平成30年 2月 4日(日):初稿 |
○郷里気仙沼同郷で気仙沼小学校・中学校・高校と12年間同学年ながら一度も同じクラスになったことがない小田明紀さんのブログ「気中20+PLUS」の平成30年1月30日付記事で「昭和の仙台駅風景」を紹介されていました。「ウィキペディアで調べてみると、この駅舎は1949年(昭和24年)に竣工しています。1972年(昭和47年)まで使用されました。」とのことです。 ○私が初めて仙台を訪れた記憶は、定かではありませんが、確実に記憶があるのは、昭和38年小学校6年生時の修学旅行で、青葉山公園等を訪れたことです。このとき気仙沼から仙台までの交通手段がバス、電車のいずれかだったかは記憶がありません。電車だったら仙台駅を通ったはずですがこれも記憶がありません。 ○私が仙台に定住したのは文理予備校に通学を始めた昭和45年3月からで、以来、昭和50年3月まで浪人・大学時代5年間仙台で過ごし、昭和50年3月~昭和53年3月まで3年間郷里気仙沼に戻り受験勉強を続け、昭和54年4月から司法研修所入所で千葉県松戸市の寮に入り、同年7月25日頃実務修習を仙台地方裁判所で受けるため仙台に戻りました。 ○昭和54年7月25日頃、太白区鹿野1丁目の現在はラーメン屋になっている当たりに建っていた6畳一間賃料月額2万6000円のアパートに住み始め、同アパートには、現在事務所のある同じマンション12階に移る昭和56年1月まで1年6ヶ月住んでいました。 ○以下の昭和の仙台駅は昭和47年まで使用され、同年東北新幹線開業に伴う駅舎新築のため西口駅前広場に仮駅舎が設置され、昭和52年に新駅が竣工されたとのことです。私の浪人時代1年・大学生時代4年の5年間は昭和の仙台駅でしたが、その姿は殆ど記憶にありません。当時、気仙沼等への移動は、ヤマハバイクAT125で行っていたため電車に乗ることが殆どなかったので仙台駅に行くことも殆どなかったからです。 昭和の仙台駅 平成30年現在の仙台駅 以上:816文字
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