令和 4年 7月14日(木):初稿 |
○限定承認を検討している事案があります。「限定承認の基礎の基礎-注意すべきは第935条」に記載した通り、以下の民法第935条が気になっています。 第935条(公告期間内に申出をしなかった相続債権者及び受遺者) 第927条第1項の期間内に同項の申出をしなかった相続債権者及び受遺者で限定承認者に知れなかったものは、残余財産についてのみその権利を行使することができる。ただし、相続財産について特別担保を有する者は、この限りでない。 ○この公告期間内に申出をしなかった相続債権者が、限定承認者に対し、被相続人の残余財産のみに権利を行使するために訴え提起して判決になった事例を探したところ1件だけありました。昭和40年3月29日横浜地裁判決(判タ178号154頁)です。被相続人が支払義務を争つていた手形の所持人を民法927条2項・79条3項にいう「知レタル債権者」に当たらないとした事案です。 ○以下、全文を紹介しますが、「(被相続人)亡Aの相続財産中民法935条所定の残余財産の限度」で支払えとの条件付判決になります。判決を得ても執行は難しそうです。 **************************************** 主 文 原告に対し 被告Y1は金16万6666円、 被告Y2、Y3、Y4、Y5、Y6は各自金5万1282円、 被告Y7、Y8、Y9は各自金2万5641円、 および右各金員に対する昭和37年4月25日から支払ずみまで年6分の金員を亡Aの相続財産中民法935条所定の残余財産の限度で支払え。 原告その余の請求を棄却する。 訴訟費用は10分し、その9を原告の負担、その1を被告等の連帯負担とする。 この判決の第1項は仮りに執行することができる。 事 実 原告訴訟代理人は、原告に対し、被告Y1は金16万6666円、被告Y2、Y3、Y4、Y5、Y6は各自5万1282円、被告Y7、Y8、Y9は各自2万5641円および右各金員に対する昭和37年4月25日から支払済まで年6分の金員を支払え。訴訟費用は被告等の連帯負担とする旨の判決と仮執行の宣言を求め、請求の原因として 一、訴外亡Aは生前の昭和37年1月27日訴外Bに宛て、金額50万円、満期同年4月25日、支払地振出地とも横浜市、支払場所株式会社D銀行の約束手形一通を振出し、原告は右Bから同手形の裏書譲渡をうけ、現にその所持人である。仮りに、右手形が受取人白地で振出されたとすれば手形を取得し、かつその補充権を与えられたBがこれを右のように補充した。 二、原告は右手形を満期に支払のため、支払場所で呈示したが、支払を拒絶された。 三、振出人Aは昭和37年7月18日死亡し、同人の妻である被告Y1、同嫡出子である被告Y2、Y3、Y4、Y5、Y6、同非嫡出子の被告Y7、Y8、Y9は右手形債務を法定の相続分に応じ相続により承継した。 四、よつて、被告らに対し、右相続分に応じた手形金と、これに対する満期から支払済まで、手形法所定の年6分の利息の支払を求めるため、本訴に及んだ、 と述べ、 被告等訴訟代理人は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする、との判決を求め、 一、原告主張の請求原因1項の事実中、亡Aが原告主張の約束手形を受取人白地のままで作成したこと、原告が現にこれを所持していることは認めるが、訴外Bにあて振出または交付し同人がこれを取得したとの点は否認する。同2項は認める。同3項中、Aが原告主張の日に死亡し、その妻、嫡出子、または非嫡出子である被告等が相続により同人の権利義務を承継したことは認める。 二、右の手形は、Aが金融をうけるため訴外C株式会社に受取人白地のまま交付したところ、金融をうけないうちに同会社の取締役であつた訴外Bがこれを盗み出し、原告会社に裏書交付したもので、当時原告はBが右のようなやり方で手形を取得したことも知つていたから、原告は正当な手形所持人ではない。 三、被告等はAの死亡後法定の期間内の昭和37年10月10日共同して横浜家庭裁判所に対し財産目録を提出し、限定承認をする旨の申述をし、同年同月31日これを受理せられるとともに、被告Y3が相続財産管理人に選任された。 原告は前記のように正当な手形所持人ではなく、仮りにそうでないとしても、被告等は原告が正当な手形債権者であることを知らなかつたので個別の通知をして債権の申出を催告することはなかつたが、管理人は就任後遅滞なく同年11月10日発行の官報に「相続人等が限定承認をしたから、債権者受遺者はその翌日より2月以内に申出られたく、期間内に申出がなければ弁済より除斥する」旨を公告したが、原告は期間内に債権の申出をしなかつたため、本件手形金債権は弁済より除斥されることとなつた。なお、相続財産は資産1億6632万5174円であるに対し債務1億9566万0164円であるから、残余財産を生じる見込もない。 四、仮りに、原告の債権が除斥せられないとしても、被告等は前記限定承認により、相続財産の限度においてのみ支払の義務があるにすぎない。 と答え、 原告訴訟代理人は、被告等の右答弁に対し 一、原告が本件手形の悪意の取得者であるとの点を否認する。訴外Bの手形取得に被告等主張の不法な行為があつたとしても、原告はこれを知らず、重大な過失なくして取得したから、正当な所持人である。 二、被告等主張のような公告が官報に掲載されたこと、原告においてその催告期間内に本件手形債権の届出をしなかつたことは認めるが、被告等は相続財産の一部を処分したから単純承認をしたものとみなされ、限定承認の申述は効力を生じない。 すなわち、亡Aは、本件手形の支払を拒絶する際、銀行取引停止処分を免れるため、支払場所のD銀行を通じD銀行協会に保証金50万円を寄託したが、A死亡後2日目の昭和30年7月20日被告等は右寄託金を取戻し、これを処分した。 三、のみならず、被告等は原告が本件手形債権を有することを知つていたから、原告において公告の期間内に債権の申出をしなくとも、この債権を弁済から除斥することはできない。 と再答弁し、 被告等訴訟代理人は、右再答弁事実に対し、 本件手形の支払を拒絶するにつき、銀行取引停止処分を免れるためD銀行に寄託した50万円は、Aがこれより先の昭和36年3月10日同銀行から金450万円を弁済期同年5月31日の約で借受け弁済をしないでいたため、同銀行は昭和37年8月10日内容証明郵便により、被告らに対しこれらの債権債務を対等額で相殺する旨の意思表示をした。このように、右寄託金50万円は被告等が取戻したことはなく、同銀行の相殺の意思表示により消滅したものである、 と述べた。 立証〈省略〉 理 由 一、訴外亡Aが生前本件約束手形を受取人白地のままにして作成し、金融をうけるために訴外C株式会社に交付したことは被告等の認めるところであるから、右は反証のない限り、受取人の記載補充をC株式会社またはその後の手形取得者にまかせる趣旨で同手形を流通においたものとみられる。したがつて、この手形の振出行為には欠けるところがなく、その後、被告等主張のように盗まれたにせよ、振出行為が不成立または無効となるものではない。 二、甲第1号証の本件手形、真正に成立したものと認める甲第2号証と口頭弁論の全趣旨によれば、訴外Bにおいて右受取人として自己の氏名を補充し、かつ、被裏書人白地のままでこの手形を原告に裏書譲渡したことが認められ、この手形を現に原告が所持することは当事者間に争いがない。 被告等は、この手形は金融をうけるため交付しておいた訴外C株式会社で盗まれたものであり、原告はこの事情を知りながら手形を取得したと抗弁するがそのような事実を認めるに足る証拠はない。したがつて、裏書の連続があることにより原告は適法の所持人とみなさるべきであるし、仮りにC株式会社で手形を盗み出された事実があつたとしても、原告の悪意または重過失の立証がない本件では、手形法77条1項1号、16条2項により、原告が手形上の権利を取得する点においては右と変りがない。 この手形が満期に支払場所で呈示されたのに、支払を拒絶されたことは真正に成立したものと認める甲第1号証の付箋によつて明らかである。 三、とすれば振出人のAは右手形金と満期の日から支払ずみまで手形法所定の年6分の利息を支払う義務があるが同人が、原告主張の日に死亡し、被告等はその妻、嫡出子または非嫡出子として法定の相続分、すなわち妻は3分の1、その余を嫡出子は平等の割合、非嫡出子は嫡出子の2分の1の割合で同人の権利義務を相続したこと、は争いがなく、成立に争いがない乙第1号証によれば、被告等がその主張するように、横浜家庭裁判所に限定承認の申述をしこれを受理せられ、被告Y3が相続財産管理人に選任されたことが認められる。 原告は、被告等がAの遺産であるD銀行に対する寄託金を取戻し処分したから右限定承認は無効であると主張するが、成立に争いない乙第4、5号各証によると、右寄託金は、被告等がいうように、D銀行に対するAの450万円の債務と相殺せられて消滅したことが認められ、被告等が取戻す余地のないことが明らかであるから、右主張は採用しない。 すると、他に特段の事由がない限り、前記限定承認は有効といわなければならない。 4、相続財産管理人である被告Y3が官報による公告で被告等主張のような債権者受遺者申出の催告をしたこと、ただし、原告に対し個別の催告はしていないことは争いがない。 前記乙第4、5号各証と証人Eの証言によれば、被告等相続人は、おそくとも、昭和37年8月10日付内容証明郵便により前記D銀行が発した相殺通知書中の記載で原告が本件手形の所持人であることを知つたものと認められる。 しかし、前記甲第1号証の付箋、証人Eの証言、被告Y3本人尋問の結果により成立を認める乙第6、7号証と同尋問の結果によれば、Aは、「訴外F株式会社代表取締役Gを介し、前記C株式会社に500万円の金融を依頼し、昭和37年1月27日本件手形を含む金額50万円の約束手形10通を交付したところ、約旨の期限である同月末日を経過しても、金融をうけられず、種々交渉の結果、同年2月20日他の9通の手形は返還されたが、本件手形は返還されず横領された」と主張して、同年4月10日上野警察署に告訴状を提出し、C株式会社代表取締役Hと同会社常務取締役Bの処罰を求めていたもので、本件手形の満期にあたつても、支払場所のD銀行に「手形を詐取された」ことを理由に支払拒絶の手続をとり、取引停止処分を防止するため手形金額に相当する金50万円を同銀行に寄託し、終始本件手形については支払義務がない、との態度をとつていたことが認められる。 このようなAの態度は、手形所持人が原告であり、かつ、本件口頭弁論における双方の主張立証の限りでは誤りとするほかはないこと前記のとおりであるけれども、被相続人が手形債務を争つている以上その相続人もまたこれにならうのはやむを得ないことで、その限定承認にあたり、原告を債権者と認めず、これに個別の債権申出催告をしなかつたのを咎めることはできない。民法927条2項、79条3項にいう「知れたる債権者」とは、相続人が債権者と認めている者を意味し、相続人が認めない原告のような債権者には、個別に債権申出を催告する必要はない、と解すべきである。 五、すると、原告が公告の催告期間内にその債権の申出をしていないことは争いがないので、民法935条により原告は、(一)催告期間内に申し出た債権者受遺者、(二)申出でなくとも相続人に知れた債権者受遺者、(三)特別担保権者に弁済した残りの財産についてのみその権利を行うことができるにすぎない。 被告等は、Aの相続財産は資産1億6632万5174円であるのに、債務1億9566万0164円であるから、右の残余財産を生じる見込がない、と主張し、証人Eはほぼこれにそう証言をするが、右証言だけではその主張事実を確認するに足らないし、残余財産が生ずるか否かは資産換価の巧拙、物価の変動等により影響を免れず、何人も適確には予測できないことでもあるから、右の程度の予測をもつて前記原告の権利を否定すべきではない。 6、よつて、原告の本訴請求は、右残余財産のある限度で正当であるからこれを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用につき民訴法89条、92条、仮執行の宣言につき同法196条を適用し、主文のとおり判決する。 (裁判官 森文治) 以上:5,147文字
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