令和 4年 8月15日(月):初稿 |
○「出資法・利息制限法等令和4年現在の定めと昭和58年以降改正経緯等覚書」の続きで、貸金業規制法(旧貸金業法)と現行貸金業法についての覚書です。 先ず、出資法の上限金利推移は以下の通りと記載していました。 昭和58年11月1日以前 109.5% 昭和58年11月1日~昭和61年10月31日 73% 昭和61年11月1日~平成3年10月31日 54.75% 平成3年11月1日~平成12年5月31日 40.004% 平成12年6月1日~平成22年6月17日 29.2% 平成22年6月18日~ 20% 以下、「貸金業法の変遷①(昭和58年「貸金業の規制等に関する法律」=「サラ金規制法」の始まりから消費者金融隆盛の時代)」と言う記事を参照した備忘録です。 ○昭和58年11月に貸金業者の登録制度、取立規制、書面交付義務、みなし弁済などを柱にした「貸金業の規制等に関する法律」(貸金業規制法・旧貸金業法)が議員立法で制定され、あわせて、出資法も改正され、貸金業者の上限金利は段階的に109.5%から73%になりました。しかし、この旧貸金業法の成立により、昭和60年代から平成の前半まで、消費者金融業界の急成長の時期となり、自動契約機の導入や郊外店舗の拡大、それまで深夜帯に限られていた消費者金融のテレビコマーシャルがゴールデンタイムでも放映され、「女性専用ダイヤル」の設置、女性社員の増加など、消費者金融は業界総出で、明るい消費者金融業界のイメージを作り上げていきました。 ○平成バブル経済崩壊は、気軽に借入が出来る消費者金融の残高拡大に寄与し、さらに消費者金融各社同士の競争激化で、消費者の多重債務は膨らんでいき、融資残高を拡大し業績を向上させた消費者金融会社の中では株式上場・公開する企業も出てきます。アコム、プロミス、アイフル、武富士の消費者金融大手4社は、それぞれ1兆円以上の融資残高を持つようになっていきました。 ○商工ローンと言われた昭和45年設立「日栄」(創業者松田一男社長)、昭和53年「商工ファンド」(後にSFCG、創業者大島憲伸氏)が、出資法上限に近い(グレーゾーン金利)高金利ながら、スピード融資の手軽さと、圧倒的な営業力で、銀行の貸し渋りや貸はがしにより資金繰りの悪化した中小企業は、商工ローンを利用することで需要は拡大し、平成に入ると両社とも上場企業になりますが、特に連帯保証人に対する厳しい取立が問題になり、平成11・12年旧貸金業改正で上限金利を40.004%に制限する等規制が強化されました。 ○平成10年頃社会問題となったのが、ヤミ金融といわれる貸金業の無登録営業、違法な高金利による貸付け、そしてヤミ金融の悪質な取立てによる被害で、平成15年にヤミ金対策の旧貸金業法改正が行われ、登録審査の強化、登録要件の厳格化、無登録営業者に対する取締り強化、無登録業者の広告・勧誘を禁止し罰則も適用、無登録営業そのものについても罰則を強化され、上限金利も29.2%まで下げられ、さらに同時期に、登録貸金業者、無登録のヤミ金融業者が、高齢者等から年金証書や預金通帳等を預かって国民年金や厚生年金、共済年金等を担保(受給権)にとり、「年金担保融資」の問題が多発し、違法年金担保融資に対する規制強化を目的とした旧貸金業法改正がされました。 ○平成18年1月13日最高裁判決でみなし弁済の適用を実質的に否定され、平成18年12月に,みなし弁済の撤廃を含む貸金業規制法の抜本的な改正が行われ、法律の名称も「貸金業の規制等に関する法律」から「貸金業法」と改められ、 ・貸金業参入に必要な財産的基礎要件を純資産額5000万円以上に引上げ ・取立て行為の規制 ・過剰貸付けの抑制(総量規制)、年収等の3分の1を超える貸付けを原則として禁止 ・日本貸金業協会の創設、指定信用情報機関制度の創設 ・貸金業務取扱主任者資格制度の創設 ・グレーゾーン金利の廃止、みなし弁済制度の廃止 ・出資法も改正され、上限金利が年29.2%から20.0%へ引き下げ(貸金業者) 等が規定され、施行は公布日を第一次施行、以降第二次(H19年1月)、第三次(H19年12月)、第四次(H21年6月)、第五次(H22年6月)と段階的に行われ、平成H22年6月に完全施行となりました。 ○貸金業法の完全施行(平成22年6月)以降に貸金業者の貸付は、金利が20%を超えていると出資法違反で刑事罰が課せられ、利息制限法と出資法の上限金利の間で貸付けると貸金業法の法令違反で行政処分の対象になり、グレーゾーン金利は完全に廃止され、貸金業者は、利息制限法に基づき、貸付額に応じて15%~20%の上限金利(10万円未満20%、100万円未満18%、100万円以上15%)での貸付となりました。 以上:1,981文字
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