令和 6年12月15日(日):初稿 |
○「小林吉弥氏著”田中角栄 気くばりのすすめ”紹介」に「残念ながら肝心の「田中角栄 私の履歴書」は持っておりません。Amazonで検索すると出てきますが、定価320円のところ中古品50万円で、貧乏な私にはとても手が出ません(^^;)。」と記載していました。「田中角栄 私の履歴書」は、1966(昭和41)年5月1日発行とのことで、令和6年(昭和99)年は50年以上経過していますが、ネットのどこかに掲載されていないか探しました。 ○日経新聞の「日本経済新聞名物コラム 偉人名言で振り返る 私の履歴書バックナンバー」にアイウエオ順にバックナンバーが掲載されています。「た」行をみたのですが、残念ながら「田中角栄」は掲載されていませんでした。政治家では中曽根康弘元首相の1992(平成4)年1月掲載「私の履歴書」がありました。その中の第24回(田中元首相――「同級闘争」と協力と)に田中角栄氏に関する記述がありました。以下、その記事の田中角栄氏部分引用備忘録です。 ・田中角栄元首相と中曽根氏の関係は同級闘争 ・田中氏と中曽根氏は同じ大正7年5月生まれ ・ともに自我と直感が強く、弁舌逞しく行動的 ・初当選直後民主党総裁選では田中氏は幣原喜重郎、中曽根氏は芦田均を支持 ・代議士会では双方が立って、毎度大論戦 ・田中氏は鳩山内閣日ソ国交回復の頃までは表面に出ず事業・政治双方で地盤を築く ・岸内閣で田中氏は保守本流でめきめき頭角を表し、中曽根氏は保守傍流で冷や飯食い ・昭和47年佐藤長期政権後継問題が浮上し人心一新には田中角栄氏が適当 ・中曽根氏は最終的に日中国交回復を条件に田中氏を支持し総裁選立候補を辞退 ・田中氏が総裁に選任され内閣総理大臣就任 ・その10年後田中氏の全面的支援もあり中曽根氏が総裁・内閣総理大臣就任 ・田中氏は隣近所や町内会の祭り、税務署から交通安全協会にまで気を配り、個人商店を一部上場大会社に発展させるような処世知の豊かさと凄まじい行動力 ・両者に共通するのは旺盛な国家意識で、相手の実力に敬意を表し、いかなる時にも心の通じる盟友 ・中曽根氏の言葉「政治家は水すましのごとき、大きな川の流れに流される、昨日の敵は明日の味方、政界に絶対は無い、その余裕で付き合うべし」 ・田中氏という畏友は政界第一線を引いたが、今後の人生の平安を切に祈る 以上:963文字
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