平成24年 6月12日(火):初稿 |
○滅多に購入したことがない文藝春秋の平成24年7月号を購入しました。”徹底追求平成政治24年亡国の「戦犯」”との記事と、加山雄三氏の対談”父・上原謙の最期と理想の死に方”を本屋で立ち読みして、特に上原謙氏の最期についての感想から始まる加山雄三氏と吉永馨東北大学名誉教授の対談をじっくり読みたいと思ったからです。 吉永馨氏は、仙台ターミナルケアを考える会富桜会・仙台敬老奉仕会の会長をされて、特別養護老人ホーム(特養)などのボランティア活動の支援等の活動をされています。 以下、その記事の中で感銘した部分の備忘録です。 ・いまでも覚えているのが、(上原氏が)亡くなる前日のこと。その日は親父の誕生パーティーをやって、親父は寿司を三人前も食べるほど元気でした。パーティーが終わって、離れまで、女房を見送ったんですね。親父が中に入って、電気が消えたから帰ろうとしたら、突然、パッとまた電気が点いた。何だろうと思ったら、ドアが開いて、親父が顔を出して、声が聞こえなかったんですが、口の形で「アリガトウ」と言っているのがわかった。それが僕らが見た最期の姿で、翌日、風呂場で倒れているところを発見されたんです。 ※亡くなる前日寿司を三人前食べるほど元気な82歳で、突然亡くなった上原氏は,正に「ピンピンコロリ」で私が理想とする死に方でしたが、しかし、本人は良くても,周囲には、これもまた迷惑なようです。 ・今でこそ、「最後は自分で『湯灌』(※亡くなった方をお風呂に入れる儀式)までして、あっという間に旅立って、”子孝行”な親父でした」と言えますが、当時はすごく戸惑いました。これが日ごろから病んでいれば、もちろん介護は大変なんでしょうけど、いろいろ心構えとか準備も出来たのになぁ、と。 ・(吉永馨氏)世間では一般に「ピンピンコロリ」がいいとされているんですが、元気な方が急に亡くなるというのは、残された家族にとっては、ショックが大きくて、立ち直れない人も結構いる。 ※「ピンピンコロリ」が理想の死に方と思っていましたが、まだ、これも家族には、問題があるようです。上原氏は、亡くなる前の晩に、「アリガトウ」とお別れの言葉を言ったようですが、家族にしてみれば、寿司を三人前も食べるほど元気で、旅立つなんて全く想定外であり、心の準備のないところでの、突然の旅立ちのショックは大きいようです。 ・(吉永馨氏)平成24年現在日本の要介護者数は500万人超。内要介護4~5の「全介護」者数は、実に120万人。これに対し特別養護老人ホームは40万床だけで入所待ち、100人、200人なんて施設はザラ。この特養スタッフは、低賃金・過重労働で離職者は後を絶たず、今後、団塊世代が要介護者に加わったときの状況は悲惨。少々の増税では追いつかないところまで来ている。 ・(吉永馨氏)理想とされる「ピンピンコロリ」の実態は、心筋梗塞・脳卒中・交通事故が大部分。実はまだ健康に生きられるはずの人が死んでしまう一種のアクシデントだから、全然よくない。 ・(吉永馨氏)心臓が止まれば,終わりだが、心臓は自分が動かしているのではなく、自分ではない誰かーサムシング・グレートーが動かしている。このサムシング・グレートに対する畏敬の念は誰もが絶対に持っていた方がよい。 ※私も、すべてお見通しの絶対者ーサムシング・グレートの存在は確信しております。 ・(加山氏)退職しても生きた人間という肉体の船に乗った魂は、”生涯現役”。自分がその肉体船の船長なんだから、棺桶に入るまで責任を持って舵取りして欲しい。 ※私も、「肉体は絶対者(神仏?)からの預かりもの-自分所有に非ず」記載の通り、この世での肉体は、この世にいる間、サムシング・グレートーから借りた預かりものと認識しており、大切にしなければと、涙ぐましい健康努力を継続しており、加山氏の考えと通じるところがあります(^^;)。 以上:1,599文字
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