平成28年 1月22日(金):初稿 |
○「柔道整復師施術過誤についての損害賠償請求が否定された東京地裁判例紹介2」の続きです。 **************************************** 第3 当裁判所の判断 1 争点1(Dの注意義務違反の有無)について (1)柔道整復師施術の一般的注意義務 原告は,施術者であるDは,原告に椎間板ヘルニアの既往症があることを知っていたのであるから,レントゲン検査等により事前に十分な医学的検査をし,医師の適切な指導を受けつつ,マッサージ等を実施すべき注意義務があったと主張する。 この点につき,原告は,21歳の頃,椎間板ヘルニアの疑いを指摘されたことがあり,被告整骨院においてもその旨申告したと主張,供述しているところ,上記第2の1(2)アのとおり,被告整骨院の診療録(乙A2)にも,原告が椎間板ヘルニアである旨の記載があるから,原告は被告整骨院の担当者に対し椎間板ヘルニアないしその疑いがある旨申告しており,Dもその旨認識していたものと認めることが相当である。 しかし,患者に椎間板ヘルニアやその疑いがある場合に,原告が主張するような注意義務の存在が一般的に認められると解するに足りる証拠はないから〔原告が提出する医療法人桐光会調布病院整形外科医長のE作成の意見書(甲B1,以下「本件意見書」という。)にもこの点については何ら記載されておらず,その他に裏付けとなる医学文献等もない。〕,Dが事前に十分な医学的検査をしたり,医師の適切な指導を受けたりせずに,本件施術を行ったことが,直ちに注意義務違反を構成すると認めることはできない。 (2)柔道整復師施術に不適切な点があったか 次に,原告は,Dが,頚椎の上を直接,手の平のような柔らかい部分ではなく指の関節のような硬い部分を強く押し当ててゴリゴリと動かすような態様で施術を実施したため,それまで潜在的なものにすぎなかった椎間板ヘルニアの症状が顕在化したと主張するので,本件施術に不適切な点があったか否かを更に検討する。 この点につき,被告Y1社及び被告Y2は,Dが頚椎の上を直接施術した事実はないし,本件施術は強さを聞きながら首や肩を軽く手で揉む程度のものであったと主張し,Dはこれに沿う供述をしているところ,本件においては,診療録上,施術に関する記載は乏しく,また,施術時に原告に対しどの程度の力が加えられたかについては,事柄の性質上,客観的に明らかにするのは困難な面があるといわざるを得ない。そこで,施術時の状況や原告の症状経過等を総合的に考慮して,被告の施術に不適切な点があったか否かを検討するものとする。 (ア) 施術前の症状 施術前の症状について,原告は,それまで椎間板ヘルニアについて何の症状もなく,被告整骨院においても頚部の疲労感を申告しただけである旨主張する。しかし,上記第2の1(2)アのとおり,被告の診療録には,「頚痛 寝違えたような感じ 疲労性」との記載があり,頚痛が椎間板ヘルニアの症状であったとは特定できないものの,少なくとも被告整骨院受診時には,頚部に何らかの痛みが生じていたものと認められる。 (イ) 本件施術時の状況 本件施術時や施術直後において,原告が痛みや体調の不良等を訴えていないことについては,当事者双方に争いがなく,本件施術時の状況において,本件施術に不適切な点があったと疑わせるに足りる事情は存在しない。 この点,原告は,本件施術中,強い痛みを覚えたものの,Dが一生懸命に施術を行っているように感じられ,また,そのような痛みを伴う施術であるのかもしれないと思ったために耐えていただけであると主張する。 しかし,現に痛みを訴えていない以上は,仮に痛みがあったとしても,痛みの程度は許容範囲程度のものであったと考えられるし,本件訴訟に至る経緯として,原告は,当初,本件施術よりも,被告Y2の実施したはり治療を主に問題視していたという事情も認められるところであり,本件施術時に異常な痛み等が生じていたわけではないと考えるのが合理的である。 (ウ) 本件施術後の症状経過 原告は,本件施術後1日半が経過した後に,右後頚部痛,右小指しびれ等の症状が生じた旨主張,供述しており,それまでは,症状は現れていない。 以上検討したところを総合すると,被告整骨院初診当初に,既に頚部痛があり,椎間板ヘルニアに関する症状が出ていたとも疑われるところであるし,本件施術時に異常な痛みが生じるような事態は認め難く,実際に原告が主張するような症状が発現したのも,本件施術後1日半が過ぎた後というのであるから,このような経過に照らしても,被告の施術に不適切な点があったと認めるに足りる事情は見当たらないというほかない。 また,本件意見書においてすら,本件施術以前に頚椎椎間板ヘルニアの症状が出ていなかったとの原告の申告が正しいとすれば,頚椎椎間板ヘルニアが元々存在していて,被告整骨院でのマッサージによって症状が出現し,悪化した可能性があることが否定できない旨の記載があるのにすぎず,本件施術により頚椎椎間板ヘルニアの症状が悪化したことを示唆するものとはそもそも解し難い。原告がその本人尋問において認めるような格闘家としての活動や引退後の練習等も考え合わせれば,本件においては,原告の椎間板への負荷が徐々に蓄積し,これにより頚椎椎間板ヘルニアの症状が自然経過的に出現した,あるいは適切に行われた本件施術を契機にして顕在化した可能性等も否定できるものではなく,いずれにしても結果の発生から被告の施術に不適切な点があったことを推認することはできないというべきである。 そうすると,いずれにしても本件施術に関しDに注意義務違反があったものと認めることはできないというほかない(なお,仮に,何らかの注意義務違反が認められるとしても,結果との因果関係を認めることもまた困難であることは,上記判示したところからも明らかである。)。 2 その他の点について 本件施術に注意義務違反が認められず,したがって,被告Y1社が原告に対し損害賠償義務を負わないことは上記1のとおりであるから,本来,本件においては,その余の点について判断するまでもなく,原告の請求はいずれも認められないといわざるを得ないが,上記第2の2のとおり,本件においては,その他の被告との関係でも多くの争点を巡り主張立証が積み重ねられたこともあるので,これらの点についても,念のため,簡潔に付言する。 (1) 争点4(被告Y2の責任の有無)について 原告は,①被告Y1社のみならず代表者である被告Y2個人も使用者責任を負う,②被告Y2個人が本来使用者責任を負わないとしても法人格否認の法理によって被告Y1社と同一の責任を負う,③被告Y2がこれらの責任を負わないとしても会社法429条の責任を負う旨主張する。 しかし,Dと雇用関係にあるのは被告Y1社であり,Dの施術によって生じる経済的利益も少なくとも法的には被告Y1社に帰属するものであるから,使用者責任を負うのは被告Y1社であり,被告Y2が使用者責任を負うことはないというべきである。次に,法人格否認の法理の適用については,これを認めるに足りる証拠はない。さらに,会社法429条の責任についても,被告Y2の悪意又は重過失の存在について具体的主張立証はなく,これを認めることはできない。 よって,被告Y2個人が上記①ないし③に挙げるような責任を負うものとは認められない。 (2) 争点5(被告現代海上の支払義務の有無)について 本件特別約款3条は,被保険者が業務の遂行について所定の資格を有しない場合には,被告現代海上は支払義務を負わない旨を定めているところ,被保険者である被告Y2は,上記第2の1(1)ウのとおり,あん摩マッサージ指圧師免許,はり師免許及びきゅう師免許を有するが,柔道整復師の資格は有していない。他方,Dは,柔道整復師免許を有するが,あん摩マッサージ指圧師免許は有していないのであるから,法的に見ると,本件施術は,あん摩マッサージ指圧ではなく,柔道整復術であったといわざるを得ない(本件施術に被告Y2は全く関与していないのであるから,被告Y2の補助者としてあん摩マッサージ指圧を行ったとみる余地もない。)。そうすると,被保険者である被告Y2が柔道整復師の資格を有していなかった以上は,被告現代海上は,保険金支払義務を負わないと解すべきである。 (3) 争点6(被告治療協会の支払義務の有無)について 上記第2の2(3)のとおり,被告治療協会の発行する各種書面には,被告治療協会は,保険会社と損害保険契約を締結し,契約する保険会社より払い受ける保険金全額を会員に支払う旨の記載があることからすれば,被告治療協会自身が一定のリスクを引き受け,一定の事象が発生した場合に保険金支払義務を負うといった性質を持つものとして本件会員保障制度を位置付けることは相当でなく,被告治療協会が会員に直接支払義務を負うかのように読めると原告が主張する記載についても,単に被告治療協会が保険会社から払い受けた保険金を支払う義務を負担するにすぎないものと解することができるものである。 そうすると,その他に,被告治療協会が会員に対して直接の保障金支払義務を負うものと認めるに足りる根拠がない以上,原告の主張を採用することはできない。 また,上記第2の2(3)のとおり,本件会員保障制度においては,保障は個人が対象であり,責任者のみ入会してもスタッフは利用できないとされ,申込書に記入された会員のみが福利厚生の対象とされているからこそ,責任者のみではなく施術スタッフ全員の入会が推奨されているというべきであるから,会員ではないスタッフによる施術に起因する損害はその保障対象に含まれないと解すべきであるし(原告が主張するように,会員がスタッフによる施術につき使用者責任を負う場合は保障対象になると解した場合には,スタッフが起こした有責事故について使用者責任を介在させることにより,実質的には常に被告治療協会は金銭負担を強いられることになり,保障は個人を対象とするとわざわざ限定した意味がなくなることになる。しかも,Dは被告Y1社のスタッフであるとはいえても,会員である被告Y2のスタッフとはいい難い。),支払の対象は,保険金請求時に会員資格を有する場合に限られているところ,被告Y2は,保険会社に対する請求時には,会員資格を有していなかったのであるから,これらの点からも,被告治療協会は,原告に対し保障金支払義務を負わない。 3 よって,原告の請求及び被告Y2の請求は,その余の点について判断するまでもなく,いずれも理由がないからこれらを棄却することとし,主文のとおり判決する。 (裁判長裁判官 菅野雅之 裁判官 樺山倫尚 裁判官今岡健は,転補につき署名押印することができない。裁判長裁判官 菅野雅之) 以上:4,473文字
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