平成20年 2月13日(水):初稿 |
○「学ぶことは生きること-学びの姿勢を学ぶことが重要」の中で、「私は学びとして重要なことは、単に教科書的知識を得ることではなく、学びの姿勢を学ぶことである思っております。 」と記載しましたが、この意味について私なりにもう少し掘り下げて考えます。 ○私は大げさに表現すると学びの中に人生が凝縮されていると考えています。その第一は先ず、学びとは耐えることです。私の大好きな演歌の大御所北島三郎氏の「山」の一節に 「たった~ 一度の人生を~ 花に~ するのが~ がまん~ なら 山に~ するのも~ また が~ま~ん~~」 との箇所があり、私はこの部分を私の教訓にしております。ここでの我慢とは忍耐であり努力です。 ○私はこの歌の3番の歌詞が特に好きで 「目~先の ことに~ う~ろちょ~ろするな~ 昨日(き~のうと)と 同じ~ 今日(きょう~) は~ ない~」 の部分も大好きで、バブル崩壊後僅かに持っていた株の値が大暴落した時に、自分に言い聞かせるように良くこの歌をカラオケで歌っていたものでした(^^;)。勿論、株の売買に限らず、この歌詞は人生の要諦を端的に表していると思っております。 ○私は学びは楽しいことだと綺麗事は言いません。先ずは、辛いことだと思います。もっと楽しい漫画を読みたい、映画を見たいとの欲求を抑えて、面白くもない教科書をじっくり読むことは忍耐が必要です。この忍耐-我慢、努力することを教えてくれるのが、学ぶことの一番重要なことと思っております。 ○私は、先人が数千年かけて記録してきた膨大な人類情報のごくごく一部を物心ついてから死ぬまで学び続けるのが人生だと確信していますが、この小学校から始まる学生時代の教師を得ての学びはその後社会に出てからの学びの基礎を作る大変重要な役割を持っていると考えております。 ○知識より創造力なんて判ったような判らない学びの方法論が主張され、詰め込み教育が批判されてゆとり教育なんて間違った体制が出来上がり、日本の学生の教育レベルが数十年前に比べると格段に低下しているとされます。 ○しかし私は、学びとは、先ずは膨大な人類情報の内ごく僅かの部分のインプットを「がまん」して始めるものと確信しており、詰め込み教育大いに結構と考えております。学びとは、先ずは詰め込みありきで、詰め込みの何が悪いと、ゆとり教育と言う言葉自体に、「ゆとり」なんて甘いことを言うな、教育は先ず「がまん」だと、正に時代錯誤丸出しの反発を感じていました(^^;)。 以上:1,026文字
|