平成17年 7月24日(日):初稿 |
○仙台市長選、あと1週間です。候補者は以下の通り。 (2005年7月17日22時6分 読売新聞) 仙台市長選告示、新人6人が立候補 仙台市長選は17日告示され、新人6氏が立候補を届け出た。投開票は31日。 佐藤和弘(さとう かずひろ) 45 無新 公認会計士 伊藤貞夫(いとう さだお) 65 無新 〈共〉県商工団体連合会長 梅原克彦(うめはら かつひこ) 51 無新 〈公〉前経産省通商交渉官 小野寺信一(おのでら しんいち) 57 無新 弁護士 鎌田さゆり(かまた さゆり) 40 無新 前衆院議員 菅間進(かんま すすむ) 54 無新 前県議 (届け出順、〈〉内は推薦・支持政党) ○小野寺信一氏は、気仙沼高校の先輩で私を弁護士に育ててくれた大恩人です。 私は昭和50年4月大学に籍を置いたまま郷里気仙沼に帰り、一人気仙沼図書館に通って一人で受験勉強に励んでいました。その年の8月、弁護士1年生の小野寺先輩がお盆休みで記載することを聞き、お目通りを願いました。 ○それまでに作成したサブノートを持参して、気仙沼市内の喫茶店「マンボ」で初めて小野寺氏にお目にかかり、私のサブノートを見て頂き、このような勉強方法でよいかどうかを質問しました。 ○彼はしばし私のサブノートを見入った後、今でもハッキリ覚えていますが、次のように言われました。 「小松君、このようなノートの取り方では、何時まで経っても受からないよ。このノートでは、小松君の考えが判らないからだ。司法試験では、この論点について君はどのように考えているのかを聞いている。君の考えを確立しないとダメだ。」 ○私は、「何時まで経っても受からないよ」と言う言葉に衝撃を受けましたが、小野寺氏は、「この(昭和50年)秋、私と一緒に勉強したUさんが、必ず受かるので、小松君をUさんに紹介する。気仙沼で一人での勉強で合格は厳しいので、Uさんの指導を受けなさい。」と言われ、そのお言葉通り、Uさんはその年合格され、通信指導を受けることになりました。 ○Uさんは、「自分は小野寺君から指導を受けて合格できた。この恩義を小松君に指導してお返しする。これが司法試験界の仁義だ。」と言って、その後2年間私を全く無償で通信指導してくれました。当時埼玉県に住んでいたUさんは、私に直接会って伝いたいことがあると、当時福島にいた小野寺氏の自宅にUさんと一緒に泊まってご指導頂いたこともありました。 ○昭和50年8月、小野寺氏と会わなかったら今の弁護士としての私が無かったと思っています。 小野寺氏の一番の凄さは、「人の気持ちが判る」ことです。人情厚く面倒見がよく弁護士になってからも大変なお世話になりました。いつも小野寺信一弁護士に少しでも近づくことを目標にしてきましたが、未だ足下にも及びません。 ○小野寺信一氏が市長になったら市政は大きく変わります。 私は、小野寺信一氏が仙台市長となって仙台市民のためにその溢れる能力をご活用されることを心から期待しています。 以上:1,240文字
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