平成30年 2月 5日(月):初稿 |
○「昭和の仙台駅と現在の仙台駅画像紹介」に予備校・大学時代は仙台から郷里気仙沼への移動は、ヤマハAT125で行っていたと記載していました。このヤマハAT125ですが、平成30年現在も中古品が売られているのには驚きました。 ○「ジモティー」というサイトの愛知版「値下げしました。ヤマハ AT125 実動 旧車ファン、又はマニアの方ご検討下さい。」とのページでは、製造年度は1970年(昭和45年)頃とされており、私がヤマハAT125を購入したのも、昭和45年3月だったと記憶しています。当時、宮城県庁の近くにあったバイク専門店で購入した記憶があります。仙台の文理予備校に入学することが決まり、父親から出して貰ったお金で新車を現金一括払いで購入しました。 ○私が通学した気仙沼高校は自宅から徒歩で50分程かかる距離にあり、その通学時間がもったいないと考えて、高校1年の誕生日を過ぎて16歳となった秋に初めて原付自転車運転免許試験を受け、当時、2万円くらいの中古のホンダカブ50cc車を購入して、バイク通学となりました。徒歩50分の通学時間がバイクだと10~15分に短縮されました。 ○ホンダカブにしばらく乗っていると2人乗りが出来る自動二輪免許が欲しくなりました。当時、確か、原付自転車免許は学科だけでした。しかし、自動二輪は、50ccを超えるだけで、今のように排気量で細かく分かれておらず、クラッチ付きバイクでの実技試験があり、クラッチ操作に慣れる必要がありました。「運転免許証の歴史」によると昭和40年から昭和47年までは、二輪免許は、原付と二輪だけになっています。 ○そこで確か高校2年の冬と記憶していますが、50ccでクラッチ付きスズキバイクを所有していた従兄弟にお願いして、私の所有しているクラッチのないホンダカブと一時期交換して貰いました。この50ccクラッチ付きスズキバイクにしばらく乗ってクラッチ操作に慣れた頃、高校3年になってからと記憶していますが、自動二輪免許試験に挑戦しました。学科は1回目で合格しましたが、実技試験で不合格になり、実技試験は2回目で合格したと記憶しています。当時、自動二輪免許は18歳からだったような記憶もあり、だとすると高校3年の8月5日以降に受験したはずです。 ○遅くても高校3年の秋には念願の自動二輪免許を取得していましたが、初めて二人乗りができる自動二輪バイクを購入した記憶が曖昧です。文理予備校入学が決まった昭和45年3月、仙台でヤマハAT125を購入したのが初めての二人乗りバイクだったかも知れません。 ○予備校・大学時代の仙台での5年間は、このヤマハAT125をフル活用して活動していました。通学は、勿論、2件週4回こなしていた家庭教師アルバイト通勤、その他のアルバイト通勤、郷里気仙沼への移動等にヤマハAT125を利用し、荷台には雨合羽を常時積んで、雨の日も風の日も常にこのバイクを利用し、正に、生活必需品となっていました。折角の二人乗りバイクなのに殆ど一人でしか乗れなかったのが、心残りでした(^^;)。 以上:1,266文字
|