令和 2年 3月24日(火):初稿 |
○「因果関係重要判断基準含む東大ルンバール事件最高裁判決全文紹介」で、この昭和50年10月24日最高裁判決は、交通事故事件で、頻繁に援用している判決ですが、全文はまだ見ていませんでしたと記載していました。 ○ある事件で、この事件の論理を詳細に展開する必要が生じましたので、事案内容を検討し、その論旨をシッカリ勉強します。 この事件は、いわゆる東大治療ミス訴訟上告審判決で、東大ルンバール事件と呼ばれる有名な判例です。医師が化膿性髄膜炎の治療としてしたルンバール(腰椎穿刺による髄液採取とペニシリンの髄腔内注入)の施術とその後の発作等及びこれにつづく病変との因果関係を原審昭和48年2月22日東京高裁判決(最高裁判所民事判例集29巻9号1480頁、訟務月報21巻11号2203頁)が否定したことについて、経験則に反するとして破棄したものです。 ○事案概要は以下の通りです。 ・上告人(原告)は、3歳のとき化膿性髄膜炎のため、昭和30年9月6日東京大学医学部附属病院小児科へ入院し、治療の結果、次第に快方に向っていた ・同月17日午後零時30分頃から1時頃までの間に担当医師の1人が上告人に対しルンバール(腰椎穿刺による髄液採取とペニシリンの髄腔内注入)を実施した ・その15分ないし20分後、突然に嘔吐、けいれんの発作等を起し、現在も後遺症として知能障害、運動障害等が残った ・上告人の主張は、 ①上告人(原告)は、もともと常人にくらべ脆弱な血管の持主で、泣き叫び暴れたりすると脳圧が亢進し、脳出血を惹起する可能性があった ②従って担当医師としては、ルンバールに当り、脳圧を刺戟しないように慎重細心な注意を払う義務があった ③然るにこの担当医師は、当日開催の学会会場係の受持ちであったため気持が焦り、一般にルンバール施術後患者が嘔吐することがあるので、食事の前後を避けて行うのが通例であるのに、食事の直後、しかも、泣き叫ぶ上告人に看護婦が馬乗りとなるなどして体を固定させたうえ本件ルンバールを実施したが、一度が穿刺に成功せず、何度もやりなおして施術終了まで約30分間上告人を極度の興奮状態に陥し入れた ④これが、上告人に対し過度の刺戟を脳圧に加え、脆弱な血管を損傷し、脳出血を生じさせ、本件障害の原因となったものであり、これは、担当医師の前記過失に因るもの であるとした。 ⑤また、仮に、本件ルンバールの実施と本件障害との間に直接の因果関係が認められないとしても、担当医師らは、本件ルンバールによる発作とその後の病変に対する看護治療上に過失があった 以上の事実に基づき、上告人から医師の使用者である国に対し、1957万6236円の損害賠償を請求した これに対し、被上告入(被告)国は、本件発作とその後の病変は、化膿性髄膜炎の再燃によるものであって、本件ルンバールとの因果関係は存在しない、のみならず、ルンバールの実施及びその後の治療等につき医師の過失は存在しないと反論した。 ○第一審の東京地裁は、本件発作とその後の病変の原因は、本件ルンバールによって惹起された脳出血にあるとして因果関係を肯定したものの、本件ルンバール及び看護治療上の医師の過失を否定しました。第二審の東京高裁は、本件発作と病変の原因が脳出血によるか化膿性髄膜炎に伴う脳実質の病変の再燃によるものか判定し難く、本件発作と病変の原因が本件ルンバールの実施に因るものとは断定し難いとして、医師の過失には触れるまでもなく、上告人(原告)の請求を棄却するとしました。 ○不法行為に基づく損害賠償事件では、一般的には、民法416条を根拠に相当因果関係説に立って判断されます。しかし、医療過誤事件では、その行為又は不行為と結果との自然的因果関係の存在そのものが重要な問題となります。医療行為が高度の科学的分野に属し、患者の特異体質など生体反応の多様性が問題をより複雑なものにしています。したがって、因果関係の立証を厳格に要求すれば、損害賠償を認める余地が極めて狭いものとなってしまいます。 ○学説や裁判例中には、因果関係が科学的に証明されなくても、相当の蓋然性があれば因果関係の存在を認定してよいとし、原告側でその結果が医療行為の際に生じたものであること、及びそれが医療行為によって生じたというある程度の蓋然性について一応の立証をすれば、それが医師の行為によるものという一応の推定をし、医師の側で反証をあげないかぎり因果関係を認定してよいとする見解が、有力になっています(注釈民法(19)151頁、法務総合研究所編・医療過誤に関する研究38頁以下、鈴木俊光・医療過誤における因果関係の立証・ジュリ427号47頁、最高裁昭和36年2月16日梅毒輸血事件判決、第一審東京地裁判決、東京高裁昭和44年5月30日判決・判時570号51頁)。 ○訴訟上の証明は、自然科学的な論理的証明ではなく、いわゆる歴史的証明です。論理的証明は、真実そのものを目標とし、当時の科学の水準において反応を容れる余地も存在しないが、歴史的証明では、真実の高度な蓋然性をもって満足し、通常人なら誰でも疑を差し挾まない程度に真実らしいとの確信を得ることで証明ができたとします(昭和23年8月5日最高裁判所判決最高裁判所刑事判例集2巻9号1123頁)。 ○控訴審判決は、鑑定書その他の証拠によっても、原因が脳出血によるか、化膿性髄膜炎の再燃によるものか判定し難く、したがって、本件発作とその後の病変が本件ルンバールによることを断定し難いとしています。確かに、患者に生じた結果が、医師の行為によって起る可能性と医師の行為と無関係に発生する可能性がある以上、それが医師の行為によって起ったことを確定する必要がります。 ○しかし、最高裁判決は、 上告人が入院当初の重篤な病状から一貫して快方に向い、その病気が再燃する可能性も少い段階において、本件ルンバール施行後15分ないし20分を経て突然に本件発作が生じたこと、 本件発作の2日後に行われた髄液検査の結果も好転していたこと、 もともと、上告人は脆弱な血管の持主で入院当初より出血性傾向が認められたこと、 本件発作が突然のけいれんを伴う意識混濁で始まり、けいれんが右半身に強く現われ、脳波所見も脳の異常部位が左部にあると判断されること、 主治医も退院まで脳出血によると診断して治療していたこと などを、因果関係に関する前記観点に立って総合検討した結果、他に特段の事情が認められないかぎり、経験則上、本件発作とその後の病変の原因が脳出血であり、これが本件ルンバールに起因するものと認めるのが相当としました。 ○控訴審の高裁判決は、「原因が脳出血によるか、化膿性髄膜炎の再燃によるものか判定し難く、したがって、本件発作とその後の病変が本件ルンバールによることを断定し難い」としています。しかし、最高裁判決は、「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挾まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りる」として、控訴審判決は、「因果関係に関する法則の解釈適用を誤り、経験則違背、理由不備の違法をおかしたものというべく、その違法は結論に影響することが明らかである」として、破棄しました。極めて妥当な判断です。 以上:3,049文字
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