平成20年 2月12日(火):初稿 |
○いつの頃からか「学ぶことは生きること」と表現すべきではと思うようになりました。この言葉で「Google」検索をかけると2000数百件の関連コンテンツが出てきます。色々な方が「学ぶことは生きること」についての意義を記載していますが、私が漠然と考えてきたこととピタッと一致するものは見つかりませんでした。 ○私の考える「学ぶことは生きること」とは、全く単純です。人類の歴史が始まって数万年経過し、情報を記録する文字が出来てからでさえ、数千年の時が経過し、膨大な数の人間が生きて、膨大な情報がこの地球上に残されています。これらの膨大な情報は、人間自体についてのものから宇宙等まで広範囲に及びますが、全ては所詮人類が考えてきたと言う意味で、以下これら全てを人類情報と言います。 ○この膨大な人類情報のごく一部を人間は生まれ落ちて物心ついてから学び始めますが、1人の人間が一生かかってもその学ぶ量は、人類が歴史始まって以来残した人類情報量からすれば、ごくごく微量にしか過ぎません。 ○私が生業としている法律分野の情報にしても然りです。現在、憲法、民法、刑法等に分類されている法律情報も、人類の長い歴史と膨大な情報の積み重ねの上に成り立っているものが、たまたま現在の日本国において整理されて成文法化されているに過ぎません。 ○私も資格試験に合格して一応法律専門家としての資格を得て、法律家の職に就き、30年近く経過してその間ある程度の法律情報に就いての勉強を継続してきました。しかし私が学んできた法律情報量も、人類が蓄積してきた法律情報の内のごくごく微量にしか過ぎず、それでも何とか生活の糧としております。 ○人間生まれ落ちて物心ついてから、その段階に応じて必要な人類情報の一部についての学びを繰り返します。小学校から大学までは学生として学びその情報理解記憶程度のテストが繰り返えされます。その結果に応じて社会人としての進路がおおかた決められ、社会人となれば社会人としての人類情報の一部の学びが必要になります。 ○学生時代に学んだことは社会に出て役に立たないと良く言われます。確かに学生時代苦労して学んだ教科書の知識は時間が経てば忘れてしまいます。どうせ時間が経てば忘れてしまうものをどうして学生時代に学ばなければならないのかと言うと、私は学びとして重要なことは、単に教科書的知識を得ることではなく、学びの姿勢を学ぶことである思っております。 以上:1,003文字
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