平成23年10月 3日(月):初稿 |
○平成23年10月1日、父亀治郎13回忌終了後、宿泊先の南三陸ホテル観洋に向かう途中で、気仙沼市在住時代、良く遊びに行った陸中海岸国立公園・海中公園に指定されている気仙沼湾岩井崎に立ち寄りました。岩井崎は、気仙沼の実家から自動車で30分程の距離にあり、潮吹き岩が有名です。45号線を左折して岩井崎方面に向かうも、途中で、風景が一変しており、判らなくなりました。 ○途中、東日本大震災で甚大な被害を受け、しばしばニュース報道された気仙沼向洋高校は、判りましたが、その先の風景が一変して、道路とその周辺の状況がすっかり変わっていたので、果たして、岩井崎に向かう道路なのかどうか判らなくなったのです。少し引き返して、工事車両の誘導をしていた方に、岩井崎への行き方を尋ねて、何とか、到達できました。 ○岩井崎そのものは、何とか残っていましたが、周辺の宿泊施設、お土産屋さん等の建物は、全壊状態でした。気仙沼市民の憩いの場所で、私も受験時代、気分転換に出かけた場所ですが、土曜日の夕方というのに人っ子一人いない状況が残念でした。 岩井崎入り口案内看板から水が出なくて使えないトイレまで 秀ノ山手形、小野寺清雄君をたたえる碑、倒れたままです ※小野寺清雄君は気仙沼水産高校生であった昭和37年11月29日夜、強風の中暗礁が点在する岩井﨑沿岸に近づいて100m沖で座礁した八戸の漁船に小舟で近づき、離礁の方法を教えた後、荒海で海中に転落してプロペラに巻き込まれて落命し、その剛健で責任感の強い水産健児の功績を後世に伝えようと、翌年市と高校が岩井﨑に石碑を建立したものです。 コンクリート製柵も倒れたまま並べられています 海辺に出ました 津波にもびくともせず立っていたと言う秀ノ山銅像 岩浜の形状も変わっており、どこが潮吹き岩か判りません 周辺宿泊施設、石碑も無造作に転がったままです お土産屋さん等も全壊状態です 以上:809文字
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