平成22年 2月17日(水):初稿 |
○平成22年2月16日は、RU(ライジングアップ)2月例会で、「老後に向かって筋肉を鍛える」とのテーマで宮城県ボディビル連盟会長藤原勤也さんのお話を伺い、実践ぶりを拝見させて頂きました。「平成22年第1回ライジングアップ例会報告」記載の通り、RUとは、、英文スペルRisingUpで、異なる業種の面々が集まり、お互いに切磋琢磨し、上へ昇ろうという意味で付けられた名前です。 ○RU創立は昭和56年頃で、私は昭和59年に入会させて頂き、以来、26年経過し、相当メンバーの入れ替わりはありましたが、平成22年は私が、3巡目の会長となり、年間テーマ「老後に向かって鍛える」をご了解頂き、その第1回目が藤原勤也さんによる「老後に向かって筋肉を鍛える」でした。藤原さんは昭和9(1934)年6月16日生まれの75歳と8ヶ月ですが、株式会社花かるとの現役社長さんで、ギャラリー鍛冶屋館長さんも兼任され、更に宮城県ボディビル連盟会長もなされています。 ○藤原勤也さんのボディビル歴は、昭和29年20歳、当時の筋トレ師匠東北大学文学部シェークスピア専門のバートン・イー・マーチン教授所有トレーニングルームで練習を開始し、その半年後、鳩山薫子氏所有神田共立講堂での日本ボディビル選手権に出場して入賞したことから始まります。その後、弟の藤原達也さんと共に仙台初のボディビルジム「藤原ジム」を設立され、数カ所移転するもX橋登り口建物での藤原ジムが昭和61年(1986)年焼失するまで経営されていました。 ○藤原勤也さんは、現在も長町マッスルジムとセントラルフィットネスクラブ仙台で週3、4回一日1時間30分から2時間トレーニング継続されています。そして宮城県ボディビル選手権東北北海道地区ボディビル選手権のマスターズ6連覇中で、平成21年日本ボディビル選手権マスターズ75歳以上の部で第3位を獲得されるなど75歳で現役バリバリのボディビルダーで、宮城県ボディビル界の正に草分けの重鎮です。 ○藤原勤也さんの「老後に向かって筋肉を鍛える」の話は,正に75歳の一般には老後と言われる年代で「筋肉を鍛える」を実践されている体験談で、そのお身体は、到底、75歳とは思えない、若々しいものでした。当初、長袖・長ズボンでのトレーニングスタイルで話をされましたが、器具使わない簡単トレーニング紹介時から、短いトランクスとタンクトップ姿に変わられたとき、両足の脹ら脛の膨らみ、両二の腕の力こぶの盛り上がりぶりに受講者12名から感嘆の声が上がりました。 ○そのお話で特に印象に残ったのは、筋肉を鍛えているお陰で、身体を動かすことが全く苦にならず、むしろ楽しみとなり、例えば重い荷物を運ぶときなど、この動作はこの筋肉のためになると考え、一般に苦役となる筋肉労働も楽しみになるとのお話でした。但し、どのような動作でも腰をシッカリと入れて腰背筋を鍛えるとのイメージを持って行うことが重要とのことです。へっぴり腰での動作は腰を痛める原因となるからです。 ○そして実際70歳過ぎて重い石を運んで石垣を作る労働をしたことがあり、本来、辛い労働を筋肉を鍛えることを意識して楽しみながらこなしたとのことです。70歳過ぎても足腰が強いので全ての身体動作が機敏に出来、病気にもならず、太らず元気に過ごすことが出来るのは正に筋トレのお陰とのことです。ボディビル選手権に出るなどマニアックにならずとも、筋肉を鍛えることの重要性をシッカリと認識させて頂き、器具を使わない筋トレとしてのスクワット、腹筋運動等のポイントをご解説頂きました。 ○最後に競技としてのボディビルでのポージングを解説付きで実際に見せて頂き、その到底75歳とは思えぬ精悍なお身体をシッカリと拝見させて頂き、私も、藤原勤也さんのような元気な70代になれるよう、地道にトレーニングを続けて行く意識を高めて頂きました(^^)。有り難うございました。 以上:1,608文字
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