平成29年10月 4日(水):初稿 |
○医療過誤による損害賠償請求事件は、過去3件しか扱ったことがなく、原則として扱っておりませんが、医療過誤を専門的に扱っている弁護士に聞くとその勝率は微々たるもののようです。私が扱った事例はいずれも最終的には和解解決でしたが、請求額の数分の1或いは10数分の1の割合での和解金でした。 ○それが約3738万円の請求で3312万円が認められた平成29年8月2日名古屋地裁判決(裁判所ウェブサイト)を発見しました。損害賠償請求事件で請求額の9割が認められるのは、完勝と言って良いでしょう。医療過誤損害賠償請求では珍しい事例で、全文を5回に分けて紹介します。 ○事案は、亡Cが、もやもや病による脳室内出血などにより入院先の被告病院で死亡したことについて、亡Cの父母である原告らが、主治医らに注意義務違反があったとして、不法行為(使用者責任)又は債務不履行に基づき、損害賠償を請求した事案において、主治医に、痙攣発作が起こるまで脳室ドレナージなどの頭蓋内圧亢進の管理を行うべき注意義務違反があり、これとCの死亡との間には因果関係が認められるとして、原告らの請求が殆ど認容されました。 ******************************************* 主 文 1 被告は,原告Z1に対し,3312万6573円及びこれに対する平成23年10月31日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 被告は,原告Z2に対し,3312万6573円及びこれに対する平成23年10月31日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 3 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。 4 訴訟費用は,これを9分し,その1を原告らの,その余を被告の負担とする。 5 本判決は第1項及び第2項に限り,仮に執行することができる。 事実及び理由 第1 請求 1 被告は,原告Z1に対し,3738万9612円及びこれに対する平成23年10月31日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 被告は,原告Z2に対し,3738万9612円及びこれに対する平成23年10月31日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 3 訴訟費用は被告の負担とする。 4 仮執行宣言 第2 事案の概要等 1 事案の概要 本件は,亡Z4(以下「Z4」という。)の父母である原告らが,被告に対し,Z4は,もやもや病による脳室内出血などにより被告が開設する刈谷豊田総合病院(以下「被告病院」という。)に入院したところ,被告病院の医師らには,〔1〕水頭症,頭蓋内圧亢進の管理について,脳室ドレナージなどの急性期管理を怠った注意義務違反,〔2〕痙攣発作に対して速やかに抗痙攣薬を投与して全身管理すべきであったのに,これを怠り約14時間半にわたり継続する痙攣発作を放置した注意義務違反があり,これらの注意義務違反の結果,Z4が死亡するに至ったとして,不法行為(使用者責任)又は債務不履行に基づき,損害賠償(いずれもZ4が死亡した日である平成23年10月31日からの民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を含む。)を請求する事案である。 2 前提事実(証拠を摘示したものを除いて,当事者間に争いはない) (1)当事者等 ア Z4は,平成16年○月○○日生まれの女児であり,平成23年10月31日(以下,平成23年の出来事については,単に月日のみを示すことがある。)に死亡した。 原告Z1(以下「原告Z1」という。)はZ4の父であり,原告Z2はZ4の母である。 イ(ア)被告は,被告病院を開設する医療法人である。 (イ)Z5医師(以下「Z5医師」という。)は,平成23年当時,被告病院脳神経外科で勤務していた医師であり,Z4の主治医であった(乙A3・1頁)。 (ウ)Z6看護師(以下「Z6看護師」という。)は,平成23年当時,被告病院に勤務していた看護師であり,10月23日から10月24日にかけて,当直の看護師であった(乙A1・235~243頁)。 (エ)Z7医師(以下「Z7医師」という。)は,平成23年当時,被告病院外科で勤務していた医師であり,10月23日から10月24日にかけての当直医であった(乙A1・233、236頁)。 (オ)Z8医師は,平成23年当時,被告病院の脳神経外科部長であった(以下「Z8脳神経外科部長」という。乙A4・1頁)。 (2)診療経過の概要(なお,別紙診療経過一覧表について当事者間に争いはない) ア Z4は,平成23年10月18日,午前9時頃から頭痛があり,午後4時頃に2回転倒し,午後4時20分頃には頭が痛いと激しく啼泣した後嘔吐して反応が低下したことから,被告病院に救急搬送された(乙A1・348~349頁。別紙診療経過一覧表)。 イ 被告病院脳神経外科の医師は,同日午後5時18分,Z4に対し,CT検査を行ったところ,被告病院放射線科の医師は,右基底核領域背側の脳出血,脳室内穿破と診断した(乙A1・407頁。別紙診療経過一覧表)。 ウ Z4は,同日午後6時,被告病院ICUに入院となり,被告病院脳神経外科のZ5医師が主治医となった(乙A1・342頁)。 エ Z5医師は,同日午後6時27分,Z4に対し,CT検査(造影3D)を行ったところ,被告病院放射線科の医師は,もやもや病の疑いがあると診断した(乙A1・406頁。別紙診療経過一覧表)。 オ Z5医師は,10月19日午前10時3分,Z4に対し,MRI・MRA検査及びCT検査を行ったところ,被告病院放射線科の医師は,上記MRI・MRA画像につき,右半卵円中心,右尾状核,右視床内側の比較的新しい梗塞が生じていると診断し,上記CT検査につき,右半卵円中心,右視床内側の新たな梗塞が明瞭化したと診断した(乙A1・408,409頁。別紙診療経過一覧表)。 カ Z4は,同日午後2時頃,ICUから一般病棟へ転棟した(乙A1・453頁)。 キ Z4は,10月23日午後5時頃,ベッド柵を蹴飛ばすような仕草で足をばたつかせており,目は虚ろな状態で,「あつい,あつい…足あつい…あつい。」などと発言していた。その後も,上下肢をばたつかせる,視線が合わない,目を閉じてぐったり動かなくなるなどの状態が続いた。(別紙診療経過一覧表) ク Z6看護師は,10月24日午前0時30分頃,当直医であるZ7医師にZ4の診察を依頼したところ,Z7医師は,午前0時45分頃からZ4の診察を行った(別紙診療経過一覧表)。 ケ Z4は,同日午前7時45分頃,被告病院脳神経外科のZ9医師(以下「Z9医師」という。)により抗痙攣薬セルシンが投与されたが,前記クからZ9医師による診察までの間,医師による診察を受けることはなかった(別紙診療経過一覧表)。 コ Z5医師は,同日午前11時10分頃,Z4に対しCT検査を実施したところ,被告病院放射線科の医師は,新たに広範な脳梗塞又は痙攣後脳症が生じたと読影した(乙A1・412頁)。 サ Z5医師は,同日午後3時3分,Z4に対し,緊急減圧開頭術を実施し,両側脳室ドレナージの留置を行った(乙A1・200,206~207頁。別紙診療経過一覧表)。 シ Z4は,10月27日に自発呼吸が喪失し,10月28日には全脳死状態となり,10月31日午前11時10分に死亡した。 Z4が死亡した原因は,前記コのCT検査で確認された広範な脳梗塞である(甲A8)。 (3)医学的知見 ア 脳室(乙B2の2・25~26頁) 脳室は,左右の側脳室,正中にある第3脳室及び第4脳室から成る。 側脳室は,前角,中心部,三角部,後角,下角から成る。側脳室の下角は,側頭角ともいう(弁論の全趣旨)。 イ もやもや病(甲B3,乙B1) (ア)疾患概念 ウィリス動脈輪を中心に,両側内頸動脈終末部,前・中大脳動脈分岐部に慢性進行性に閉塞性病変が出現し,それに伴い側副血行路異常血管網(もやもや血管)を呈する疾患をいう。脳の血流が足りない状態(脳虚血)による脳梗塞,一過性脳虚血発作,もやもや血管の破綻による脳出血を起こす可能性がある。(甲B3・124頁) (イ)初回発作の病型 もやもや病の初回発作の病型には,出血型,虚血型(梗塞型,一過性脳虚血発作(TIA)型,TIA頻発型)等がある。一般に小児例では脳虚血症状で発症するものが多い。(乙B1・325~326頁) (ウ)症状 もやもや病の症状には,運動障害,意識障害,頭痛,けいれん等がある(乙B1・326頁)。 ウ 水頭症(甲B4,5,乙B2の1) (ア)疾患概念 髄液が頭蓋内腔に過剰に貯留した状態をいう(甲B4・152頁,乙B2の1・319頁)。水頭症は,頭蓋内圧亢進の原因となる(甲B5・128頁)。 水頭症には,交通性水頭症と閉塞性(非交通性)水頭症があり,脳室内からくも膜下へ至る経路に閉塞が生じるものを閉塞性水頭症という(甲B4・154頁,乙B2の1・320,321頁)。 (イ)症状・所見,診断 頭囲拡大や頭蓋内圧亢進症状といった臨床症状並びにCT及びMRI画像上の脳室拡大の所見により,通常,比較的容易に診断が下される(乙B2・322頁)。 (ウ)治療 水頭症の治療には,シャント手術,神経内視鏡手術,脳室ドレナージ等がある(甲B4・156,157頁)。 エ 脳出血の脳室内穿破(甲B6) 脳実質内の出血に引き続き,近接する脳室内に血腫が穿破すると,頭痛や悪心・嘔吐,意識レベルの低下などの症状が出現する。非穿破例と比較して急性水頭症を併発しやすいため,頭蓋内圧の制御に外科的処置を要する場合が多い。 脳室内穿破において脳室拡大が強いもの(水頭症)の場合には,血腫の排出や頭蓋内圧の低下を目的として,脳室ドレナージを行う。 オ 頭蓋内圧亢進(甲B5・128頁) (ア)病態 頭蓋内圧が亢進すると,脳灌流圧が低下し,脳虚血やPaCO2の上昇をひき起こす。それにより,さらに頭蓋内圧が上昇するという悪循環が起こる。頭蓋内圧の上昇を放置すれば脳ヘルニアに移行する危険があるため,早期の対応が重要である。 (イ)症状(急性の場合) 頭痛,嘔吐・嘔気,意識障害,痙攣などがある。 カ 正中線偏位(ミッドラインシフト)(甲B16) 脳CTあるいはMRIなどにおいて,本来,正中線にあるべき大脳の構造物が,大脳の空間占拠性病変又は大脳そのものの腫脹により,反対側へ圧排,移動させられている状態をいう。多くの場合,大脳一側に生じた腫瘍,出血,虚血などの病変や,それらに伴って生じる脳浮腫が原因となる。頭蓋内圧の亢進した徴候として臨床上きわめて重要である。 キ 脳室ドレナージ(甲B4ないし6) 脳室に直接チューブを挿入し,体の外部に髄液を排出する方法である(甲B4・157頁)。髄液の貯留により高まった頭蓋内圧を低下させることができる(甲B6)。合併症として感染がある(甲B4・157頁,甲B5・132頁)。 ク 痙攣(甲B7,8,13,14,17,18) (ア)痙攣 痙攣とは,全身又は一部の筋骨格(随意筋)に発作性に起こる不随意の収縮状態をいう(甲B7・168頁,甲B8・88頁,甲B13・75頁,甲B14・288頁)。 (イ)痙攣重積状態 痙攣発作が長時間持続する又は発作と発作の間に意識の回復がない場合を痙攣重積状態という(甲B7・171頁,甲B12・77頁,甲B14・288頁,甲B17・324頁)。 痙攣重積状態では,無呼吸・低換気と酸素消費増大により,低酸素血症を起こす。また脳内ブドウ糖の不足,代謝性アシドーシスを生ずる。カテコラミン放出により血圧上昇と脳血流増加がみられるが,痙攣が長時間続くと酸素・エネルギーの需要に応えきれなくなる。その結果,脳浮腫,頭蓋内圧亢進を来し,死亡ないし不可逆性の脳障害をもたらし得る。(甲B14・288頁) 痙攣重積状態に対しては,速やかに抗痙攣薬を投与する(甲B7・172,178頁,甲B13・78~79頁,甲B14・288~289頁,甲B17・324~325頁)。 来院時に痙攣が持続している場合には,痙攣重積状態として対応する(甲B8・90頁,甲B14・288頁,甲B18・60頁)。 3 争点 (1)水頭症,頭蓋内圧亢進の管理に係る注意義務違反の有無 (2)痙攣発作への対応に係る注意義務違反の有無 (3)因果関係 (4)損害 (5)期待権侵害の有無 以上:5,043文字
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