平成29年 3月19日(日):初稿 |
○「大久保直政先生主催第42回仙台座禅断食会-摩訶般若波羅蜜多心経覚書2」の続きで、これを理解・暗記するための備忘録です。 (01) 觀自在菩薩(かんじざいぼさつ)。行深般若波羅蜜多時(ぎょうじんはんにゃはらみったじ)。照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう)。度一切苦厄(どいっさいくやく)。 「観自在菩薩が、深遠なる般若波羅蜜多を修行していた時、(私を構成している)五蘊はすべてその本性において実体のない「空」であることを明らかに知り、これによって(観自在菩薩は)すべての苦しみから解放されたのである」 (02) 舍利子(しゃりし)。色不異空(しきふいくう)。空不異色(くうふいしき)。色即是空(しきそくぜくう)。空即是色(くうそくぜしき)。受想行識亦復如是(じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ)。 「シャーリープトラよ、(五蘊の第一である)物質には実体がないのであり、実体がないが故に物質として成立するのだ。物質は「空っぽ」であり、「空っぽ」であるが故に物質たり得るのだ。感覚も表象も意志や記憶もまたまったく同様である」 (03) 舍利子(しゃりし)。是諸法空相(ぜしょほうくうそう)。不生不滅(ふしょうふめつ)。不垢不淨 不増不減(ふくふじょう ふぞうふげん)。 「シャーリープトラよ、この世に存在する全てのモノには実体がないという特性がある。(それは実体がないのであるから)生じることなく滅することもなく、汚れるものでなく浄くなるものでもなく 増えることなく減ることもない」 (04) 是故空中(ぜこくうちゅう)。無色(むしき)。無受想行識(むじゅそうぎょうしき)。 「すべてのモノには実体がないという見解からすれば、物質的現象は(その本性としては)無く、感覚・表象・意志・記憶も無い」 (05) 無眼耳鼻舌身意(むげんにびぜっしんい)。無色聲香味觸法(むしきしょうこうみそくほう)。無眼界(むげんかい)。乃至無意識界(ないしむいしきかい)。 「眼・耳・鼻・舌・身体・意識も無く、形・音・香り・味・触覚・意識の対象も無い。眼で見られる領域および意識される領域にいたるまで無いのである」 (06) 無無明(むむみょう)。亦無無明盡(やくむむみょうじん)。乃至無老死(ないしむろうし)。亦無老死盡(やくむろうしじん)。 「(生命が等しく有する)根源的愚かさも無く、また根源的愚かさが無くなるということもない。および老いと死も無く、老いと死とが尽きて無くなるということも無い」 (07) 無苦集滅道(むくしゅうめつどう)。無智亦無得(むちやくむとく)。以無所得故(いむしょとくこ)。 「すべてが苦であるという聖なる真理・苦しみの原因という聖なる真理・苦しみの滅亡があるという聖なる真理・苦しみの滅にいたる道という聖なる真理も無く、知ることも無くまた得ることもない。得るところのモノがそもそも無いからである」 (08) 菩提薩埵(ぼだいさった)。依般若波羅蜜多故(えはんにゃはらみったこ)。心無罣礙(しんむけいげ)。 「菩薩は、般若波羅蜜多によっているために、心に覆いが無い」 (09) 無罣礙故(むけいげこ)。無有恐怖(むうくふ)。遠離一切顛倒夢想(おんりいっさいてんどうむそう)。究竟涅槃(くきょうねはん)。 「心に覆いが無いために、心に恐れがない。すべての真理に違逆した心のあり方・妄想することから遠く離れ、大いなる平安の境地に至るのである」 (10) 三世諸佛( さんぜしょぶつ)。依般若波羅蜜多故(えはんにゃはらみったこ)。得阿耨多羅三藐三菩提(とくあのくたらさんみゃくさんぼだい)。 「過去・現在・未来の諸々のブッダは、智慧の完成によって、この上なく正しい悟りを獲得したのである」 (11) 故知般若波羅蜜多(こちはんにゃはらみった)。是大神咒(ぜだいじんしゅ)。是大明咒(ぜだいみょうしゅ) 是無上咒(ぜむじょうしゅ)。是無等等咒(ぜむとうどうしゅ)。 「このようなことから知るべきである 般若波羅蜜多の、この大いなる真言を。この大いなる智慧の真言 この無上の真言を。この比べるものが無い真言を」 (12) 能除一切苦(のうじょいっさいく)。眞實不虚(しんじつふこ)。故説般若波羅蜜多咒(こせつはんにゃはらみったしゅ) 即説咒曰(そくせつしゅわつ) 「(この真言は)よくすべての苦しみを除くものである。真実であって偽りでないから、般若波羅蜜多の真言を説かん」。すなわちその真言とは、 (13) 掲帝(ぎゃてい) 掲帝(ぎゃてい) 般羅掲帝(はらぎゃてい) 般羅僧掲帝(はらそうぎゃてい) 菩提僧婆訶(ぼじそわか) Gate Gate Pāragate Pārasamgate Bodhi Svāhā (14) 般若(波羅蜜多)心經(はんにゃしんぎょう) 般若波羅蜜多の核心を説く経おわる。 「般若心経 現代語超訳」から引用 『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』 この教えは、お釈迦さんを覚らせた仏さまがおっしゃったもので、心が豊かに、安らかになるための素晴らしい智慧のエッセンスについてのものなんだ。 観音さまっていう、とっても心のバランスがとれた仏さまがいるんだけど、その仏さまが、ある時、心静かに物事を観察していたら、心に何のわだかまりもなくなったんだ。そして、この世の中には何一つとして、永遠不滅で、変わらないもは無いっていうことがわかったんだ。 舎利子君、いいかい。物事は、その働きも、存在も、いろいろな条件が重なってそうなっているんだ。だから、その条件が変われば、結果も変わってくる。その条件は刻々と変化しているんだ。世の中はすべてそういう具合になっているんだ。 舎利子君、よくお聞きよ。色々な条件の中には自分の努力というのもあるけど、それだけじゃないんだ。ほかにも色々な、私たちには想像もつかないような条件が入り込んでいるんだ。 どんなものでも無数の条件でそこにあるのだから、何もないところから突然何かが出現するっていうこともないし、いきなり何にも無くなってしまうということもないっていうことさ。無くなるにしても何かの条件があるはずだからね。 物事は一見増えたり減ったりすることがあるけど、よく考えてみれば、ある場所から別の所へ移っただけなんだ。実質は増えても減ってもいないんだよ。 ちょっとびっくりするかもしれないけど、物だってさまざま条件によって変化しているし、私たちが頭で考えることだって、常に変化しているんだ。その日の気分っていうのがあるだろう。それと同じだよ。いつも自分は同じだと思っていたって、違っているんだ。なかなかそのことに気がつかないことが多いけどね。 よく人は年はとりたくないとか死にたくないって言うけど、じゃ年を取るって何だろう。死んじゃうってどういうことなんだろう。年を取るっていうのはある意味では成長するっていうことだろう。死にたくないっていうけど、それは死んだ後のことがわからないからだろう。じゃ私たちが生まれる前って何だったんだろう。きっと生まれる前と死んだ後は同じだよ。 私たちはこだわり過ぎるんだ。色々なことにね。こだわるっていうことは、そこにじっとしているっていうことだ。じっとしていたんじゃ他の素晴らしい世界を知ることもできないんじゃないかな。 仏さまたちはみんな、物事やその働きを心静かに観察して、そこから共通の法則を見つけ出したんだ。それを見つけ出すと、心が自由自在になるんだ。何かを恐がることもないし、現実を無視して「こうであったらいいのになあ」なんて夢見るようなことも考えないんだ。 こういう考え方というか、感性を身につけるのに、とっても素晴らしい呪文があるんだ。それはね、 ギャーテー・ギャーテー・ハーラーギャーテー・ハラソーギャーテー・ボージー・ソワカっていう呪文さ。 以上:3,175文字
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