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公正証書遺言について錯誤を理由に無効とした地裁判決紹介

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令和 2年 6月12日(金):初稿
○被相続人の作成した遺言書について動機の錯誤を理由に無効とした判例を探しています。平成27年3月23日さいたま地裁熊谷支部判決(判時2284号87頁)がありましたので、関連部分を紹介します。

○事案は、被告が経営する養護盲老人ホームに入所していた亡Aがした、亡Aが被告に葬儀費用等を除いた財産全部を包括遺贈する旨の公正証書遺言について、亡Aの長女である原告が、被告に対し、同公正証書遺言の無効確認を求めるとともに、不当利得の返還を求めたものです。

○この事案について、さいたま地裁判決は、亡Aは、本件遺言時、亡Aの死亡後、被告が確実に原告らに生活費等を支払ってくれるものとの誤信して本件遺言をしたものと推認できるから、被告が原告らに生活費等を支払う法的義務を負っていないという点について亡Aに錯誤があると認められるとして遺言の無効を認めました。

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主   文
一 原告と被告との間において、浦和地方法務局所属公証人e作成の平成△年第△△号遺言公正証書による亡fの遺言が無効であることを確認する。
二 被告は、原告に対し、2029万3103円及びこれに対する平成25年10月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由
第一 請求

 主文と同旨(附帯請求は訴状送達の日の翌日)

第二 事案の概要
一 本件は、被告が経営する養護盲老人ホームに入所していた亡f(以下「亡f」という。)による、亡fが被告に葬儀費用等を除いた財産全部を包括遺贈する旨の公正証書遺言について、亡fの長女である原告が、被告に対し、同公正証書遺言の無効確認を求めるとともに、不当利得に基づき、同公正証書遺言により被告が利得した2093万3103円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成25年10月6日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

二 前提事実(証拠を掲記した事実以外の事実は、当事者間に争いがないか、当事者が積極的に争わない事実である。)

     (中略)

三 争点
(1)本件遺言の方式違背の有無


     (中略)

(2)錯誤無効の成否
(原告の主張)
ア 亡fは、いずれも精神障害を有する原告及び亡kの療養及び将来の生活を非常に気にかけており、自分の遺産は、原告及び亡kの生活のために使うことを強く希望していた。原告及び亡kはいずれも遺産の管理能力に欠けていたので、亡fの遺産に関する真意は、亡fの全ての遺産を原告及び亡kに二分の一ずつ相続させ、h園園長が亡fの預貯金等の財産を管理することにあった。しかし、亡fは、全盲であり、かつ遺言の作成方法やその効力等の法律に無知であったため、全財産を被告に遺贈し、付言事項として原告及び亡kの生活費等を被告に負担させることを記載した本件遺言をした。亡fは、付言事項が法的拘束力を有しないことについて全く知らず、自分の遺産は全て原告及び亡kの生活のために使用されるものと誤認していた。
 よって、本件遺言は、錯誤により無効である。

イ 亡fは、遅くとも平成18年頃には判断能力がなく、平成17年の時点では、全盲のほかやや難聴があり、中度の記憶障害、不安、幻覚、妄想の精神障害もあった。亡fが、遅くとも平成5年頃から全盲となり、家族である原告や亡kにも精神障害等があったことなどからみて、亡fは、本件遺言作成当時、遺言の内容やその法的効力を十分に理解する能力がかなり低かったことも、錯誤の判断において考慮されるべきである。

ウ 本件遺言と、本件遺言に先立って、亡fが述べた遺言の内容を、dが職員に指示してまとめさせた別紙遺言書と題する書面(以下「本件遺言骨子」という。)とでは大きなそごがある。同書面では、亡f死亡後に亡fの財産から原告及び亡kの生活費や入院費を支払い、原告及び亡kの死亡後に亡fの財産がある場合には、被告から寄付するというものであった。本件遺言は、本件遺言骨子と大きく異なり、亡fの真意とかけ離れた内容になっている。

(被告の主張)
 否認する。
ア 亡fは、平成12年2月頃、dに対し、遺言の作成方法を尋ねるとともに、遺言を作成したい旨の申し出をした。
 その後、dが期間をおきながら数か月掛けて、亡fの希望する遺言の内容を聞いたところ、亡fの意思が変わらなかったため、dは、同年6月、亡fから遺言内容を聞き取り、本件遺言骨子を作成した。dは、同年7月、亡fのおいで身元引受人であったp(以下「p」という。)、pの妻及び◇◇市の福祉事務所員をh園に招いて、亡f同席の下、遺言意思やその内容の確認を行った。その後、本件遺言骨子に含まれていたマンションの売却代金や墓の処分については、dの尽力により解決した。
 亡fは、公証人に対しても、遺言の意思を伝えた。
 本件遺言は、平成12年2月から同年12月まで約11か月の期間を経て作成されたものであり、この間、相談・打合せを多数回した。本件遺言には亡fの真意が十分に反映されており、亡fにおいて錯誤の働く余地はなかった。

イ 亡fの判断能力が本件遺言作成時において、遺言作成に支障を来す程度に低下していたという事実はない。

(3)詐欺取消、追認又は法定追認の有無、信義則違反

     (中略)

第三 当裁判所の判断
一 争点(1)について


     (中略)

二 争点(2)について
(1)後掲各証拠(省略)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
ア 原告と亡kの状況や亡fとの関係
(ア)原告は、未熟児で仮死状態で生まれ、小中学校は普通学級に通ったが、オール一の成績であった。原告は、中学校卒業後、在宅で生活し、主にgより生活面の介助を受けたが、同人による介助が困難となり、昭和62年3月、知的障害者更生施設である◇◇県立j園に入所した。原告の平成19年時点の診断名は最重度精神遅滞等であった。
 亡fは、平成13年3月、施設入所中の原告とも面会をし、施設の職員に対し、原告の健康状態、金銭が足りているのかを心配し、送金するとの申出をしていた。亡fは、平成21年3月時点で、j園の職員に対し、亡fが死亡した際に、亡fの遺産が原告に渡るかを心配していた。

(イ)亡kは、生まれつきの精神遅滞と精神障害があり、昭和43年頃、統合失調症を発症し、平成4年5月から、精神科のあるm病院に入院した。
 亡fは、平成4年5月から平成18年までの間、入院中の亡kと度々面会し、m病院に対し、亡kの入院費が足りているかを問合せたり、亡kに対し、小遣いの送金や荷物の送付等をしていた。m病院のケースワーカーが、平成12年11月頃、亡fに対し、亡kの生活費が不足しているため、生活費の援助を求めたこともあった。

イ 亡fの生活状況等
(ア)亡fは、以前より白内障と緑内障を患って視力が低下し、平成5年頃、全盲となった(弁論の全趣旨)。
(イ)亡fは、◇◇県◇◇市所在のマンション(以下「自宅マンション」という。)に暮らしていたが、平成8年4月、h園に転居し、同年9月△日、自宅マンションを売却したが、同売却代金は、亡fのおいで、h園入所に関する亡fの身元引受人であるpが管理していた。

ウ 本件遺言作成の経緯及び状況等
(ア)亡fは、平成12年2月頃、dに遺言書作成の質問をした。

(イ)亡fは、同年4月及び同年5月、dに遺言書を作成したい旨申し出た(なお、原告は業務日報が改ざんされており、信用できない旨主張するが、上記認定及び後記の認定をする限りにおいて、その信用性に疑問を抱かせる事情があるとは認められない。)。

(ウ)亡fは、同年6月5日頃、作成したい遺言の内容を述べ、その内容を被告職員が本件遺言骨子第一項ないし第五項記載のとおりにまとめた。

(エ)◇◇市社会福祉事務所の職員は、被告の依頼を受け、同年7月4日、亡fの意思を確認するため、h園を訪れて、pとその妻同席の下、亡fに意思を確認した。その際、本件遺言骨子第二項の亡fの自宅マンションの売却代金について記載に変更があるが、その余は、変更がないとされた。
 その後、pが管理していた自宅マンション売却代金が、亡fに支払われるなどしたため、自宅マンションの売却代金の件(遺言骨子第二項)は解決した。

(オ)亡fのq霊園の墓地の処分と◇◇県◇◇市所在のi寺への埋葬予約の件(遺言骨子第一項、第三項)は、同年9月、q霊園にあるr家の墓地を処分し、◇◇県◇◇市所在のi寺に移動する手続等を取ることにより解決した。

(カ)亡fは、同年11月、dに対し、公正証書遺言を年内に作成したい旨申し出たため、dは、その頃、公証人と連絡を取り、亡fが希望する遺言の概略や前記(エ)(オ)の自宅マンションの件と墓地の件が解決済みであることなどを述べ、被告職員が公証人に本件遺言骨子をファックスした。

(キ)平成12年12月19日、本件公正証書遺言が作成された後、dは、h園において、本件遺言を保管していた。本件遺言作成後、本件遺言について亡fとdの間で話題に上ったことはなかった。

エ 亡kは、平成22年11月△日、◇◇県◇◇市福祉事務所長に対し、生活費を賄えないとして、生活保護の申請をした。

オ 被告代理人弁護士は、平成23年3月△日付け通知書において、原告後見人に対し、本件遺言第四条は法的拘束力はないと考えているなどと主張し、原告の生活費の要求には応じられない旨回答するなどした。また、被告代理人弁護士は、原告後見人からの原告の生活費の請求に対する、同年8月△日付け意見書において、本件遺言第四条の付言事項は、「h園園長に対し、原告と亡kの二人が施設や病院に居られなくなった場合には、宜しくお願い致しますということで、法的拘束力を伴う強制ではなく任意的履行を求めているのです。」と述べ、生活費の請求には応じられないとした。

(2)遺言は、遺言者の最終的な意思表示であり、しかも死後においては自らその内容、動機等を説明することができないのであるから、錯誤の認定は慎重になされることが必要であるところ、錯誤により遺言が無効とされる場合とは、当該遺言における遺言者の真意が確定された上で、それについて遺言者に錯誤が存するとともに、遺言者が遺言の内容となった事実についての真実を知っていたならば、かかる遺言をしなかったといえることが必要である。

ア 前記(1)ア及びウ(ア)ないし(カ)の事実、本件遺言骨子の内容からすれば、亡fは、平成12年6月当時、本件遺言骨子記載の内容の遺言を実現することを希望していたものの、本件遺言骨子のうち、自宅マンションの売却代金の件(遺言骨子第二項)、亡fのq霊園の墓地の処分とi寺への埋葬予約の件(遺言骨子第一項、第三項)は、平成12年9月までに解決したと認められる。そうすると、同年11月時点において、亡fは、〔1〕原告と亡kが施設の生活や入院生活等で金銭を必要とする場合は、dにより亡fの所有金から支出してもらいたいこと(遺言骨子第四項)、〔2〕亡f、原告、亡kが死亡した場合は、dによりその葬儀並びにi寺への納骨埋葬を執り行ってもらい、亡fの所有金に残額がある場合は、その残額を被告に寄付すること(遺言骨子第五項)を実現するために本件遺言を作成するという意思を有していたと認められる。

 また、原告及び亡kの母親である亡fは、生前、平素より、原告及び亡kの生活や経済状態を心配していたところ、前記(1)アのとおりの原告や亡kの生育歴、障害の内容、自立できない生活状況等や、夫のgも平成2年に死亡していたことからすれば、このような亡fの心情は、親一般が子に抱く心情と比較しても、相当強かったと推認でき、また、このような亡fの心情が変わるということも考え難い。

 上記〔1〕〔2〕の内容や亡fの心情等からすれば、平成12年11月から間もない本件遺言作成時の亡fの意思は、上記〔1〕〔2〕を実現するというもの、具体的には、原告と亡kが施設の生活や入院生活費等で金銭を必要とする場合、原告や亡kが金銭に困ることのないよう、確実に被告(h園)により亡fの所有金から金銭を支出し、亡f、原告及び亡kが死亡した場合は、被告(h園)によりこれらの者の葬儀を執り行ってもらい、亡fの所有金に残額があれば、残額を被告に寄付することにあったものと認められる。

イ しかるに、前記前提事実(3)のとおり、本件遺言において、亡fは、亡fの葬儀費用並びにi寺への納骨埋葬費用を除いた残りの遺言者所有の遺産全部を包括して、h園に遺贈する(第一条)ほか、付言事項として原告と亡kが、施設の生活や入院生活等でお金を必要とする場合及び両人が死亡した際の葬儀並びにi寺への納骨埋葬費用を、私の寄付金から支出して頂くようh園園長にお願いする(第四条)とされている。原告や亡kの生活費や入院生活費、葬儀、i寺への納骨埋葬費用を被告が支出することは付言事項であって「お願いする」に過ぎないことからすれば、本件遺言第四条は、受遺者であるh園(被告)に、原告や亡kに生活費等を支払う法的義務を負わせるものではないと解される。また、本件遺言は、原告や亡k死亡前であっても、被告に葬儀費用等を除いた残りを包括遺贈する趣旨と認められる。

 本件遺言の内容は、被告が原告や亡kの生活費や入院生活費を支払うことが法的義務ではないという点や、亡fのみならず原告や亡kが死亡し、葬儀費用等を執り行い、亡f所有の金員に残額がある場合に、被告に亡fの有する財産を遺贈するものではないという点において、本件遺言時における亡fの前記〔1〕〔2〕を実現する意思とは内容が異なっている。

 そして、亡fの前記アの意思に照らせば、原告や亡kに生活費等が確実に支払われることが亡fにとって極めて重要であって、少なくとも被告が、原告と亡kに対し生活費等を支払う法的義務を負わない(原告や亡kは、被告が支払を拒んだ場合、生活費が必要であっても支払を強制して求めることができず、任意の履行を期待できるにすぎない。)と認識していれば、本件遺言をしなかったと認められる。亡fが全盲であったことや、当時79歳と高齢であったこと、法的知識を十分に有していたと認められないことにも照らせば、亡fが、本件遺言時、亡fの死亡後、被告が、確実に原告や亡kに生活費等を支払ってくれるものとの誤信して本件遺言をしたものと推認できる。

ウ もっとも、平成12年11月時点での亡fの意思が、前記アのとおりであったとしても、その後、亡fが、公証人との打合せ等を経て認識を何らかの形で変化させ、被告が原告や亡kに生活費等を支払う法的義務を負わないなどの遺言内容であってもよいとの認識を有するに至り、本件遺言当時、錯誤に陥ってなかった可能性もないとはいえない。

 しかし、dも、本人尋問で、本件遺言骨子の内容と本件遺言第四条の内容の変化について、あまり意識しなかった、理由は分からないと供述するにとどまり、dや被告職員が亡fに対し本件遺言の内容や意思を確認したことはなかった。また、被告が◇◇市福祉事務所やpに本件遺言の内容を知らせ、◇◇市福祉事務所職員やpが亡fの意向を確認したといった事情も認められない。

仮に亡fが本件遺言において被告が原告や亡kに生活費等を支払う法的義務を負わない(任意の履行を期待するにとどまる。)ことを認識していたとすれば、亡fが、亡fの死後、原告や亡kへの生活費等の任意の支払を被告に滞りなくしてもらえるよう、h園の園長であるdに重ねて生活費等の支払を依頼することも考えられるが、dや亡fの間で、本件遺言作成後、本件遺言のことが話題に上ったことはなかった。そして、ほかに、平成12年11月から本件遺言を作成した同年12月△日までの間に亡fの意思が変わったことをうかがわせる事情も認められないことからすれば、本件遺言時においても、亡fは、上記意思を有していたものと認められるから、前記イのとおり、亡fは本件遺言時に錯誤に陥っていたと認められる。

エ そうすると、本件遺言について、被告が原告や亡kに生活費等を支払う法的義務を負っていないという点について亡fに錯誤があると認められる。

(3)以上からすれば、本件遺言は、争点(3)(4)を判断するまでもなく,亡fの錯誤により無効であると認められる。

三 争点(5)について
 前記二のとおり本件遺言は無効であるところ、前記前提事実(5)(6)のとおり、亡fの法定相続人は原告と亡kであり、亡kの死亡により亡kの財産は原告が相続した。そうすると、亡fの相続財産は、亡fの死亡により原告と亡kが各二分の一ずつ相続し、その後、原告が亡kの財産を全て相続したことになる。
 そして、前記前提事実(7)(8)のとおり、亡fの死亡時の遺産から葬儀費用等を控除した残額は、4082万1958円であり、既に原告が受領した2052万8885円を控除した残金は、2029万3103円となるから、被告は、法律上の原因なしに上記2029万3103円を利得し、原告には同額の損失があると認められる。
 よって、被告は、不当利得に基づき、原告に対し、2029万3103円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成25年10月6日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払義務を負う。

第四 結論
 以上のとおり、原告の請求はいずれも理由があるから、これらを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 塩原学)

別紙(省略)
以上:7,215文字

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