平成22年 7月 2日(金):初稿 |
○「さすっているようで叩いている政治家同士の関係4」等で菅首相と小沢氏の関係について、叩いているように見え、実は連係プレーであれば面白いとのいわば願望を記述していましたが、その後、参議院選挙戦に入り、突如、消費税10%構想をぶち上げた菅首相を小沢氏が批判し、枝野幹事長と鞘当てを演じていることなど報道され、今後、2人の関係がどうなっていくかハラハラしているところです。 ○最近、NHKスペシャル「証言ドキュメント永田町権力の興亡1993-2009」を購入して、ほぼ読み終えましたが、「細川政権から鳩山政権まで政治家自らが語る、”政権”に魅せられた男たちの16年」と帯に記載されているとおり、その時代の主役政治家の肉声が記録されており、大変面白く読み進むことが出来ました。 ○「政権交代を仕掛け続けた小沢一郎の証言を柱に、野中広務、亀井静香、森喜朗ら20数名の証言から浮かび上がる『政権交代』の舞台裏。 」との解説にあるように、この16年間の権力興亡史には、相当部分で小沢氏の言動が大きく関わっていますが、一時自民党権力中枢に居た野中氏と小沢氏の関係で正に「さすっているようで叩いている政治家同士の関係」が如実に表れている面があり、、納得しました。小沢氏を悪魔とまで呼んでいた野中氏が「小沢氏にひれ伏してでも」と公言して進めた自民党と自由党の連立とその解消劇です。 ○平成10年7月橋本首相の下、参議院選挙で大惨敗して過半数割れになった自民党新総裁小渕首相の内閣官房長官に就任した野中氏は、衆参ねじれ現象解消のため小沢自由党に目をつけ、官房長官記者会見の場で、小沢氏に対し、ひれ伏してでも政権に国家のために参加して欲しいとメッセージを送り、亀井静香氏の仲介でホテルの一室に野中・小沢・亀井各氏が会し、連立の合意をします。 ○小沢氏としては、自民党が自由党の提案を呑み、自由党の政治目的・目標がかなうのであれば、事実上政治を変え政権を代えたと同じことになるとの気持から平成11年1月連立に合意するも、自民党は連立後も、合意を実行する気がないことが判り、翌平成12年4月には自由党は連立から離脱し、離脱の際、半分の党員が自由党を抜け旧保守党を結成して自民党に残り、結局、小沢自由党は連立の結果、その連立目的を達成されないまま勢力は半減されて、政権を去りました。 ○実は野中氏の小沢氏にひれ伏しても自由党を連立に入れる目的は、自由党ではなく公明党にあったことをこの本で明らかにしています。公明党がいきなり自民党と連立できないので、先ず自由党が連立し座布団となり、その上に公明党との連立が最終目的でした。何のことはない自由党は公明党と連立するためのダシに使われただけでした。その目的を達した後は小沢氏の過激な主張を実行することなく、結果として、小沢自由党は勢力を半減されて排除されました。この結果を見通して連立合意を呼び掛けて実行したとすれば、この正に「さすっているようで叩いた」野中氏の策術はお見事と言うしかありません。 以上:1,245文字
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