令和 6年 4月 8日(月):初稿 |
○令和6年4月7日(月)夕方、DVDで購入したばかりの映画「名もなく貧しく美しく」を鑑賞しました。1961(昭和36)年、私が小学5年生の時制作された映画で、公開当時観たような記憶があるかどうか、曖昧な映画でした。何かの拍子でもう一度観てみたいと思ってAmazonでBDを探したのですが、DVDしか発売されていませんでした。聾唖者夫婦の苦労物語という概略は知っていましたが、内容は殆ど覚えていませんでした。聴覚障害者の端くれである私もどのように感じるか鑑賞してみました。 ○DVD映画なので映像は劣化したままと思いながら鑑賞を始めると、案の定、オープニング映像には雨の縦線がいっぱい入っていました。しかし、映画開始当初入っていた雨の縦線は物語が始まると消えており、まずまずの映像でした。冒頭は1945(昭和20)年6月の東京大空襲から始まりましたが、焼夷弾による火災、飛行機からの機銃掃射の連続で正に米軍による民間人大虐殺であり、現在のガザ地区でのイスラエル軍の虐殺を思い起こしました。イスラエル軍は、これほどひどいかどうかは分かりませんが、人間を虫けらの如く扱う戦争の悲惨さを痛感させるものでした。 ○「つんぼ」、「おし」、「片輪者」等現在では表現禁止の差別用語のオンパレードで、今の時代はこのような映画は作ることができないだろうと思いながらの鑑賞でした。高峰秀子氏演ずる主人公は3歳時の発熱で聴力を失い、言葉は少しは話せますが、小林桂樹氏演ずるその夫は先天的聾唖者で口話も出来ません。夫婦のコミュニケーションは手話のみで、中途半端な聴覚障害者である私にとっても、身につまされるところあり、物語の進行当初から、涙涙の連続でした。 ○夫婦の間の一人目の子どもは、聾者夫婦故の事故で生まれて間もなく失います。しかし、二人目の子どもは、耳も聞こえて幼児時代は順調に育ちますが、小学に入る頃になると、聾者の母高峰秀子氏を疎んじるようになり、特に母子の間に深い溝ができます。さらに自分の身内である実弟からのひどい仕打ちに生きる望みを失い、書き置きを残して電車にのった高峰秀子氏を追いかけて、車両を跨いでのガラス越しの2人の手話による会話のシーンは、ただただ涙でした。 ○高峰秀子氏は、映画「張込み」以来の鑑賞ですが、本作での聾者の演技には圧倒されました。美しさだけでなく演技力も凄い、正に昭和を代表する女優と実感しました。「世間の人は私達に同情はしてくれても理解してはくれません」との言葉は、中途半端な聴覚障害者である私にも実感できる言葉でした。YouTube動画予告編は 名もなく貧しく美しく - Na mo Naku Mazushiku Utsukushiku [Happiness Of Us Alone] - Train Scene 以上:1,156文字
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