令和 3年10月19日(火):初稿 |
○亡Aの遺言執行者である原告が、銀行である被告に対し、亡A名義の普通預金の払戻し等を求めた事案において、請求を認容した令和元年11月15日東京地裁判決(金融法務事情2142号52頁)を紹介します。 ○亡Aの相続人は、二男原告・三男D・四男Eでしたが、遺言で二男原告を遺言執行者に指定し、被告銀行預金を換価し、葬儀費用等一切の債務を控除した残額全てを二男原告と四男Eに各2分の1の割合で相続させるとしました。そこで相続財産のない三男Dが、原告及びEに対し、遺留分減殺請求権を行使する意思表示をしました。 ○そのため被告銀行は、遺留分減殺請求権が行使された場合に遺言執行者が遺言を執行できるかについて判断しかね,二重払いの危険を回避するために払戻請求に応じなかったため遺言執行者の原告が被告銀行に対し、亡A名義の普通預金1742万5174円及びこれに対する払戻請求の日の翌日である平成30年9月11日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を求めたものです。 ○令和元年11月15日東京地裁判決は、亡Aが本件遺言第5条により遺言執行者である原告に本件預金債権の払戻しを求めてこれを受領する権限を付与した部分は,Dが本件遺留分減殺請求をしたことによっても,何ら影響を受けるものではなく,原告は,本件遺言の遺言執行者として,単独で本件預金債権全額の払戻しを請求することができ、且つ、原告から本件預金債権の払戻請求を受けた平成30年9月10日に履行遅滞に陥り,その翌日である同月11日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払義務を負うとしました。 ******************************************** 主 文 1 被告は,原告に対し,1742万5174円及びこれに対する平成30年9月11日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。 2 訴訟費用は被告の負担とする。 3 この判決は仮に執行することができる。 事実及び理由 第1 請求 主文同旨 第2 事案の概要 本件は,亡A(以下「亡A」という。)の遺言執行者である原告が,銀行である被告に対し,亡A名義の普通預金1742万5174円及びこれに対する払戻請求の日の翌日である平成30年9月11日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。 1 前提事実(当事者間に争いのない事実のほか,後掲の証拠及び弁論の全趣旨によって容易に認定することができる事実) (1)亡Aは,平成28年12月27日,死亡した。亡Aの法定相続人は,二男である原告,三男であるD(以下「D」という。)及び四男であるE(以下「E」という。)の3人である。(争いのない事実,甲1,2の1ないし7) (2)亡Aは,平成24年11月22日,下記の内容を含む公正証書遺言(以下「本件遺言」という。)をした。(甲4) 記 第2条 亡Aは,第5条に指定の遺言執行者において,亡Aの有する次の金融資産を全て換価し,換価により得られた金銭から亡Aの葬儀,納骨等の費用,公租公課及び債務の一切を支払い,残りの全てを,原告及びEに各2分の1の割合にて相続させる。 [金融資産の表示] (1)被告のF支店に預託等している預金等資産の全部 (2)その他の金融資産の全部 (3)手元現金の全部 第5条 亡Aは,本件遺言の執行者として,原告を指定する。ただし,本件遺言の発効以前に原告が死亡した場合は,Eを指定する。 2 亡Aは,前項の遺言執行者に対し,次の権限を与える。 (2)登記手続,亡Aの有する預貯金等の名義変更・解約・受領,貸金庫の開披・解約・内容物の取出し,その他の本件遺言を執行するために必要な一切の行為を行うこと。 (3)Dは,平成29年11月27日頃,原告及びEに対し,遺留分減殺請求権を行使する旨の意思表示(以下「本件遺留分減殺請求」という。)をした(甲16,17)。 (4)原告は,平成30年9月10日,銀行である被告のF支店を訪れ,本件遺言に係る公正証書等の関係書類を示して,被告に対し,亡Aが死亡時に同支店に開設していた同人名義の二口の普通預金口座(口座番号○○○○○○○号及び口座番号△△△△△△△号)に係る預金債権(以下「本件預金債権」という。)の払戻請求をした。同日時点の本件預金債権の額は,合計1742万5174円であった。(争いのない事実) 原告が,上記払戻請求の際,本件遺留分減殺請求がされていることについて申告したところ,被告は,遺留分減殺請求権が行使された場合に遺言執行者が遺言を執行できるかについて判断しかねたことから,二重払いの危険を回避するために払戻請求に応じなかった。(争いのない事実,弁論の全趣旨) 2 争点及びこれに関する当事者の主張 本件の争点は,遺言執行者である原告が単独で本件預金債権全額の払戻しを請求できるか(争点(1)),被告が遅延損害金の支払義務を負うか(争点(2))である。 なお,亡Aの相続は,民法及び家事事件手続法の一部を改正する法律(平成30年法律第72号)の施行日(令和元年7月1日)より前に開始しているから,同法附則2条により,当該相続については,原則として,同法による改正前の民法(以下「改正前民法」という。)の規定が適用される。 (1)争点(1)(遺言執行者である原告が単独で本件預金債権全額の払戻しを請求できるか)について (原告の主張) 原告は,本件遺言において,遺言執行者として本件預金債権の払戻しの権限が与えられているから,被告に対し,単独で全額の払戻しを請求できる。仮に本件遺留分減殺請求によって本件遺言が遺留分侵害の限度で無効になるとしても,被告が遺留分を侵害する具体的な額を主張立証していない以上,被告は全額を支払う義務がある。 被告は,本件の第1回口頭弁論期日において,原告適格を争わない旨陳述しているから,その後に原告適格を争うことは,訴訟上の信義則に違反する。 (被告の主張) 本件遺言は,本件遺留分減殺請求によってDの遺留分を侵害する限度で失効し,本件預金債権は,原告,E及びDの準共有に属することになる。原告は,Dに復帰した遺留分相当額につき遺言を執行する権限を有しないから,Dの同意を得ない限り(民法251条),単独で本件預金債権全額の払戻請求をすることはできない。本件遺言第5条2項は,遺留分減殺請求で遺言が失効することにより減殺請求者に帰属する預貯金についての遺言執行者の権限まで規定したものではない。 原告には遺言執行者としての払戻権限がないから,原告適格がなく本件訴えは却下されるべきであり,そうでないとしても,本件請求は棄却されるべきである。 (2)争点(2)(被告が遅延損害金の支払義務を負うか)について (原告の主張) 本件遺言は,公正証書でもって,遺言執行者である原告が被告に対する本件預金債権全額の払戻請求権限を有することを明確にしているから,被告が,債権者不確知の状態にはないにもかかわらず,Dにより本件遺留分減殺請求がされた事実のみを根拠として,原告の払戻請求に応じなかったことは違法であって履行遅滞に陥っており,遅延損害金を支払う義務がある。 (被告の主張) 金融機関が預金の払戻請求に応じないことが違法として履行遅滞に陥るのは,預金者を確認するための必要最小限の相当期間が経過した後である。金融機関は,かかる期間内であれば預金の払戻しを留保することができる。 本件では,被告が可能な弁済供託を怠ったという事実はなく,上記の相当期間を経過していない。また,本件遺留分減殺請求の効果として本件預金債権が誰にどのように帰属しているのか不明確である中,二重払いの危険を負担して払戻しに応じることは,被告には過度な負担である。 したがって,被告が原告の本件預金債権の払戻請求に応じなかったことは違法でないから,履行遅滞に陥っておらず,遅延損害金の支払義務はない。 (中略) 第3 争点に対する判断 1 争点(1)(遺言執行者である原告が単独で本件預金債権全額の払戻しを請求できるか)について (1)本件遺言第2条は,亡Aの遺産である本件預金債権を含む金融資産については,遺言執行者が全て換価し,換価により得られた金銭から,亡Aの葬儀,納骨等の費用,公租公課及び債務の一切(以下「亡Aの債務等」という。)を支払って精算した上で,残金を原告及びEに各2分の1という指定の割合で配分することを定めたものであるところ(前提事実(2)),遺言執行者は,本来,その執行に必要な一切の行為をする権利義務を有するとされており(改正前民法1012条1項),加えて,本件遺言においては,第5条により,亡Aの有する預貯金等の解約,受領を含め,本件遺言の執行のために必要な一切の行為を行う権限を,遺言執行者に明示的に与えている(前提事実(2))。そうすると,亡Aが死亡時に有していた,その遺産である本件預金債権については,本件遺言の遺言執行者に指定された原告が,本件遺言第2条に定められたとおり,亡Aの債務等の一切を支払って精算した後の残金を分配するため,本件遺言第5条により,被告に対し払戻しを求めてこれを受領する権限を有するものということができる。 (2)これに対し,被告は,本件遺言は,本件遺留分減殺請求によってDの遺留分を侵害する限度で失効し,本件預金債権は,原告,E及びDの準共有に属するから,遺言執行者である原告が単独で払戻請求をすることはできない旨主張する。 しかし,仮に本件遺言第2条がDの遺留分を侵害するとしても,それは,金融資産の換価精算後の配分について亡Aが指定した配分割合の部分にすぎない。同条のうち,遺言執行者が本件預金債権を含む金融資産を換価して得られた金銭から亡Aの債務等を支払い精算した上で分配するという遺産分割の方法を定めた部分や,遺言執行者の権限を定めた本件遺言第5条2項は,Dの遺留分を侵害するものではないから,本件遺言のうちこれらの部分が,Dの本件遺留分減殺請求によって失効すると解することはできない。 しかも,本件遺言第2条は,特定遺贈や特定の遺産を特定の相続人に相続させる旨の遺言とは異なり,本件預金債権を含む金融資産を換価精算した後の残金を指定割合により分配させるという趣旨のもので,亡Aの死亡で生じた,法定相続人3人による本件預金債権の遺産共有状態それ自体には何らの変更を生じさせるものではない。 そうすると,本件遺言により本件預金債権が原告とEの準共有に属したが,本件遺留分減殺請求によってDに本件預金債権のうち遺留分相当額の持分が復帰し,原告,E及びDの準共有が生じることを前提として,当該Dの遺留分相当額について遺言執行者である原告の遺言執行権限を否定する被告の主張は,前提を欠くもので,失当といわざるを得ない。そして、遺産共有状態にある相続財産につき,遺言執行者が遺言執行に必要な行為をするための管理処分権を有することはいうまでもない(改正前民法1012条1項)。 (3)以上によれば,亡Aが本件遺言第5条により遺言執行者である原告に本件預金債権の払戻しを求めてこれを受領する権限を付与した部分は,Dが本件遺留分減殺請求をしたことによっても,何ら影響を受けるものではなく,原告は,本件遺言の遺言執行者として,単独で本件預金債権全額の払戻しを請求することができるというべきである。 2 争点(2)(被告が遅延損害金の支払義務を負うか)について (1)原告は,平成30年9月10日,被告に対し,本件遺言に係る公正証書等の関係書類を示して,本件預金債権の払戻請求をしたのであるから(前提事実(4)),被告は,それにより履行遅滞に陥り,当該払戻請求を受けた日の翌日である同月11日から本件預金債権について遅延損害金の支払義務を負うというべきである(民法412条3項)。 (2)これに対し,被告は,金融機関が預金の払戻請求に応じないことが違法となるのは,預金者を確認するための必要最小限の相当の期間を経過した後であり,金融機関は,かかる期間内であれば預金の払戻しを留保することができ,本件では当該期間が経過していない旨主張する。 しかし,民法419条3項は,金銭債務の債務者は不可抗力をもって抗弁とすることができない旨を定めているから(その趣旨は,利息相当額が不履行の期間において債権者に当然生じる損害であり,他方で,弁済しない債務者としても利息相当額の利益を上げる可能性があるから,不可抗力を抗弁としないことが公平としたものと解される。),当該債務者は,請求権限ある者からの請求に対して支払をしない場合には,遅滞がその責めに帰すべき事由によらないときであっても,その請求を受けた時から(同法412条3項),同法419条1項所定の損害賠償責任を負うことになるのであり,当該債務者が金融機関であれば,当然に,預金者を確認するための必要最小限の相当の期間を経過した後でなければ履行遅滞とならないということはできない。 しかも,本件において,原告は,被告に対し,遺言執行者として,亡Aの有する預貯金等の名義変更・解約・受領の権限を付与されたことが明記された本件遺言に係る公正証書をも示して本件預金債権の払戻請求をしたのであって(前提事実(4)),約款により払戻請求の際に提出や提示が必要とされている書類に不足があったとか,上記公正証書が無効であることが明らかであった等の事情も窺えない。 そうすると,被告において,本件遺留分減殺請求があったことを認識し二重払いの危険を避けるために原告の払戻請求を拒んだという事情があるからといって,それでもって,履行遅滞に陥らないということはできず,被告の上記主張は,採用することができない。 (3)以上によれば,被告は,原告から本件預金債権の払戻請求を受けた平成30年9月10日に履行遅滞に陥り,その翌日である同月11日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払義務を負う。 第4 結論 よって,原告の請求は理由があるからこれを認容することとして,主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第10部 裁判長裁判官 徳岡治 裁判官 木地寿恵 裁判官 安陪遵哉 以上:5,841文字
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