平成25年 6月18日(火):初稿 |
○「久しぶりに気仙沼入りして復興の道は険しく遠いと実感」記載の通り、平成25年は1月15日から2泊3日気仙沼に滞在し、「小学6年以来お世話を受けてきた友人への感謝とお別れの辞」記載の通り、小学6年生の時同クラスになって以来、中学、高校と同窓で、弁護士になってからも、お客さまを紹介頂くなど,大変、お世話になってきた大切な友人である小山隆市君の葬儀に参加して来ました。 ○その後、「20年ぶりに仙台近辺在住気仙沼中学・高校同年会開催」記載の通り、平成25年1月25日午後6時30分から20年ぶりに仙台近辺在住気仙沼中学・高校同年会を開催しましたが、肝腎の郷里気仙沼へは、その後、帰る機会がありませんでした。土日等帰る気になれば帰れるだろうと言われそうですが、ここ数年、土日は、交通事故事件等の難事件の起案作業に明け暮れざるを得ず、また、老眼の進行で自動車運転が億劫になったこともあり、なかなか、郷里気仙沼訪問が出来ません(^^;)。 ○土日まで潰して起案作業に明け暮れるとは,随分、稼いで居るのではと、誤解されそうですが、肝腎の売上は、日ごと厳しくなる一方という感じで、毎日不安と戦っております(^^;)。と言うのは、交通事故事件は、殆どの事件が着手金を貰わず受任しますので、いくら受任しても、終了して実際損害賠償金を回収するまでは売上になりません。最近受任する事件は、他の事務所で断られたような医学上の難しい論点を含む難事件ばかりで訴訟が長期化しており、売上実績に繋がりません。 ○と、ついつい愚痴を述べてしまいましたが、先日、以下の通り「小山隆市君、阿部健樹君を偲ぶ同年会」開催の案内が、届きました。大恩ある小山君を偲ぶ会であり、何を置いても出席しなければなりません。また、被災地気仙沼で頑張っている同年生各位と顔を合わせるのも楽しみです。「THE ZEN CLUB K&B GYMに入会-BP95㎏3回挙上に歓喜」記載のとおり、小学・中学と同年生であった齋藤高史君経営THE ZEN CLUB K&B GYMに入会し、「第36回宮城県ベンチプレス選手権大会デビュー戦」記載の通り、61歳にして初めて選手権なるものにデビューできたのも同年生のお陰であり、同年生とはホントに有り難いものです。その絆を大事にしていこうと思っております。 *********************************************** 気仙沼中学校20回生の皆様 気仙沼高校22回生有志の皆様 「小山隆市君、阿部健樹君を偲ぶ同年会」開催について 平成23年2月12日に開催した「気仙沼中学校昭和42年卒業第20回生の還暦を祝う会」には、約200名の仲間が集い、歌、踊りや太鼓などで大いに盛り上がり旧交を温めました。その楽しかった余韻がまだ残る3月11日の午後2時46分に「東北地方太平洋沖地震」が発生、気仙沼市域に最大20mの津波が押し寄せ、さらに火災が発生したことにより故郷の風景は一変してしまいました。東日本大震災であります。 震災後2年3ヵ月が経過しました。ようやく災害公営住宅や高台移転などの住宅整備の方向性が見えてきており、水産業、水産加工業関係の施設整備や三陸沿岸道路や大島架橋などの基盤整備がなされてきており、まちには活気が戻ってきたような気がしますが、まだまだ、震災前の状況には至っておりません。 「還暦後1年、震災復興支援感謝の集い」を昨年11月3、4日に南三陸ホテル観洋で開催したところ、約120名の仲間が集い、復興に向けて寄せられた支援に感謝するとともに、お互いに健康で元気に頑張っていくことを確認しました。それなのに、昨年12月7日には、気仙沼市柔道協会副会長で、気仙沼高校の不惑ソフトボール大会では同じ回生の世話役などでも活躍し、病気とは縁のないように思われ、一番頑丈そうに見えた阿部健樹君が、そして、33歳、42歳の大厄、還暦などの節目の年に、20回生(卒業時473人)が一堂に集う企画、運営などを事務局長としてお世話いただいたほか、気仙沼のまちづくりにも大きな役割を果たしていた小山隆市君が今年1月14日に亡くなるという、とても悲しくつらい出来事が起きてしまいました。 1月17日の小山隆市君の葬儀、告別式に参列した仲間から、落ち着いたら「二人を偲ぶ同年会」をやろうという声があがり、遠方から帰省される方々のことも考え、お盆の時期の開催としたところであります。 多くの方々にお集まりをいただき、二人を偲びながら、再び旧交を温めたいと思いますので、趣旨をご理解いただきたくご出席くださるようご案内申し上げます。敬具 記 日時 平成25年8月17日(土)午後6時~ 場所 気仙沼プラザホテル 会費 6000円 以上:1,960文字
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