平成20年 1月17日(木):初稿 |
○「私の司法試験受験時代の思い出-大学在学中1」記載以来ロースクール日記記載がありませんが、受験生Mさんは、現在当事務所アルバイトを休止し、本年度必勝を期して必死に頑張っているところです。 ○「私の司法試験受験時代の思い出-大学在学中1」に記載したとおり、私の司法試験受験勉強が本格的に始まったのは、大学3年秋からでした。それまで通っていた相崎勝利先生のフラメンコギター教室を止め、周囲にも自分はこれから司法試験に挑戦すると言いふらしました。厳しい漁船員の仕事をして学費を送ってくれる父が当時61歳の高齢になっており長く受験勉強をするわけには行かなかったからです。 ○本格的に司法試験勉強を始めたのは3年時の秋でしたが、大学入学時から司法試験受験を考えており、そのため小嶋和司先生の憲法、荘子邦雄先生の刑法総論は3年間、当時都立大学教授で東北大には夏の集中講義をしていただいた小田中聰樹先生の刑事訴訟法2年間聞いて講義ノートを充実して取り、最後まで基本書はこの講義ノートでした。 ○司法試験受験で最も重要な民法は、当時東北大学三羽鴉と言われた幾代通・鈴木録也・広中俊雄の各先生の名講義があったのですが、憲法、刑法の講義に比べると何故かなじめず1年間しか聞かず、講義ノートも余り取れませんでした。特に広中先生の講義は格調高すぎるのと小声で講義が聞き取れないためサッパリ判らず途中で出席を止めてしまい、民法攻略にはその後大変苦労しました。何事もそうですが、先達の話を聞くのが一番上達の早道のところ、民法はこの早道を進むことが出来ませんでした。 ○大学4年時の5月、初めて司法試験の第一関門短答式試験に挑戦しましたが、当時、憲法だけは講義を2年間聴いて一通りやっていましたが、刑法各論と民法の相当部分がまだ手が回らない状況で、一応受験はしましたが、話にならないレベルで、当然不合格でした。 ○当時、2回目挑戦の大学卒業一年目合格という正に「盲蛇に怖じず」の目標を持っていましたが、1回目挑戦は第一関門短答式試験不合格が当然の前提で不合格の結果を聞いても全く落胆はなく、大学4年時は受験に必要な授業時以外は、朝から晩まで大学の図書館で、また夏休み等で郷里気仙沼に帰った時は市立図書館で過ごしました。 ○そして卒業して学生の身分が無くなると何かと不便と言うことで大学4年は1科目だけ残して留年し仙台で勉強を続ける予定でしたが、予想外の中耳炎の悪化など身体の不調があり、4年終了時の3月に郷里の気仙沼に帰り、気仙沼で1人受験勉強を続け、合格目標の2回目の短答式試験に臨みました。 以上:1,070文字
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