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9回目の将監耳鼻咽喉科院忘年会出席感想

平成26年12月27日(土):初稿
○当HPは、平成26年12月26日時点で「サイトマップ」記載の通り4472頁ありますが、トップページのサイト内検索で記事の検索が出来ます。ここに「湯浅」と入力して検索すると25頁も出てきます。「湯浅」とは、医療法人仙台・中耳サージセンター将監耳鼻咽喉科の「湯浅涼」院長先生のことで、我が生涯最大の恩人のお一人です。

○繰り返し、繰り返し記載していますが、「8ヶ月の未熟児として生まれた私は、生まれながらにして『蒲柳の質』即ち虚弱体質でしょっちゅう病気ばかりしており、特に幼児時代から高校時代まで煩った両耳の中耳炎によって聴覚障害者となり、現在6級の身体障害者に認定されております。」。この聴覚障害者の私が、この63年間、弁護士としてなんとか長らえているのは、正に湯浅涼先生のお陰です。

○幼児時代に煩った右慢性中耳炎・左滲出性中耳炎(昔は中耳カタルと呼ばれました)の両耳に障害があり、高校時代まで1年の半分近くはは郷里気仙沼の耳鼻科通いに費やしました。大学時代一時小康状態になりましたが、本格的に司法試験勉強を始めた実質大学卒業1年目、2年目の春先に、右慢性中耳炎が悪化して、寝ている間に枕を濡らす程耳だれが出て、更に気が狂いそうな耳鳴りに悩まされました。

○司法試験短答式(択一)試験試験直前の3月になると中耳炎が悪化して、実質大学卒業1年目2年目と2年連続して短答式試験に落ち、卒業2年目の6月東北大学病院耳鼻咽喉科で診察を受けました。中耳のCT写真(当時断層写真と説明されました)撮影等して診察してくれた担当医師から炎症が落ち着いてたら直ぐに手術が必要と診断され、中耳炎手術には最高の先生が居ると薦められたのが当時東北労災病院耳鼻科医長だった湯浅涼先生でした。

○昭和51年7月25歳の直前、東北労災病院に入院し湯浅先生の鼓室形成手術を受け、破れた鼓膜を再生して頂いて以来63歳の今日まで中耳炎の炎症は全く起きなくなりました。右耳の手術なのに、どういう訳か左耳滲出性中耳炎も全く起きなくなり、中耳炎の悩みから完全解放されました。お陰で翌昭和52年は中耳炎も再発せず、なんとか4回目の挑戦で司法試験合格を果たし、その後も1年1回は湯浅先生の診察を受け、なんとか弁護士稼業を継続しています。

○平成16年12月28日初稿「将監耳鼻咽喉科院忘年会感想」記載の通り、その大恩人湯浅先生に、毎年、将監耳鼻咽喉科大忘年会にご招待頂き、平成26年12月26日は私にとって9回目となる出席でした。「3回目の将監耳鼻咽喉科院忘年会出席感想」等記載の通り、将監耳鼻科大忘年会には、出席する度に色々勉強させて頂きます。

○9回目の参加では、フラメンコギター演奏を要請されていましたが、プロのチェリストでもある東北大学名誉教授髙坂知節先生がプロの女性ピアニストと二重奏を演奏されるとのことで素人の私が出る幕ではなく辞退申し上げ、私自身の出し物はなく気楽に美味しいフランス料理を味わい、更に、下戸のくせに赤ワインの杯を重ねてスッカリ酔っ払ってしまいました。ところが、最後に司会から突然の指名で挨拶を要請され、小心の私は、動転して、支離滅裂な訳の判らぬ話しを繰り返し、大変な失礼を申し上げてしまいました。実は何を話しかもよく覚えていません(^^;)。

○将監耳鼻科大忘年会は、スタッフOB・招待客・現役スタッフの方々総勢44名の参加で開催されましたが、いつも思うとおり、その団結の強さ、参加者全員を楽しませるとの気配りの凄さに圧倒されました。特に今回は、おそらくスタッフ全員が仮装して何らかの形で出演した病院紹介ビデオに驚嘆しました。プロ作成のプロモーションビデオ以上の出来で、てっきりプロに依頼したと思ったら何と若い女性職員がウィンドウズ基本的ビデオ編集ソフトで作成したと聞いて二度ビックリしました。

○これほど楽しく充実した忘年会の開催は、日頃の湯浅涼先生のサービス精神の賜であり、いつもサービス提供業者としての心構えを教えられます。本日平成26年12月28日には我が事務所忘年会であり、少しでも将監耳鼻科大忘年会に近づくべく楽しいものに出来ればと思っております。湯浅涼先生、ホントに有り難うございました。
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