令和 6年 5月 9日(木):初稿 |
○「特別養護老人ホームの食事介助過失責任を認めた地裁判決紹介1」の続きで、特別養護老人ホームの入所者に対する債務不履行(注意義務違反)についての令和5年4月7日東京地裁判決(LEX/DB)関連部分を紹介します。 ○亡eの相続人である原告らが、被告は、被告運営の特別養護老人ホームに入所し、介護老人福祉施設サービスを受けていた亡eに対して負っていた安全保護義務に違反し、亡eに褥瘡を発生・悪化させた債務不履行又は不法行為により、亡eに精神的損害を与えた旨を主張し、被告に対し、債務不履行又は不法行為に基づき、その法定相続分に従い合計400万円の慰謝料を請求しました。 ○褥瘡とは、日本褥瘡学会では「身体に加わった外力は骨と皮膚表層の間の軟部組織の血流を低下、あるいは停止される。この状況が一定時間持続されると組織は不可逆的な阻血性障害に陥り褥瘡となる」と定義されています。臨床的には、患者が長期にわたり同じ体勢で寝たきり等になった場合、体と支持面(多くはベッド)との接触局所で血行が不全となって、周辺組織に壊死を起こすものをいい、一般には床ずれ(とこずれ)とも呼ばれています。 ○この請求に対し、東京地裁判決は、認定された事実によれば、被告が亡eの褥瘡の予防・管理に関する入居施設としての注意義務に違反したとは認められないから、原告の請求には理由がないとして、いずれの請求も棄却しました。「特別養護老人ホームの食事介助過失責任を認めた地裁判決紹介1」は特別養護老人ホームの責任について、厳しすぎると感じましたが、認定事実を見る限り、この判決は妥当と思います。 ********************************************* 主 文 1 原告らの請求をいずれも棄却する。 2 訴訟費用は原告らの負担とする。 事実及び理由 第1 請求 1 被告は、原告aに対し、200万円及びこれに対する令和3年1月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 被告は、原告bに対し、100万円及びこれに対する令和3年1月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 3 被告は、原告cに対し、100万円及びこれに対する令和3年1月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要 本件は、故e(以下「故e」という。)の相続人である原告らが、被告は、被告運営の特別養護老人ホームに入所し、介護老人福祉施設サービス(以下「介護サービス」という。)を受けていた故eに対して負っていた安全保護義務に違反して、故eに褥瘡を発生・悪化させた債務不履行又は不法行為により、故eに精神的損害を与えたものであり、その慰謝料は400万円を下回らないと主張して、被告に対し、債務不履行又は不法行為による損害賠償請求権に基づき、その法定相続分に従い上記慰謝料及びこれに対する訴状送達の日の翌日である令和3年1月7日から支払済みまで民法(平成29年法律第44号による改正前のもの)所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。 1 前提事実(証拠等を掲記しない事実は当事者間に争いがない。) (1)当事者 ア 原告a(以下「原告a」という。)は故eの妻、原告b(以下「原告b」という。)は故eの長男、原告c(以下「原告c」という。)は故eの長女である。 イ 被告は、昭和60年2月に厚生大臣より認可を受けた社会福祉法人であり、同年5月に東京都知事より特別養護老人ホーム北東京寿栄園の設置認可を受け、在宅サービス、老人ケアホーム等の事業を開始したが、現在は上記施設の名称を変更し、特別養護老人ホーム「加賀さくらの杜」(以下「本件施設」という。)を運営している。 特別養護老人ホーム(介護老人福祉施設)とは、常時介護が必要で、在宅での介護が困難な者のための入居施設である(乙C2の2)。 (2)故eの本件施設への入所 (中略) 第3 当裁判所の判断 1 認定事実 前記第2の1(前提事実)のほか、証拠(各項末尾に掲記したもの)及び弁論の全趣旨によると、以下の事実が認められる。 (1)故eの身体状況及び生活状況 ア 故eは、本件施設への入所前の43歳の頃から糖尿病の持病を抱えていた(乙A7)。 イ 故eは、平成18年8月22日の本件施設への入所当時59歳であり、脳梗塞により左半身麻痺の状態で、要介護4の認定を受けており、前立腺肥大により頻尿の傾向が認められ、既におむつを着用していた(乙A3、乙A19の3、乙A37・11、12頁、証人g 32頁)。 ウ 故eは、平成22年7月7日に要介護5の認定を受け(乙A1、乙B1)、食事以外は寝たきりの状態であり、寝返りも自力でできない状態となっていた(乙A37・12頁)。 エ 故eは、仙骨部に表皮剥離が認められた平成29年7月23日当時、70歳であった(甲1の1)。 (中略) 2 争点(1)(被告の義務違反の有無)について (1)褥瘡の予防及び管理に関する入居施設の注意義務 ア 原告らは、本件施設に入所していた故eについて、被告は褥瘡の発生を予防し、褥瘡が発生した場合には適切な管理をして悪化させないようにする注意義務を負っており、そのために故eの体位変換を適切に行うべきであったが、故eに繰り返し褥瘡を発生させたり、直径15センチメートルの大きな褥瘡を発生させるなどしていることから、上記注意義務を尽くさなかったと主張するので、これを踏まえて以下において検討する。 イ 前記1(3)に挙げた学会のガイドラインやガイドブックのほか介護士向けの書籍等の文献の記載によると、そのいずれにおいても、褥瘡の予防について、体圧分散寝具の使用が強く推奨され、ガイドラインにおいては4時間以内の間隔での患者の体位変換が勧められていることが認められる。また、褥瘡の発生後は、塗り薬による治療が中心であり、悪化した部分を切除することもあるとされるが、これらは医療機関の診断と指示に基づく処置であることからすると、本件施設のような入居施設において、入居者に褥瘡が発生後に行われるべき処置としては、体圧分散寝具の使用と体位変換が中心となるということができる。 そして、上記文献等において、従来行われていた大きく体位を変える体位変換には、不自然な姿勢を一気に他動的に行うため、場合によっては拘縮や変形を助長させることもあるという問題が指摘されていることからすると、入居施設の入居者に褥瘡が発生した場合の施設における処置として求められる体位変換とは、仰臥位の患者については背抜きやポジショニングピローの挿入によって体圧を緩和することを含む体圧分散や圧迫部位の血行促進のための多様な処置であると理解されていたというのが、故eが本件施設に入居していた当時の医学的知見であったと認められる。 ウ 故eが、平成19年8月19日以降褥瘡を繰り返し発生させていたこと、平成29年7月21日に故eを診察した医師から褥瘡のリスクが高そうであることを伝えられていたこと(前提事実(3))からすると、被告は、本件利用契約に基づく注意義務として、故eについて褥瘡を予防し、褥瘡が発生した場合にはこれを適切に管理する義務を負っていたというべきである。 そして、前記1(3)の各文献にあらわれる医学的知見に照らすと、その具体的内容は、故eのために体圧分散寝具を使用するとともに、4時間以内の間隔で体位変換を行うほか、褥瘡発生後は、体圧分散寝具の使用及び体位変換の実施に加え、医師の指示に従って塗り薬の塗布その他の処置を行うというものであったと認められる。 エ 上記イ及びウを踏まえて検討するに、本件施設では、故eにエアマットレスを使用しており(前記1(2)ア)、これが体圧分散寝具に該当することは明らかである(乙A37・13頁)。また、本件施設では、故eに対し、1日に10回程度ビーズクッションを使用して仙骨部や踵を浮かせるよう努めていたことに加え(前記1(2)イ)、1日に5回実施するおむつ交換(証人g 28ないし30頁)の際に体位変換が行われていたと認められるから、被告は少なくとも4時間以内の間隔で故eの体位変換を行っていたということができる。 他方、被告は、平成29年7月21日にf医師から故eについて褥瘡のリスクが高いと指摘され、予防のための処置について指示されたことを踏まえ、同月22日に故eの仙骨部に表皮剥離が発見されるや、翌日には原告aに皮膚科の受診について相談し、結果的に原告aが皮膚科ではなくフットケア外来で故eの褥瘡の診察を予約するなどしたため、皮膚科での診断が同年8月2日となったものの、その間、f医師が指示したとおり処置を行っていた。 また、同年8月1日に故eの褥瘡に浸出液の付着や創部拡大が確認されたため、翌日には故eを皮膚科受診させ、その後、予約した受診日に皮膚科を受診させた上、医師に指示された塗り薬の塗布や内服薬の服用などの処置を行った。そして、故eの褥瘡に関するこのような経過について、同年8月18日に開催された褥瘡委員会において報告されていた(前提事実(3)、前記1(2))。 以上によると、被告は、褥瘡のリスクが高い故eのために体圧分散寝具であるエアマットレスを使用するとともに4時間以内の間隔で故eの体位変換を行い、褥瘡発生後は適切に医療機関を受診して医師の指示に従った処置を行っているものと認められるから、被告には故eの褥瘡の予防・管理における注意義務違反があるとは認められない。 オ 原告らは、体位変換についての記録であるケース記録(乙A19の2)について、記載内容が連日一定のものとなっており、本件病院を受診したはずの日時にも体位変換が実施されたと記載されていることから、故eの体位変換について正確な時刻や回数を示したものではないと指摘するが、上記のとおり、褥瘡が発生した故eに必要な体位変換は、体圧分散や圧迫部位の血行促進のための多様な処置であって、おむつ交換の際に行われていたものだけでも4時間以内の間隔による体位変換を実施していたと認められるのであるから、ケース記録の記載に正確を欠く部分があったとしても、上記判断に影響を与えない。 また、原告らは、原告a及び原告cは週に二、三回ほどの頻度で本件施設に入所中の故eを見舞いに行っていたが、その際に本件施設の職員が体位変換を実施している場面を目撃したことはないと主張し、原告cもこれに沿う供述をするが、そもそも原告cは見舞いのために本件施設を訪れた際も終始付き添っていたわけではないから、原告cが体位変換を目撃していなかったからといって、被告が故eの体位変換をしていなかったとは認められないし、原告cはおむつ交換の場面に遭遇した記憶があると供述していることからすると、見舞い中であったとしても、おむつ交換に伴う体位変換が実施されていたものということができるのであり、原告らの主張を採用することはできない。 (2)原告らのその他の主張 原告らは、故eに褥瘡が発生した際に本件施設が褥瘡の状況を適時に原告らに知らせなかったため、原告らにおいて故eに適切な治療を受けさせることができず、故eの褥瘡が悪化したと主張するが、前記第2の1(5)ウないしケのとおり、本件施設は、原告aに対し、少なくとも故eの表皮剥離が認められた日の翌日である平成29年7月23日に原告aに連絡して皮膚科の受診を相談して以来、適時に医療機関を受診させるよう配慮し、被告の職員が付き添った場合は原告aに診断内容を伝えたり、原告らが付き添った場合は原告らから連絡を受けるなどして連携し、適切に対応していたと認められるのであり、そもそも原告ら主張に係る事実を認めることはできない。 なお、原告cは被告から故eの褥瘡がそれほど悪化しているとは聞いていなかった旨供述するが、一方で悪化していたこと自体は聞いていたとも供述しており、被告の何らかの注意義務違反を根拠付けるものということはできない上、被告とのやり取りは主として原告aが行っていたとも供述しており,そのやり取りの内容について原告cが逐一確認していたような形跡も認められないことからすると、原告cの供述のみに基づいて被告からの連絡や被告との連携の有無や内容について認定することはできないし、他に上記原告cの供述を裏付ける客観的証拠は存在しない。 (3)まとめ 以上によると、被告が故eの褥瘡の予防・管理に関する入居施設としての注意義務に違反したとは認められないから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がない。 第4 結論 以上の次第で、原告らの請求をいずれも棄却することとして、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第37部 裁判長裁判官 杜下弘記 裁判官 安川秀方 裁判官 高岡遼大 以上:5,253文字
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