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”小山隆市君、阿部健樹君を偲ぶ同年会”開催報告

平成25年 8月18日:初稿
○平成25年8月17日、気仙沼プラザホテルで「”小山隆市君、阿部健樹君を偲ぶ同年会”開催について」で予告していた同年会が開催されました。「小学6年以来お世話を受けてきた友人への感謝とお別れの辞」に記載した平成25年1月14日死去した小山隆市君の葬儀の際に同級生有志が、阿部健樹君など東日本大震災後に死去された同年生を偲ぶ会開催が企画されました。その後、数名の同年生が東日本大震災後に死去されていたことが判明して、小山・阿部君だけでなく、死去された同年生全員を偲ぶ会とすることになりました。

○最初に挨拶に立った臼井真人気仙沼市会議長の報告では、気仙沼中学校昭和42年卒業同年生総数は473名のところ平成25年8月現在合計50名が物故者となられているとのことでした。物故者の割合は10.6%1割強です。我が3年6組は、全41名中男子3名女子2名の5名が物故者となられており、1割強の方が物故者となられています。物故男子3名中2名が私が特に親しくさせて頂き世話になった方であるのが辛いところです。小山隆一君ともう1人の友人は「映画『「おくりびと』を観て-親友A君の思い出3」に記載した方です。48歳の若さでの思いもかけぬ死去で大変辛い思いをしました。小山君は、胃ガン、もう1人は肝臓ガンが死因でした。

○”小山隆市君、阿部健樹君を偲ぶ同年会”には、気仙沼中学同年生の他に気仙沼高校同年生も6名ほど参加して頂き、合計95名の参加でした。平成24年11月3日に123名の同年生が集まって「気中第20回生還暦祝い後1年震災復興支援感謝の集い」を開催して1年も経ない内の開催で90名前後も集まるのは立派なものです。小山隆一君を初め物故者となられた方々の人徳と思われます。

○同年会では,各物故者の思い出の写真を会場の大型スクリーンに映し出した後、各物故者と親しい友人が思い出のスピーチをすることになっており、小山隆一君については、同じクラス代表として私にスピーチをするよう役員の方から指示されていました。口べたな私は、スピーチに代えてフラメンコギター曲でしんみりした曲調の曲を演奏するつもりで、会場にフラメンコギターを持参していました。しかし、スピーチの時点で、会場内は、喧騒の場となっており、中途半端な私のギター演奏では耳を傾けて貰えないと判断して、スピーチに切り替えました。小山君との間には尽きない思い出があり,話す材料は山ほどあったからです。短時間で多くのことを話そうと思う余り、大変な早口となり、私の後に阿部君の思い出を語った同年生から、「亀一君の話は良い話でしたが、余りに早口で半分も判りませんでした。」とズバリ指摘されてしまいました(^^;)。

○「折角、ギターを持参してきたのだから、何としても1曲くらい演奏しろ」と誰かから強く言われたら、演奏する心づもりではいたのですが、結局、誰からもそのような声はかからず、折角、持参したギターを演奏する機会はありませんでした。私のギターを聴きたいと期待してくれる方が誰も居なかったのです(^^;)。私のスピーチの後は、数十年ぶりに会う思いもかけない気仙沼中学や気仙沼高校同年生に声をかけられ、思い出話に花が咲き、また、会場にいる昔懐かしい同年生を見つけては、声をかけて歩き、中には、このHPを毎日見ていると声をかけてくれる同年生も何人か居て、大変楽しい同年会となりました。良く毎日書き続けるものだと感心していますなんて言われて、単純な私は嬉しくなりました。

○二次会も誘われましたが、場所は大きなクラブのようでした。補聴器をつけて大音量攻勢を受ける辛さもあり、また、3時間近く1人で自動車を運転して来た疲れが出て、体力の限界を感じ、二次会出席を避けて1人宿舎のホテルに戻りました。しかし、同年生との語らいは楽しいもので、このような機会があったら,今後も参加し続けたいと思った次第です。
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