方元妻が養育費増額調停の申立てをし、申立人元夫は出頭しなかったが、相手方の収入状況、申立人の年齢等から推察される稼働能力等を考慮し、令和3年4月以降支払分の二男の養育費に関する調停条項を変更する旨の調停に代わる審判がされ、異議なく確定しました。これに対し、裁判所が発した基本事件の債権差押命令により給与債権等の差押えを受けた申立人が、民事執行法153条1項に基づき、本件差押命令の取消しを求めました。
○この事案で、本件においては「特段の事情」があり、生活保護のことを理由に差押えをすべて取り消すことは相当でなく、申立人は生活保護法による扶助を受けていることを踏まえ、本件差押命令に係る差押え(差押禁止債権の範囲2分の1)をすべて維持することはできず、申立人の生活状況、相手方の収入状況等を踏まえ、差押禁止債権の範囲を5分の4に変更する(差押可能部分である5分の1を超える差押部分を取り消す)のが相当とした令和6年8月23日大阪地裁決定(判タ1529号188頁、判時2629号99頁)全文を紹介します。
○さらに、本件では申立人が支払の一時禁止命令の発令を希望せず、これを相当とする事情も認められず、一時禁止命令の発令はされなかったため、相手方は本件差押命令に基づき、令和6年8月分の給与等(同月9日支払分)まで取り立て済みなので、それまでの差押えの取消しを求める申立ては、その利益を欠き、不適法になったとして、本件申立てのうち、令和6年8月10日までに支払期の到来する債権の差押えに係る部分を却下し、裁判所が基本事件において令和5年9月13日に発した債権差押命令の差押債権を、令和6年9月支払分以降と変更しました。
○
民事執行法第153条(差押禁止債権の範囲の変更)
執行裁判所は、申立てにより、債務者及び債権者の生活の状況その他の事情を考慮して、差押命令の全部若しくは一部を取り消し、又は前条の規定により差し押さえてはならない債権の部分について差押命令を発することができる。
2 事情の変更があつたときは、執行裁判所は、申立てにより、前項の規定により差押命令が取り消された債権を差し押さえ、又は同項の規定による差押命令の全部若しくは一部を取り消すことができる。
*********************************************
主 文
1 本件申立てのうち,令和6年8月10日までに支払期の到来する債権の差押えに係る部分を却下する。
2 当裁判所が基本事件において令和5年9月13日に発した債権差押命令の差押債権を,令和6年9月支払分以降,別紙差押債権目録1から別紙差押債権目録2に変更する。
3 申立費用は各自の負担とする。
理 由
1 本件は,当裁判所が令和5年9月13日に発した基本事件の債権差押命令(以下「本件差押命令」という。)により給与債権等の差押えを受けた申立人が,民事執行法153条1項に基づき,本件差押命令の取消しを求める事案である。
2 一件記録(債権差押命令申立事件の記録を含む。)及び手続の全趣旨によれば次の各事実が認められる。
(1)申立人と相手方は婚姻し,両者の間には長女・長男・二男がいたところ,平成24年11月,両者の間で,当分の間別居し,申立人は相手方に対し,婚姻費用の分担金として,同年12月から離婚等するまでの間,月額10万円を支払うなどとの調停が成立した。
(2)相手方は,平成25年,上記(1)の調停に係る調停調書正本に基づき,申立人の給与債権等について差押命令の申立てをし,同年8月,差押命令が発せられた(第三債務者は本件差押命令と異なる。)。そして,相手方は,この差押命令に基づき合計10万2509円を取り立て,その余の申立てを取り下げた。
(3)申立人と相手方は,平成25年12月,調停離婚し,子3名の親権者を相手方と定め,申立人は相手方に対し,その養育費として,同月から子らがそれぞれ満20歳に達する月まで,長女につき月額6000円,長男及び二男につき各月額7000円を支払うなどとの調停が成立した。なお,この調停の条項では,申立人が定職に就いた場合は,相手方にその旨連絡し,養育費の額について協議することとされた。
(4)その後,婚姻費用の残額や養育費の支払がほとんどされないままであったところ,長女及び長男は満20歳に達し,二男は令和3年4月に大学に入学することになった。なお,それまでの間,長女が指定難病と診断され,相手方が居住していた府営住宅が全焼損となるという出来事もあった。
以上の経緯を経て,相手方は養育費増額調停の申立てをし,申立人は出頭しなかったが,相手方の収入状況,申立人の年齢等から推察される稼働能力等を考慮し,令和3年4月以降支払分の二男の養育費に関する調停条項を下記のとおり変更する旨の調停に代わる審判がされ,異議なく確定した。
記
申立人は相手方に対し,二男の養育費として,令和3年4月から令和7月3月(大学を卒業する月)まで,月額5万円を支払う。
(5)申立人は,令和2年8月から生活保護法による扶助を受けているが,上記(4)の調停手続においてその事実を主張等せず,相手方は本件申立てをするまでその事実を知らなかった。
なお,相手方は本件差押命令に基づき申立人の給与等(毎月10日払)から取立てをしているが,申立人にはその額(差押分)に相当する金額の生活保護費が支払われている(申立人はこれを一時的な措置と主張している。)。
(6)相手方は正職員として勤務しており,相手方には月額30万円を超える収入がある(ただし,手取額は同額を下回ることもある。)。
相手方が親権者となった長女は既に結婚して独立しており,長男も会社員として勤務し,一人暮らしをしている。
3 前記認定事実を踏まえると,申立人は生活保護法による扶助を受けており,一件記録によれば,法律上算定される本来の生活保護費から,申立人に対して勤務先から支払われる給与等を控除した金額に相当する生活保護費が支払われていることがうかがわれる。
このことを踏まえると,申立人の勤務先から支払われる給与等は,生活保護費と合わせて最低限の生活を営むのに必要なものであり,実質的に生活保護費に相当するものということができる。そうすると,このような給与等に係る債権を差し押さえる旨の差押命令は,特段の事情のない限り,民事執行法153条1項によりすべて取り消されるべきである。
なお,前記認定のとおり,現在は相手方による差押分に相当する金額が生活保護費として支払われているが,生活保護費の性質上,生活保護費によって受給者の負債を返済することは予定されていないと考えられるから,現在の生活保護費の算定方法ないし生活保護費の支給の在り方は,本件差押命令が発せられたことを受けた緊急的ないし一時的な対応にすぎないと考えられ,申立人もその旨述べているところである。相手方の主張は上記生活保護法の本来の解釈・運用に反し,採用できない。
4 以下,本件で上記「特段の事情」があるかを検討する。
まず,本件差押命令における請求債権は養育費請求権等であり,確実かつ迅速に支払われる必要性が高いものであり,その性質に照らせば,義務者である申立人は,その支払に向けて可能な範囲で努力すべきものである(なお,現在の家庭裁判所の実務では,生活保護受給者も一定の範囲で養育費の支払義務を負うとされることが多い。)。
生活保護法による扶助を受ける中での努力には限りがあると思われるが,本件申立ての際に提出された家計収支表によると,申立人は毎月,給与等及び生活保護費を,嗜好品代に1万6000円程度,娯楽費に6000円~1万9000円程度充てており,ある程度嗜好品や娯楽を控えることによって,継続的に養育費の支払に充てる金額を捻出することは十分可能と認められる(ただし,その内訳が不明であること,家計を維持するのにある程度の余裕は必要であること等を踏まえると,その全額を相手方への支払に充てるべきとまでいうことはできない。)。そうすると,その限度で本件差押命令に係る差押えを維持しても,生活保護法の趣旨・目的とは抵触しないと考えられる。
また,差押禁止債権の範囲変更の判断に当たっては,債務者(義務者)の誠実性等も考慮されるべきところ,債務者である申立人は,調停で定められた養育費等を長年にわたってほとんど支払っておらず,令和3年の調停の際を含め,平成25年の調停で決められた就職状況の連絡もしていなかったことが認められる。また,申立人は令和3年の調停に出頭せず,生活保護のことは考慮されない内容の調停に代わる審判がされたのに何ら異議を申し立てず,二男の養育費を月5万円に増額する旨の審判が確定したのである。
以上の経緯等を踏まえると、申立人にはすべての請求債権との関係で不誠実性が認められ,権利者である相手方が養育費の支払について抱いている期待は保護に値するものといえる。相手方には前記認定のとおり,それ相応の収入があるが,厳しい状況の中で子らを監護養育し続けてきたのであり,以上の経緯等を踏まえると,申立人の生活保護のことを理由に,本件差押命令に係る差押えをすべて取り消すことは公平に反する事態を招くことになる。
以上の諸事情を踏まえると,本件においては上記3で判示した「特段の事情」があり,生活保護のことを理由に差押えをすべて取り消すことは相当でない。とはいえ,申立人は生活保護法による扶助を受けていることを踏まえると,本件差押命令に係る差押え(差押禁止債権の範囲2分の1)をすべて維持することはできず,前記認定の申立人の生活状況,相手方の収入状況等を踏まえると,差押禁止債権の範囲を5分の4に変更する(差押可能部分である5分の1を超える差押部分を取り消す)のが相当である(なお,今後は差押分に相当する金額の生活保護費が支給されなくなる可能性があるが,その場合,申立人は勤務先から支払われる給与等及び支給される生活保護費によって生活することになる。)。
5 なお,本件では申立人が支払の一時禁止命令の発令を希望せず,これを相当とする事情も認められなかったことから,一時禁止命令の発令はされなかった。そのため,相手方は本件差押命令に基づき,令和6年8月分の給与等(同月9日支払分)まで取立てたところであり,それまでの差押えの取消しを求める申立ては,その利益を欠き,不適法になったというべきである。
6 よって,主文のとおり決定し(当然であるが,差押債権目録2記載の差押債権額は,現在までの取立てによって減少している。),事案に鑑み,手続費用は各自の負担とすることとする。なお,本決定は差押禁止債権の範囲を変更するものにすぎず,申立人が支払うべき金額(請求債権額)を減らすものではない。また,申立人が生活保護法による扶助を受けなくなった場合,相手方は民事執行法153条2項に基づき差押禁止債権の範囲を減らす旨の申立てをすることもできる。
(裁判官 野上誠一)
別紙 差押債権目録1,2〈省略〉
以上:4,549文字
Page Top