平成31年 4月30日(火):初稿 |
○平成31年4月30日平成最後の日を迎えました。昭和64年1月7日、昭和最後の日を思い出します。「天皇陛下『象徴の務め難しくなる』お言葉全文-記憶にとどめます」に記載したとおり、昭和63年9月、昭和天皇のご容態が悪化してからは、連日、その状況が報道され続け、全国に「自粛」ムードが広がり、日本全体が重苦しい雰囲気となり、逝去された昭和64年1月7日はその頂点に達しました。報道は天皇逝去一色となり、テレビ番組は追悼番組一色となり、多くの人がレンタルビデオ店に殺到したとのことです。 ○昭和64年1月7日の「昭和」から「平成」への改元劇は、「平成」から「令和」のようなお祝いムードは殆どありませんでした。予想されていたことですが昭和天皇逝去による自粛ムードはしばらく続いたと記憶しています。昭和天皇容態悪化による過剰な自粛ムードによる国民生活への影響を、当時、皇太子だった平成天皇は強い懸念をもったとのことです。 ○「天皇陛下『象徴の務め難しくなる』お言葉全文」には、「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。」と述べられています。 ○「天皇陛下『象徴の務め難しくなる』お言葉全文」は、「生前退位」を強く望むお気持ちを表明したものですが、「憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。」との理由で「退位」と言う表現は全くありません。天皇制を重んずる保守派の方々には、「生前退位」なんてとんでもないとの意見が強かったのですが、「平成」から「令和」への改元劇を見て、「国民の理解」を得て、200年ぶりに「生前退位」を実現した平成天皇は、極めて賢明な方だと実感しています。 ○平成天皇と美智子皇后を一度だけ見たことがあります。平成15年11月14日(金)の午後5時頃と記憶しています。その時は第13回日弁連業務改革シンポが鹿児島市の城山観光ホテルで開催され、私は第2分科会「IT活用法」で自慢の桐システムをデモンストレーションコーナーで発表しました。そのシンポが終了し、懇親会場に移動する時のことでした。天皇陛下ご夫妻が城山観光ホテルに来場されるとのことでホテル1階ロビーに多くの人が溢れていました。 ○私も初めて生の天皇陛下ご夫妻を拝見できると興奮してご来場を待ち、できるだけ近くで拝見したかったのですが、人が多すぎて、近くまで行けず7,8m先に天皇陛下ご夫妻を初めて拝見しました。美智子皇后が、肌もツヤツヤされて、大変綺麗だったことが強く印象に残っています。「天皇皇后両陛下のご日程平成15年(10月~12月)」の「平成15年11月14日(金)鹿児島県行幸啓(奄美群島日本復帰50周年記念式典ご臨席,併せて地方事情ご視察)」欄に「 ご執務(城山観光ホテル(鹿児島市)) 」と記述されています。「天皇皇后両陛下のご日程平成15年(10月~12月)」を見ると天皇皇后両陛下は、殆ど連日のように土・日関係なく公務が入っています。ホントに長い間ご苦労様でした。 以上:1,265文字
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