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政治家の寄付禁止に関する公職選挙法・政治資金規正法条文備忘録2

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令和 7年 3月23日(日):初稿
○政治家とお金と言えば何と言っても金権政治家の権化と言われた田中角栄氏です。最も有名なエピソードは、若手議員が女性問題で100万円必要になり、派閥ボスに借りに行くも断られ、田中角栄氏に泣きつくと、角栄氏は現金300万円を手渡し、100万円で問題にケリをつけ、100万円で世話になった人にご馳走し、100万円をこれからのため取っておけ、全額返済無用と伝え、感涙した若手議員はそのまま田中派入りしたとの話しです。この若手議員は誰なのか100数十冊ある角栄本で調べたのですが、実名データは見当たりませんでした。

○ウィキペディア田中角栄解説には「福田派の福家俊一が入院した時、いち早く見舞いに訪れ、分厚い袋に500万もの金を入れて足元に忍ばせた。その後4回ほど田中は見舞いに訪れたが、その度に500万を忍ばせていたという。福家は以後、田中の批判をしなくなった。」とのエピソードが記述されています。

○角栄氏にはこの手の話しは山ほどあり、自民党他派閥だけでなく、対立する野党の政治家にもお金を配っていたとの話しは、角栄本の中に山ほど記載されています。角栄氏が衆議院議員になったのは1947(昭和22)年、1957(昭和32)年郵政大臣、1962(昭和37)年大蔵大臣、1972(昭和47)年内閣総理大臣と出世しましたが、この300万円のエピソードは、昭和30~40年代の話しと思われます。2025(令和7)年からは60年も前の話しで、300万円の価値はその3倍くらいはあった時代かも知れません。

○角栄氏には、数百万円単位のお金、今の時代なら数千万円単位になるかも知れないお金を他の議員や官僚に渡していたとのエピソードが山ほどあり、おそらく実際の話と思われますが、贈与税問題や政治資金規正法問題は、角栄本には全く記述されていません。公にはならない藪の中の話しだからですが、この田中角栄氏のエピソードに比べたら、現在の石破首相の10万円商品券問題なんて問題にする方がおかしいなんて考え方もあるかも知れません。

○以上の角栄氏のエピソードから寄附を規制した政治資金規正法ができたのは昭和50年代以降かと思っていました。しかし、ウィキペディア解説では、「本法は、第二次世界大戦後の混迷した政治情勢のもと現出した政治腐敗と群小政党の乱立に対処するため、GHQの指導により1948(昭和23)年に制定された。当初、内務省が政党法の立案を試みたが成案に至らず、その後国会での各党間での協議を経て、最終的にアメリカ合衆国の腐敗行為防止法をモデルとする政治資金規正法として成立した。制定当初は政治資金の収支の公開に主眼が置かれ、寄附の制限は設けられていなかった。」とされています。

○その後、「しかし、田中金脈問題を契機として、1975(昭和50)年に全面的な改正が行われた(三木内閣時)。この時、はじめて寄附の制限が導入され、同時に政治団体の収支公開も強化された。」と説明されており、前述の角栄氏の金配りは、当時、政治資金規正法「寄附」規制はなく、違法ではなかったようです。
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