令和 4年 7月25日(月):初稿 |
○「大相撲令和4年七月場所14日目観戦-正代関に座布団飛ぶ」を続けます。令和4年7月24日(日)は、午後4時30分頃から、TVで大相撲を観戦しました。逸ノ城・宇良戦は、危なげなく逸ノ城関が勝ち、あとは、照ノ富士関と逸ノ城関の優勝決定戦と思っていました。ところが、照ノ富士・貴景勝戦は、貴景勝関が意地を見せて照ノ富士関を破り、あっさり、逸ノ城関の初優勝が決まりました。 ○逸ノ城関は、初入幕の平成26年秋場所で、当時の大関稀勢の里、豪栄道、横綱鶴竜を撃破し、横綱白鵬に敗れ、100年ぶりの新入幕優勝こそ逃しましたが、13勝を挙げて殊勲、敢闘賞を受賞し、怪物と呼ばれ、当時は、誰もが、逸ノ城関は直ぐに大関・横綱になるだろうと予想しました。 ○日刊スポーツの「逸ノ城、新入幕V争いから8年で悲願初優勝 周囲の支えでけがやコロナ禍乗り越え次の目標は大関」によると、「新入幕の14年秋場所で白鵬と優勝を争ってから8年。回り道をしながら、やっと頂点にたどり着いた。」、「その衝撃的な幕内デビューがあだとなる。テレビ出演などが重なった疲労で、ストレスから帯状疱疹(ほうしん)を発症して入院。歯車が狂い始める。その後は腰のけがなどに苦しむ。勝ち越しと負け越しを繰り返し、三役に定着できない。19年に2度目のヘルニアを発症した時には歩けないほどまで悪化した。」とあります。 ○逸ノ城関、恵まれた体格で直ぐに横綱まで上がると思っていたのが、病気やケガで苦しんできたとのことです。既に29歳とのことですが、優勝をきっかけに再度、大関横綱を目指して奮闘して貰いたいものです。 ○令和4年七月名古屋場所は、13部屋でコロナ感染し、力士約620人のうち約170人が休場し、十両以上は戦後最多の23人が休場したとのことです。御嶽海・高安関等多くの幕内力士が休場しています。 以上:762文字
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