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”相続させる”は”遺産分割方法の指定”が原則とした高裁判決紹介

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令和 4年 3月 4日(金):初稿
○「”相続させる”は”遺産分割方法の指定”が原則とした地裁判決紹介」の続きで、その控訴審昭和63年7月11日東京高裁判決(判時1384号34頁、判タ675号266頁)を紹介します。

○原審東京地裁判決は、「相続させる」について、遺産分割方法の指定と解するのが相当としながら、未だ遺産分割の行われていない本件では、原告らは法定相続分の範囲で共有持分権を有するにすぎないとしていました。

○これに対し東京高裁判決は、「相続させる」について、遺産分割方法の指定と解した上で、指定された相続人が、この遺言の趣旨を受け容れる旨の意思を他の共同相続人に対し明確に表明した時点で指定に係る遺産の分割協議が成立し、右遺産を取得するとして、控訴人らは法定相続分の範囲で共有持分権を有するにすぎないとした原判決を変更しました。

○この考えをさらに進めたのが平成3年4月19日最高裁判決で、「相続させる」について、遺産分割方法の指定と解し、原則として、何らの行為を要せずして、被相続人の死亡の時(遺言の効力の生じた時)に直ちに当該遺産が当該相続人に相続により承継されるとしました。

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主   文
一 昭和62年(ネ)第3457号事件について
第一審原告D、同Eの控訴に基づき、原判決主文第1、3、4項を次のとおり変更する。
1 第一審原告Dが原判決添付別紙物件目録一及び二記載の土地につき所有権を有し、同三ないし六記載の土地につき2分の1の共有持分権を有することを確認する。
2 第一審原告Eが同目録八記載の土地につき、4分の1をこえて2分の1の共有持分権を有することを確認する。
3 第一審原告Dのその余の請求を棄却する。
二 昭和62年(ネ)第3488号事件について
第一審被告Cの控訴を棄却する。
三 昭和62年(ネ)第3533号事件について
第一審被告Bの控訴を棄却する。
四 訴訟の総費用は、第1、2審を通じ、第一審被告らの負担とする。

事   実


         (中略)



理   由
一 請求原因1、2の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二 請求原因3の事実のうち、本件一、二の土地が、もと訴外細淵卓造の、三ないし六の土地が、もと訴外室井貞七郎の、七の土地が、もと訴外石田正男の、八の土地がもと訴外森田富一の各所有であったことについては、当事者間に争いがない。

成立に争いがない甲第7ないし第14号証、甲第16号証、第一審原告D本人尋問(原審)の結果により成立が認められる甲第15、甲第23号証、第一審原告D本人尋問(原、当審)の結果及び弁論の全趣旨によれば、本件各土地は、いずれも第一審原告ら主張の日に、右の各前所有者からAに売買を原因として所有権移転登記がなされていること、Aは、右日時頃台東不動産株式会社の社長として相応の収入を得ていたこと、第一審被告Bは昭和54年7月13日付で自己の公正証書遺言を作成しているが、その中では本件各土地が自己所有であるとの主張の形跡はどこにもなく、むしろ、Bは、右公正証書中で遺贈する旨明示した財産以外の一切の財産をAに単独相続させる旨の意思を明示していること、昭和55年12月25日、第一審被告Bは、B名義の一切の財産をAに遺贈する旨の自筆証書遺言を作成していること、第一審被告Bは、昭和55年頃は未だ精神状態は健全でAと老後のことを話合うような状態であったこと、を夫々認めることができ、右認定の各事実を総合すると、A名義の本件土地の売買がなされたこと、そしてその際、売買代金については少なくともAがその一部を支出し、残部については夫Bの援助を受けたかも知れないが、そうであるとしても実質上の取得者もAとする旨の了解の下に右援助を受けたものであることを推認することができ、従って、Aが前記の各土地の所有権を売買によって取得した事実を認めることができる。

これに反して、当審証人戸田睦夫、同勲の各証言によれば、本件各土地を買ったのは第一審被告Bであり、売買代金も全て同人が支払ったもので、本件一ないし八の土地の真実の所有者は第一審被告Bであるが、便宜上、或いは差押えを免れる目的等のため妻であるAの名義にしていたのに過ぎないという趣旨の供述が存在する。

しかし、右両証人の各証言及び第一審原告D本人尋問(原、当審)の結果によれば、第一審被告Bは、精神に異常を来たす以前、Aと何事もよく相談して対処していたが、本件土地が自己所有である旨主張したことはないこと、前認定のとおりの内容の第一審被告Bの嘱託による公正証書遺言(甲第16号証)、自筆証書遺言(甲第15号証)が存在すること、前記戸田証人は第一審被告Bの愛人の子であり、証人は第一審被告Cの夫であって、いずれも、相続関係においては、第一審原告らと直接又は間接に利害の対立する敵性証人であること、戸田証人は、自己名義で取得した土地につき第一審被告Bの出捐によるものであると供述しながらこれを自己の所有物として売却していること、等の各事実が認められることを考慮すると、右両証人の前記供述は直ちには措信し難く、他に右の認定を左右する証拠はない。

そうすると、本件一ないし八の各土地は、いずれも、Aの遺産であると認めるのが相当である。

三 請求原因4の事実について検討する。第一審被告Bとの間においては成立に争いがなく、第一審被告Cとの間においては第一審原告D本人尋問(原審)の結果により成立が認められる甲第1号証の3、4、6、第一審原告D本人尋問(原審)の結果により成立が認められる甲第19号証の1ないし3、甲第22号証の2、3、第一審原告D本人尋問(原、当審)の結果によれば、Aは、その生前、

1 請求原因4(一)記載の証書による遺言、即ち、
本件三ないし六の土地につき「右は一家の相続とする」との遺言(甲第1号証の3)

2 同4(二)記載の証書による遺言、即ち、
本件1、2の土地につき「右はの相続とする」との遺言(甲第1号証の4)

3 同4(三)記載の証書による遺言、即ち、
本件七の土地につき「右はFに譲る」との遺言(甲第1号証の6)

4 同4(四)記載の証書による遺言、即ち、
本件八の土地の持分のうちAの持分4分の1を「に相続させて下さい」との遺言(甲第22号証の2)
の各遺言をしたことが認められる。

ところで、右の各遺言の中には財産の特定、及び財産を取得させる者の特定について必ずしも明確であるとはいえない点があるので、この点について検討する。

まず、甲第1号証の3の「一家」、甲第1号証の4の「」及び甲第22号証の2の「」について考える。前掲各証拠によれば、Aはそれぞれの娘を意味するときに、その婚家先の姓を使っていたことを認めることができ、それによると、「」は「D」を、「」は「E」をそれぞれ指していることは明らかである。

次に、「一家」について考えるに、この言葉だけでは誰を指すか特定できないという考え方もあり得るが、右の文言の言葉としての意味と第一審原告D本人尋問(当審)の結果により認められる右土地をD側に相続させたいというAの意思とからみると、Aの真意を探求することは可能であると考える。この場合、右文言によって意味される可能性のある者は、(一)相続人であるD、(二)家の筆頭者であるF、(三)家の四人、即ちF、同D夫婦と娘二人及び(四)家の中心であるFとDの夫婦、の四つである。

まず、前述の用語法によると、D個人を指すとみることはできない。又、Fを指す場合は甲第1号証の6にあるように、その名前を明記する筈であるから、同人を指すとみることはできない。次に、娘二人を含む家の4人を指すと解するには、独立していない娘らを特に含める旨の特別の事情がなければならないが、そのような事情は認められない。結局、家の中心をなすFとD夫婦を指す、すなわち、右両名に2分の1づつの共有持分権を与える趣旨であると解するのがAの真意に最もよく合致するものと考えられる。

次に、甲第1号証の地番「296ー6」は、前記甲第19号証の1ないし3に照らして考察すれば、地番「296ー3」の誤記と認めるのが相当であり、甲第1号証の6の地名「高九」は「高久」の誤記と認めるのが相当である。

四 請求原因5、6の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

五 本件各遺言の法的性質について検討する。相続人でないFに対する遺言が遺贈であることは当然である。相続人であるDとEに対する遺言については、次のように解すべきである。一般に、被相続人が、遺言において、遺産に属する特定の財産Zを特定の共同相続人甲に取得させる意思表示をした場合に、これを遺産分割方法の指定(民法908条)とみるか、遺贈(同964条)とみるかは被相続人の意思解釈の問題である。

この解釈に当って最も尊重されるべきものは、当然、被相続人の内心の意思である。それは、通常、できるだけ早期に、かつ、できるだけ確実に、Zを甲に与えたいということであろう。それには遺贈が適している。分割方法の指定の場合は、相続開始後の遺産分割がなされた時に、かつ、遺産分割によって始めて、甲はZの所有権を取得する(効果は遡ることになるが)ことになるのに対し、遺贈の場合は、相続開始と同時に、かつ、何等の手続も要することなく、排他的にZの所有権は甲に帰属することになるからである。

この見地からすると、右の遺言は原則として遺贈と解すべきことになる。しかし、被相続人の意思はこれだけではない。我が国では、通常人は、自己の死後における自己の財産の処分を行うに当り、特定の第三者に特定の財産を遺贈するのと同じ意味合いにおいて特定の相続人に特定の財産を遺贈するという意識を持つことは殆どなく、遺産の分割を、全部又は一部、自分の生前に予めやっておく、つまり、遺産分割の協議を共同相続人の代りに被相続人がやっておいてやるという意識の下にZを甲に与える旨の遺言をすることが多い。

この点を重視すると、右の遺言は原則として分割方法の指定ということになる(更に、現行法上、遺贈の場合の方が分割方法の指定の場合よりも税金が重いということもあって、後者の趣旨に解すべきだとされることもある)。

このように、被相続人の内心には右の両者の意思が併存するのが普通であるが、そのいずれを重んずべきであろうか。前者は実質的利益の問題であるのに対して、後者は形式的利益の問題に過ぎないのであるから、二者択一ということになれば前者を採らざるを得ず、従って、遺贈と解すべきことになる。しかし、二者両立の途があるのであれば、それが最も望ましいことは言うまでもなく、この場合は、分割方法の指定と解すべきことになる。

そこで、検討するに、数人の共同相続人が遺産の分割を協議するに際して、被相続人による分割方法の指定がなされていないときは、遺産を構成する財産のすべてについて共同相続人の全員一致によってのみ帰属が定められるのであり、現行法上、特定の財産について例外が定められていることもなく、又、特定の相続人の意思が他の相続人の意思に優先するということもない。

しかし、遺言によって前述のような分割方法の指定がなされているときは、財産Zについては相続人甲の意思が絶対的に優先すると言わなければならない。協議において、甲は、Zについての優先権を放棄することはできるが、放棄しないで優先権を主張する限り、他の共同相続人はこれを覆すことはできない。従来、このような場合をも協議不調の一場合として、家庭裁判所に分割請求がなされていたようである。

そして、家庭裁判所において調停が行われても、甲が優先権を主張する限り、調停は成立しない。そこで、最後に、審判となるが、被相続人の意思と相続人甲の意思とを無視することはできず、甲が優先権を主張する限り、Zを甲に与える旨の審判をする外はない。これに反する趣旨の審判は違法である。

ここで、以上の一連の手続過程を振り帰ってみると、甲が確定的に優先権を主張した時点以後の手続は、明らかに無用であることに気付く。既に、右の時点において、Zを甲に帰属させる、という結論は出ているのであり、それ以後同一の結論に審判という衣を着せるためだけに無駄な時間と労力を費やしているに過ぎない。しかし、審判は、裁判の形をとることに意味があるのではなく、協議や調停において結論が出ない場合に結論を出すことに意味があるのであるから、既に結論が出ていることについてはわざわざ審判をする必要はない訳である。

そこで、事態を率直に考察すれば、甲がZについて優先権を主張した時点において、その限度における遺産の一部の分割の協議が成立したものと評価するのが相当である(つまり、Zを甲に帰属させるか否かについて協議がなされたが、話合いによっては結論が出ず、評決によって結着が図られることになり、投票の結果は、賛成票甲1人、反対票甲以外の相続人全部となったとして、Zについては甲のみが評決権を有する訳であるから、1対零でAは甲に帰属させる旨の決議が成立したと解すべきことになる。

この場合、実際に、右のような手続がとられた場合は勿論、そうでない場合でも、甲がZを取得する旨の意思が明確に他の相続人に表明された場合は右の手続を行うことは無意味であるから、右意思表明の時点をもって協議成立の時点と解すべきである(大判昭13・4・30新聞4276・8参照)。逆説的に言えば、甲がZについては他と協議しないという意思を表明することが、Zを甲に与える旨の協議が成立したことになると解すべきなのである。

或いは、右の意思の表明によってZは協議の対象から除外されることになるという方が率直な表現であろうが、全ての遺産は協議の成立によって帰属が確定するという建前を尊重するとすれば、右のように言うのが適当であろう。なお、遺産の一部についてのみ協議を成立させることができることは当然である。)

右のように解することによって、被相続人の矛盾しかねない二つの意思、すなわち,一方において、できる限り早期かつ確実に特定財産を特定相続人に帰属させたいという意思と、他方において、分割方法の指定をしたいという意思とをいずれも実現させることができるといえよう。

以上の考察は社会経済的見地からも支持されるものと思う。なんとなれば、経済取引の円滑発展のためには、流通する財貨は共同所有の形にあるよりも単独所有の形にあるほうが望ましいことは明らかである。従って、近代法の精神は単独所有を基本としている(民法427条参照)。判例法上、金銭債権については、遺産分割の協議をするまでもなく、当然に分割されるとされている(最判昭和29・4・8民集8・4・819)のも、遺産のうち分割できるものはなるべく早く分割して単独所有としようという考えに基づくものと解される。

又、登記実務において、分割方法の指定と解される遺言によって相続を登記原因とする所有権移転登記を認めている(昭和47・4・17付民事甲1442法務省民事局長通達・民月27・5・165頁)のも、右の考察によって正しく理解することができるものといえよう。

ところで、かように解した場合に、具体的に遺産の帰属を遺言により指定された相続人が、何時、当該遺産についての優先権を主張したと解するべきかが問題となるであろう。相続人は、相続の承認、放棄をする自由を有しているわけであるから、通常は、当該相続人が、右遺言の趣旨を受け容れる旨の意思を他の共同相続人に対し明確に表明した時点において、右の優先権の主張があり、その結果、相続時に遡って当該遺産を取得することになると解すべきである。

本件において、第一審原告D、同Eに対する各遺言は、前記の認定事実に照らすと、分割方法の指定と解すべきであるが、同人らは、遅くとも本訴を提起した時点において、他の相続人に対して、被相続人の遺言に従い、本件土地に対する権利取得の意思を明確に表示し、かつ、本訴においてその旨の主張をしているものと解すべきである。


六 そうすると、Aのした遺言に基づき、第一審原告Dは、本訴を原審裁判所に提起した昭和61年9月25日(本件記録上明らかである)本件一及び二の土地の所有権と三ないし六の土地の2分の1の共有持分権を、第一審原告Eは、同じく同年10月31日(本件記録上明らかである)本件八の土地につきその4分の1の共有持分権(Aの共有持分権)をそれぞれ取得したものというべきである。

又、第一審原告Fは、本件七の土地を、本件遺言の効力が発生した昭和61年4月3日遺贈により取得したことになる。


従って、第一審原告Dの請求のうち本件一ないし六の土地についての右の限度での所有権ないし共有持分権の確認、同Fの本件七の土地についての所有権の確認、同Eの本件八の土地につき4分の1をこえ2分の1の共有持分権(第一審原告Eが自己の分として4分の1の共有持分権を有していることは当事者間に争いがないので同Eは本件遺言により取得した持分4分の1を加え、共有持分2分の1を有することになる)の確認を求める第一審原告らの本訴請求は、いずれも理由があるのでこれを認容すべきであるが、第一審原告Dのその余の請求(本件三ないし六の土地についての2分の1の共有持分権の確認)は理由がないことに帰するので失当としてこれを棄却すべきである。

以上のとおりであるから、原判決主文第1、3、4項を変更して主文第一項各記載のとおり命ずることとし、第一審被告らの各控訴はいずれも理由がないので民訴法384条により棄却する。
訴訟費用の負担につき、同法96条、89条、92条、93条適用。(東京高等裁判所第12民事部)

以上:7,243文字

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