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長野善光寺内お戒壇巡り感想-光の有り難み実感

平成22年 7月14日(水):初稿
○「2年ぶりの軽井沢から初めての長野善光寺へーお戒壇巡りに感動」に記載したとおり、平成22年7月11日、初めて長野善光寺を訪れましたが、一番の感激は、お戒壇巡りでした。案内をして頂いた桐師匠【多遊】さんはしきりに面白いところに案内します、本日のメインイベントですと、強調されていましたが、ホントにメインイベントで、強烈な印象を残しました。

○「お戒壇の暗闇っぷりはスゴかった!~長野 善光寺~」と言うブログに、その凄さが、ちと、オーバーに表現されていますが、ホントに最初に入ったときは、このブログの記事のように感じました。これほどの真っ暗闇の経験はこれまで無かったように思います。
「闇に目が慣れる」というが、それは光がほんの少しでも存在している場合の話。100%の暗闇の中では、たとえ1時間だろうと24時間だろうと、ぜったいに目が慣れるなどということはない。いつまでたっても闇は闇だ。
(中略)
ウワサにたがわない暗闇っぷりだった。光が「無」なのだから当然、何も見えない。目の前に人がいるはずなのだが、まったくわからない。そもそも人の輪郭がぼんやり見えている時点でそれは真の暗闇ではないのだ。「極楽の錠前」は壁の右側にあるという。ひたすら右手で壁を探りつつ、左手で前方をケアしながら一歩一歩進んでいく。しかし混雑しているためか、なかなか前に進まない。もう10分ぐらい入っているような気がする。真の闇がこれほど重圧だとは思わなかった。けんめいに目を凝らしても闇。何をどうしようと闇・闇・闇。得体のしれない不安感も芽生えはじめる。暗闇パワー恐るべし。
と言うことを、実感しました。

○驚いたのは完全な暗闇では、直ぐ目の前の人も全く見えず、また、居るという感じもしないことでした。一定間隔を置いての行列で入っていったのですが、入って2,3秒後に真っ暗闇となり、前を行く人も全く判らなくなります。右手で身体の右側の壁に触ってその壁伝いに進行しますが、時々、前の人の身体に触れて動けなくなりますが、前の人に接触しても前の人が全く見えず、接触が無くなると前に人が居るとの感じも全くなくなります。勿論、後ろから来る人の感じも全く判りません。

○しばらく、5分か10分か、時間の感覚も不明ですが、長いような短いような、真っ暗闇の中を漂っている内に、サッと一筋の光明が見えたかと思うと、前方に出口の明かりが見えてきました。この時、この出口の光の何と明るく、また、何と有り難いことか。光を感じることの出来る有り難さを身にしみて感じました。普段、当たり前のように感じている光が如何に有り難いものかを判らせるためにこのような設備が出来たのかとも感じました。

○その時感じたのは、このような完全な暗闇に人間が放り込まれたら、果たして、何時間持つだろうかと言うことでした。この完全暗闇の圧迫感、不安感は、時間の経過によって、激烈に強まり、精神に異常を来してしまうのではとも感じました。これほどまでの完全暗闇空間を彷徨した後の光を浴びる快感に圧倒され、忽ち、もう一度経験したくなり、2巡してしまいました。流石に2巡目は、暗闇に眼が慣れたわけではありませんが、その状況に慣れたせいか、彷徨時間も短く感じ、1巡目のような感激はありませんでした。
以上:1,343文字

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