令和 3年 7月26日(月):初稿 |
○「東京オリンピック2020開幕雑感-柔道競技で金・銀の違い実感」の続きで、令和3年7月25日(日)も、TVで多くのオリンピック競技を観戦しました。 ○仙台のTV放送でのオリンピック放映は、3チャンネルNHK第一、2チャンネルNHK第二、5チャンネル東日本放送の3チャンネルです。令和3年7月25日(日)は、卓球混合ダブルスから観始めましたが、接戦ハラハラの連続で心臓に悪いなと感じながらの観戦でした。夕方たまたま2チャンネルNHK第二に合わせると以下の紹介記事の男子61㎏級ウエイトリフティング競技が始まるところでした。ウエイトリフティングTV観戦は数十年ぶりです。 ○57年前昭和39年東京オリンピックで三宅義信選手が出場し、男子フェザー級で日本選手初の金メダルを獲得した時のことは覚えていますが、良く覚えているのは最後にジャークで152.5㎏を挙げた瞬間くらいです。当時のウエイトリフティング競技は、スナッチ・プレス・ジャークの3種目での合計重量を競うものでしたが、いつの頃か、プレスが判定が難しいとのことで除外され、現在はスナッチ・ジャークの2種目になっています。 ○糸数陽一氏出場男子61㎏級は最初から最後まで観ましたが、感じたのは怖さでした。100数十㎏のバーベルを持ち上げ、失敗してバーベルを落下させることがしばしばありましたが、よく肩や腰を壊さないものだと感心しました。私も中学2年頃から、三宅義信選手の影響を受け、手製のコンクリートバーベルで重量挙げの真似事をするようになっていました。当時、ジャークで50㎏台、プレス40㎏台、スナッチ30㎏台を挙げていたように記憶していますが、定かではありません。オリンピックなんて夢のまた夢の記録です(^^;)。 ○スナッチが一番難しかったと記憶していますが、糸数選手出場競技は、怖さを実感しながらの観戦でした。選手はしばしば失敗して100数十㎏のバーベルが落下し、バーベルが台上を軽々と飛び跳ねますが、選手が怪我をしないのが凄いと感じました。失敗したときに如何に怪我なく逃げるかの技術の習得が先ず重要と感じました。 ○三宅義信氏が、60年に一人の逸材という宮本昌典選手出場は男子73㎏級で、7月28日(水)午後と夜に放映されますので、是非、観戦しようと思っております。 ******************************************** 糸数陽一2大会連続4位「神の島」生まれの島人は惜しくもメダルならず 日刊スポーツ[2021年7月25日18時9分] <東京オリンピック(五輪):重量挙げ>◇25日◇男子61キロ級◇東京国際フォーラム 糸数陽一(30=警視庁)は惜しくもメダルを逃した。 16年リオデジャネイロ五輪に続く4位。沖縄で「神の島」と呼ばれる久高島生まれ。島民200人ほどの小さな島の自然で培った肉体で、母国でバーベルを挙げた。「約15年間やってきて、すべての思いをぶつけたい。リオでは4番、悔しい思いをしたので、しっかりメダル獲得をしたい」と誓った集大成の舞台で、悲願の表彰台には届かなかった。 スナッチの1本目130キロでいきなり尻もちをついて失敗した。「コロナの前は体調も調子も良くて、このままなら最高のパフォ-マンスが出せると思っていた。コロナの影響で伸びて、年齢も今年30になった。少し痛いところも増えてきた。減量も苦しくなってきた。1年は長かった」。そう語っていた現状の苦しさがにじむようだった。 だが、そこで折れなかった。続く2本目で130キロを挙げると、3本目は「うーりゃ!」と133キロを挙げて、スナッチを終えて3位。ジャークも一本目の158キロを落としてから、1キロ増やした159キロを成功させる意地の1本。3本目は162キロを選び、挙げればメダルに近づく1本で、失敗となった。 「沖縄の方々や、たくさんの人に支えられて、15年目。苦しい中でもたくさんの応援が活力になり、この舞台に立てました。恩返しの意味を込めて最高のパフォーマンスをしたい」。力いっぱい戦った。 以上:1,668文字
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