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小学6年以来お世話を受けてきた友人への感謝とお別れの辞

平成25年 1月15日:初稿
○平成25年1月14日は、その日の更新情報「私が熱中した舟木一夫氏歌唱は舟木カット時代2」で紹介した「はるかなる山」の2番の歌詞
こころの怒り 思いきり
叫べば 叫べば かえるあのこだま

の心境で、一日中涙がこみ上げ仕事も手に付かない状況した。

○小学校6年生の時初めて同じクラスになって以来、心から信頼し畏敬していたA君が、平成25年1月14日早朝午前3時56分、逝去され、世の理不尽に対する怒りと悔しさのためでした。前日、13日、危篤の情報を受け、A君の住む郷里気仙沼の市立病院に向かい、既に意識がなくなっているようにも見えたA君に感謝の念を伝えてきました。

○A君は、「世のため人ためになろうなんて気持はこれっぽっちもない」私とは、正反対で、正に「世のため人のために真摯に且つ謙虚に生きてこられた方」でした。いつも、表だったトップに立たず、裏方・事務方に徹して、地道に確実に我々同年生に限らない周囲の人々のために尽力されてきました。

○そのA君に私は、これまで筆舌尽くせぬお世話になってきました。私は、大学卒業後、郷里気仙沼で2年半受験勉強を続けましたが、当時、既に気仙沼で4代続く老舗菓子店の若旦那として、菓子店の他にユニークなコーヒー山荘を経営されるなど活躍されていました。受験勉強中の私を励まし頂き、合格したときは、我がことのように喜び、中学・高校の同年生に声がけして40人以上も集めて盛大な合格祝い会を開催してくれました。

その時の記念写真です。私とA君以外は肖像権を考慮してモザイクにしました。


○弁護士になってからも、A君のご家族の交通事故から始まり、A君の親戚・知人の問題等随分勉強になる仕事も紹介して頂き、大いに助けられ、私の気仙沼での結婚式、私の父葬儀等でも色々お骨折り頂き、公私共にお世話になりっぱなしでした。そのA君、東日本大震災後しばらく連絡取れずやきもきしていたら「大地震発生後8日目ーようやく郷里気仙沼との連絡つく」記載の通り、携帯電話が繋がると直ぐにA君の方から事務所に電話を頂き、心配していた他の同年生等の無事を知らせてくれました。

○A君自身は、店も自宅も流され、悲惨な状況となったにも拘わらず、不屈の精神で震災から5ヶ月後には他の場所で菓子店の復活を果たし、これからだという平成24年2月、数ヶ月ぶりにA君の店を訪れた私は、A君の健康状態に異変を感じ取り、ずけずけと意見をしてしまい、しばらく、メールで健康談議を続けました。4月下旬、A君から胃ガンが発見され、胃の全摘手術をするとの連絡を頂いたときは仰天しながらも、これでA君の身体から厄介者を摘出し、健康体に戻って欲しいと心から念願しました。

○胃ガン摘出術後、A君は厳しい抗癌剤治療の様子を自ら主催するサイト気仙沼ネットデリバリーに掲載してくれましたが、ついに力尽きて帰らぬ人となりました。痛恨の極みです。A君から、「震災後、胃痛に悩まされてその薬も処方して飲んでいます。」とのメールも貰っています。大震災の激動の中、精密検査をする余裕もなく、大震災で店も家も失うとの甚大なストレスが、知らず知らずガンを増殖させたものと思われ、A君は、大震災の犠牲になったとも言えます。

○その理不尽に怒りがこみ上げましたが、息子さんのブログによると「苦しむことなく、家族看取られて幸せな旅立ちでした。」とのこと。今はガンによる痛み等の苦しみから解放され、ゆっくりお休みしていることと思います。
A君、貴君から頂いた数々のご恩は決して忘れません。安らかにお休み下さい。
以上:1,456文字

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