平成19年 6月13日(水):初稿 |
○しばらくロースクール日記のデータ入力がありませんが、受験生Mさんは元気にやっております。 私の受験時代について少しばかり記述します。 私は昭和45年3月宮城県立気仙沼高校を卒業し、東北大学法学部を目指しましたが、失敗し、同年4月から仙台市に引っ越し、当時の文理予備校に入学し、1年間の予備校生活を経て、昭和46年4月、念願の東北大学法学部に入学することが出来ました。 ○東北大学法学部入学時、漠然と司法試験を目指すことを考えていましたが、法律の勉強を始めたのは、大学で法律専門科目の授業が始まった2年次からでした。1年次の授業は教養科目だけでしたが、当時、沖縄返還協定反対等の学生運動が猛威を振るって、スト、ストの連続で授業が休講になることが多く、余り授業に出た記憶がありません。 ○大学1年次はマンドリンクラブに入部してギターを担当しましたが、相崎勝利先生のフラメンコギター教室での練習の方が面白く、マンドリンクラブは半年程で止めてしまい、2年次からはパコ・デ・ルシアに傾倒してそのレコードを繰り返し聞いてはフラメンコギター練習に明け暮れていました。 ○2年次から法律専門科目の授業が始まり、故小嶋和司先生の憲法と荘子邦雄先生の刑法総論が大変面白く感じて、一応司法試験受験を目指していた私は、小嶋憲法と荘子刑法総論の授業は2年から4年まで同じ講義を3回連続して聞いて懸命にノートを取りました。 ○また3年次夏の集中講義で当時東京都立大学で教えていた小田中聰樹先生の刑事訴訟法の語り口の明快な講義が面白く感じ、3年、4年と同じ講義を2回聞いてこれも懸命に講義ノートを取りました。講義を繰り返し聞くと、最初は良く取れなかったノートも相当詳細に取れるようになり、特に小嶋憲法講義を4年次に3回目の講義を聞いたときは、冗談まで詳細にノートに記録できました。毎回、同じところで同じ冗談を言ったからです。 ○憲法、刑法、刑事訴訟法の3科目は講義ノートを充実して取れたので、当時、受験生の必須基本書と言われた清宮・宮沢憲法(有斐閣法律学全集)、団藤刑法、平野刑訴法(有斐閣法律学全集)は、殆ど読むことなく、講義ノートを基本書として勉強しました。 ○私が司法試験勉強を本格的に始めたのは、相崎勝利先生のフラメンコギター教室を一時休業した、大学3年の秋からでした。と言うより司法試験勉強に専念するためフラメンコギター教室を止めたと言う方が正確です。当時父が61歳の高齢で鰹船乗組員の激務に就いており長く迷惑をかけることは出来ないと思っていたからでした。 以上:1,054文字
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