平成20年 6月13日(金):初稿 |
○「私が絶対者(神)や霊魂等の存在を確信する理由1-事故体験」や「私が霊魂等の存在を確信する理由-盲目の霊能者1」等に記載したとおり、私は特定の宗教を信じては居ませんが、全てお見通しの神(絶対者)の存在と霊魂の不滅は、小さいときから確信しています。 ○「賃借建物で賃借人が自殺した場合の責任範囲の一例」と「賃借建物で賃借人が殺害された場合の責任」で賃借人が賃借建物内で死亡した場合、自殺の場合は責任が生じ、他殺の場合は責任が生じないとの裁判例を紹介しましたが、全てお見通しの神(絶対者)の存在と霊魂の不滅を確信するの私の判断基準からも、当然のことです。 ○それは私は自殺は一種の犯罪的行為と考えているからです。表題の通り、私は自分の肉体は、絶対者(神仏?)からの預かりものであり、自分のものであって自分のものではないと考えています。霊魂の存在を確信する私は、20年以上前のことですが、小さい時からファンであった丹波哲郎氏が霊界の宣伝マンを自認して出版している書籍を全て購入して読み込み、更に独自のとぼけた語り口で面白可笑しく霊界を解説するテープまで購入して丹波霊界論を繰り返し聴いて勉強した時期がありました。丹波氏主宰来世研究会に入会しようかと思ったこともありました。結局は入会しませんでしたが。 ○この丹波霊界論を勉強している時に強く印象に残った言葉の一つが、肉体は絶対者からの預かりものであり、これを粗末にすることは絶対者に対する重大な裏切り行為であると言うことでした。人間の究極の存在は霊魂ですが、絶対者は、霊魂の修行のために肉体を授けて一時的に現世に送り込むものであり、その肉体は、先日水泳世界記録を出した北島康介選手のような素晴らしいレベルのものもあれば、難病を抱えて僅かの間しか生きられないはかないものまで多様にあります。 ○しかし全て絶対者のプログラムの元に与えられ、与えられた肉体で霊魂が現世で修行をしなければならないと丹波氏の言葉を理解し、私自身の肉体は繰り返し強調しているとおり小さい時から病気ばかりして虚弱・軟弱な極めて低レベルのものですが、絶対者から授けられた大切なものであり、どんなに虚弱でも大事に大事にしていかねばと考えております。 ○従ってこのように大切な預かりものを粗末にすることはとんでもないことであり、まして自ら滅ぼす自殺行為は到底許されない大罪であり、普通の精神状態では到底なし得ないこととも考えております。肉体は絶対者からの預かりもので、自分のものであって自分のものではないことを強く自覚し、私なりに精進を続けていきたいものです。 以上:1,074文字
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