平成27年 5月24日(日):初稿 |
○平成27年5月23日は、日弁連会館2階クレオで開催された日本交通法学会定期総会定期総会・シンポジウム等に参加してきました。平成17年5月29日初稿「日本交通法学会初参加感想」記載の通り、丁度10年前の平成17年5月28日に日弁連クレオで開催された学会に初参加して以来、11回目となりました。 ○自分としては、平成17年以来欠かさず参加したきたつもりでした。しかし、平成16年8月以来、毎日欠かさず更新を継続している当HPには、 平成17年 5月28日東京「日本交通法学会初参加感想」 平成18年 5月27日福岡「西方対馬・佐世保研修及び交通法学会参加旅行終了」 平成20年 5月24日熊本「熊本大学法文学部棟Aー1教室での日本交通法学会」 平成21年 5月16日東京「平成21年度交通法学会に参加」 平成22年 5月22日神戸「平成22年交通法学会参加ー難聴者への配慮が欲しい」 平成23年 5月22日東京「平成23年日大法学部での交通法学会参加」 平成24年 5月20日新潟「平成24年交通事故法学会参加ー難聴者に配慮?」 平成26年 5月18日東京「平成26年交通事故法学会参加-大変勉強になりました」 と8回分の参加感想記事がありますが、平成19,25年の記事がありません。この2年は、他の予定と重なり参加できなかったのかもしれません。 ○交通法学会定期総会ですが、平成27年度は第46回になりますので、私は10年前の第36回目に初めて参加しました。そのときの定期総会も日弁連クオレでしたが、その時は会場を半分程度に仕切られて、参加人数は第46回よりは相当少なかったと記憶しています。私が会員になったのは、交通事故紛争処理センター嘱託弁護士に任命された平成2年でしたが、当時、確か会員数が少ないとのことでほぼ強制的に参加を余儀なくされたとも記憶しています。当時の年会費は確か5000円でした。5000円の会費を支払うことで年に1回の定期総会の個別報告・シンポジウムの結果をまとめた交通法研究と題する小冊子が送られてきました。 ○会員には、毎年、定期総会の案内が来ていたはずですが、会員になった平成2年から平成15年までは、定期総会参加は全く意識外でした。なぜ平成16年に参加したかを振り返ってみると、当時、日弁連業革委員会の新分野PTで交通事故分野再開拓を担当していたからでした。交通事故事件は、昭和47年頃までは、弁護士のドル箱分野でしたが、同年示談代行付き自動車保険の発売で交通事故事件発生すると保険会社の示談代行員が被害者と接触して、弁護士介入以前に示談を済ませてしまい、弁護士が交通事故分野から追い出されてしまいました。そのため私が弁護士になった昭和55年当時は、交通事故事件は弁護士があまり関与しない分野となっていました。 ○要するに示談代行付き自動車保険によって、弁護士は、事実上、交通事故示談交渉現場の蚊帳の外に追いやられたのです。私自身、弁護士になって当初10年間は、交通事故事件を扱うのはせいぜい年に1,2件でした。ところが平成2年に交通事故紛争処理センター嘱託弁護士に任命され、週に2回午後の3時間程紛争処理センター仙台支部で嘱託弁護士として交通事故被害者と保険会社間の示談斡旋の仕事をし始め、月に1回嘱託弁護士の共同研究会に参加し、年に2回保険会社示談代行員の方々との交流会に参加して、交通事故示談交渉現場経験を積むことで交通事故事件に俄然興味が出てきました。そこで、蚊帳の外に追いやられた弁護士が、再度、交通事故事件分野を取り戻すべきと確信し、日弁連業革委員会新分野PTで交通事故分野取戻策を担当したのです。 ○2期4年間のうちに400件ほどの交通事故示談斡旋を担当して交通事故事件に俄然興味を持った私は、確か平成10年頃からでしたが、日弁連交通事故相談センター専門委員会第二部会の委員に任命され、これも2期4年間務めました。この部会は、日弁連青本を編集担当で、当時の部会長が高野真人先生でした。同部会は高野先生がお一人で仕切っていると感じで、高野先生の交通事故法分野全般に精通した学識の凄さに驚嘆しました。そこで高野先生に交通事故法分野学識研究だけでなく、弁護士業務分野としての取戻策の協力を頂くとの下心で、平成17年に至り初めて日本交通法学会定期総会に参加した次第でした。 以上:1,784文字
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