平成25年 2月 5日(火):初稿 |
○「孫崎享氏インタビュー記事-尖閣問題米国陰謀説紹介」の続きで、角川書店発行池上彰氏著「日本の選択 あなたはどちらを選びますか?-先送りできない日本2」から竹島関連記事の備忘録です。 ・韓国歴代大統領は,最初は「日本と新しい関係を結びましょう」と言うが、任期終わりに近づき、親族の汚職問題等で支持率が下がると国民の人気を取り戻すため反日行動に出る。韓国では北朝鮮や中国に関しては一枚岩ではないが、対日強行策だけは一枚岩だから。 ・竹島は,日本の隠岐の島と韓国の鬱陵島の間に浮かぶ二つの岩と数十個の岩礁からなる小さな島で周囲は良好な漁場であり、日本も韓国も古くから漁民が漁をしに行ったとの記録がある。 ・日本は明治38(1905)年、竹島がどこの国にも属していないことを確認した上で、島根県に編入したが、韓国は、当時日本の保護国とされていたため自国主張ができない状態であり、日本の措置は無効と主張。 ・日本は昭和20(1945)年ポツダム宣言の領土条項「日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国並びに吾等の決定する諸小島に局限せられるべし」を受け入れる。 ・1946年連合国総司令部「若干の外郭地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する覚書」の中で「日本の範囲から除かれる地域」として、朝鮮に属すると考えられる「鬱陵島、竹島、済州島」が挙げられる。 ・1951年サンフランシスコ平和条約では「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対する全ての権利、権原及び請求権を放棄する」として、この時点では竹島は抜けており、これに対し韓国の抗議に対し、アメリカ側は「独島(竹島の韓国側呼称)は朝鮮の一部として扱われたことは一度もなく、1905年以降島根県隠岐島司の所管にある」と回答。 ・韓国李承晩大統領は1952年一方的に「李ライン」を引き、竹島を韓国側に入れ、さらに1954年から警備隊員を常駐させ、港湾施設も建設して実効支配をはじめ、李ラインを超えた日本漁船を拿捕し、合計3929人もの日本漁船員を拿捕して裁判にかけて収容し、中には韓国軍に銃撃されて死亡した日本人漁船員もいた。当時、日本と韓国に国交はなく、日本はどうすることもできなかった。 ・1961年朴正煕大統領が経済成長優先として日本との関係改善に乗り出し、1965年「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(日韓基本条約)」を締結し、李ラインの解消が明記され、日本が韓国に漁業協力資金9000万ドルを支払い、韓国周辺での日本の漁獲量を定めるなどして漁業問題を決着。 ・その後アメリカの地名委員会が、竹島を韓国領と記載し、2008年に「どの国にも属さない」と改め、韓国側がアメリカに抗議し、ブッシュ大統領が再検討を指示して「韓国領」に改めた。これに対し、当時の町村信孝官房長官が「アメリカ政府の一機関がやったことに、あれこれ過度に反応することはない」とコメント。これはアメリカに逆らうべきではないとの判断があったかもしれないが、国際的には「日本は竹島が韓国領であることを黙認した」と受け止められても仕方のない大失策。 ・アメリカは竹島問題に関して、積極的に関与するつもりはなく、日本の主張も韓国の主張も支持せず、中立を守ると表明。 以上:1,349文字
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