平成27年 3月10日(火):初稿 |
○「ビクトル・モンヘ・セラニートの音楽の魅力は」に「セラニートに関しては,何となく普通の人に近い、普通の人が大変な努力をして,あれだけの音楽を作り上げたという感じで、パコのように雲の上の人で、到底近寄れないと諦めさせない、何か人間的な魅力を感じてきました。」と記載していました。 ○「セラニート」とは、「ビクトル・モンヘ・セラニート」氏のことです。パコ・デ・ルシア氏に比べると全く地味で一般の方には殆どなじみのないフラメンコギタリストです。スペイン人フラメンコギタリストで、私が最初に大ファンになったのは高校時代にLPレコードを購入した、サビーカス氏ですが、次に、パコ・デ・ルシア氏、3番目がセラニート氏でした。 ○私が学生時代、パコ・デ・ルシア氏のLPレコード曲で演奏に挑戦したのは、比較的シンプルで簡単な、エステバン・サンルーカル氏作曲「パナデロス・フラメンコス」だけでした。「エルテンプル」、「ルシアのグアヒーラス」等は憧れに憧れた曲ですが、単に聴いただけでした。「エルテンプル」はエンディングに連なるスケール部分の一部を真似事で少しばかり練習しましたが、今思うと全く不正確でいい加減なものでした。 ○実は、学生時代一番練習したのが、最初のフラメンコギター師匠相崎勝利氏が採譜したサビーカス氏とセラニート氏の曲でした。パコ・デ・ルシア氏の曲は、正に機銃掃射みたいな桁外れの速いスケールを弾けるはずがないと諦めた面があったからです。セラニート氏の曲で一番熱心に練習したのが、ブレリアスと言う曲種の「ヘレスのフラメンコ」でした。「フラメンコ・ギターの光と影」と題したセラニート氏の最初のLPレコード冒頭曲として収録されています。 ○このセラニート氏の最初のLPレコード「フラメンコ・ギターの光と影」(録音は1965年頃、セラニート23歳頃)が最初に発売されたのは昭和42(1967)年ですから私が高校1年のときです。私が購入したのは、昭和46(1971)年6月頃で、コロンビア・フラメンコ・アンコール・シリーズとして再発売されたものでした。セラニート氏の2枚目のレコードは、「フラメンコ・ギターの若獅子」(録音は1968年秋、セラニート26歳)と題したLPレコードで、日本では昭和45(1970)年4月発売でしたが、私は昭和46年6月頃、「フラメンコ・ギターの光と影」と併せて購入したように記憶しています。 ○「フラメンコ・ギターの若獅子」と題したLPレコードの濱田滋郎氏の解説では、セラニート氏について「現代スペインにおける若手フラメンコ・ギタリスト中のホープといえば、まず指を折られるのが”セラニート”ことビクトル・モンヘです。彼に匹敵する名声を持っているのは、ほかにはパコ・デ・ルシアぐらいなものでしょう。」、「この天才奏者の生まれた日付は1942(昭和17)年7月16日、ところはマドリードです。ギターを手にしたのは9歳のころ、そして3年後には公開演奏ができるほどの腕前になっていました。」とされています。 ○パコ・デ・ルシア氏は、昭和22(1947)年12月21日生まれですから、昭和17年7月生まれのセラニート氏は、パコ・デ・ルシア氏の5歳年上になり、現在、72歳になっています。最後の来日は、「第2回カディスの赤い星コンサートを観て2」記載の通り、平成21年3月です。当時、セラニート氏は66歳でパコ・デ・ルシア氏が死去した年齢と同じ年齢時でした。 ○この平成21年3月セラニート氏最後の来日演奏には大いに期待して、東京都の草月会館草月ホールに足を運びました。しかし、66歳という年齢のせいか、「これまでTVやビデオで観た機械のように正確無比なものではなく、何となくヨタヨタした感じ」の演奏で、期待は裏切られてしまいました。私のフラメンコギター師匠岡弘祠先生の話では、長年フラメンコギターを毎日長時間弾き続けていると腱鞘炎になるなど、60代に入れば指の動きが鈍くなって当然とのことでした。現在、このセラニート氏の全盛時YouTube動画を探していますが、パコ・デ・ルシア氏に比較すると圧倒的に少なく、余り見当たりません。少しずつ整理していきます。 以上:1,716文字
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