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首都圏在住の気中第20回卒業生”けせもい会”平成26年新年会参加雑感

平成26年 2月 2日(日):初稿
○平成26年2月1日(土)は、銀座「まかない喜いち」で開催された「けせもい会」新年会に参加してきました。「けせもい会」は、関東地区在住の気仙沼中学等気仙沼・三陸地方の中学・高校卒業同年生の集まりで、銀座「まかない喜いち」は、メンバーの一人、ラーメンの有名店「ちばき屋」経営者で日本ラーメン協会理事長として活躍されている千葉憲二さんが経営している日本料理店です。安い参加費にも拘わらず最高の料理を提供して頂きました。

○「けせもい会」は、設立後20年経過し、平成26年の新年会は20回目になるとのことです。メンバーの一人小田明紀さんが作成している有名ブログ「気中20+PLUS」(けちゅうにじゅうプラス)の初日版「今日からブログを始めます。」に
東日本大震災で被災した同級生たちを支援する、首都圏在住の気中第20回卒業生(1967/昭和42年3月卒)を中心としたグループです。
 当会は、気仙沼周辺地域出身者の同年会「けせもい会」の会長である鈴木徳一君らが同級生のため自分たちにできることはないだろうかと呼びかけて発足。3月20日には、有志によって義援金募集や支援物資などの方針を定めました。
 そして3月25日夜、支援会メンバー6名がトラック2台に支援物資を満載して東京を出発。翌26日朝に気仙沼へ到着し、昼すぎには知らせを受けて集まった同級生に物資を引き渡すことができました。
と記載している通り、被災した郷里気仙沼のためいち早く支援に乗り出しました。

○上記「けせもい会」いち早い支援の動きは、TVニュース、新聞で報道され、私も触発され、少しでも支援をしなければとの思いに駆られました。そこで、当時、津波で仕事場も住居も失い、親せきの家に世話になりながら、気仙沼の同年生連絡窓口になって同年生全体のために奮闘していた故小山隆市さんと連絡を取り合い、不足している物資、必要な物資を確認して、毎日、ヨドバシ仙台店等に通って、販売数量限定品を買い集めました。

○しかし、仙台では、3月11日大震災後、ガソリン販売がストップして一般人は手に入らなくなっており、気仙沼を往復するガソリンが不足し、なかなか気仙沼に向かうことができませんでした。4月に入ってようやくガソリンも手に入るようになり、4月3日、「震災後初めての郷里気仙沼入り-余りの惨状にただ涙」の状況でした。

○「けせもい会」は、その後も、物資送付や義援金募集、さらにメンバーの一人前記千葉憲二さんの「ラーメン1500食、中華がゆ500食、鳥ちゃんこ500食」炊き出し等支援を継続しています。それに比べて気仙沼により近い仙台では、同年生の集まりがなく、まとまった支援もできていない状況が継続しました。そこで平成24年11月3日「気中第20回生還暦祝い後1年震災復興支援感謝の集い」を契機に仙台でも、「けせもい会」のような同年生組織を作ろうとなりました。

○そこで、「20年ぶりに仙台近辺在住気仙沼中学・高校同年会開催」、「”昭和42年中学卒気仙沼・仙台三陸会”発足のお知らせ」となった次第です。そして「平成25年10月25日開催KSS42第1回全体懇親会開催報告」記載の通り、仙台のKSS42第1回目の全体同年会は、49名の参加を得て開催しました。このとき、「けせもい会」から2名参加して頂いたことから、その御礼もかねて仙台のKSS42から私を含めて2名で参加させていただきました。20回目の開催ということで、集まった25名のメンバーは、大変、仲良く打ち解けあって、時が進むにつれ大いに盛り上がり、彼方此方で大きな嬌声が上がり、難聴で補聴器を付けた私には、大変な状況でした。


○しかし、そのような状況でも、昔懐かしい同年生と大いに語り合う楽しいひと時でした。最後に気仙沼市大島から参加された熊谷雅裕さんから官僚主導の防潮堤の問題性等解りやすく説得力ある説明・報告を頂き、被災地気仙沼の厳しい現実を知らされ、どのような支援を継続すべきか考えさせられました。平成26年秋には仙台の秋保温泉で「けせもい会」「KSS42」合同旅行会開催の話もまとまり、何かの縁で同年生となった仲間との絆を少しでも深めていこうと思った次第です。
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