平成18年 4月26日(水):初稿 |
○憲法第25条は 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と定め、国民には生存権があり、国家には国民に対し生活保障の義務があることを宣言しています。 ○第2次世界大戦後、日本の社会保障制度構築の指針となったのは1950年に社会保障制度審議会が出した「社会保障制度に関する勧告」であり、そこでは、「社会保障制度とは、疾病、負傷、分娩、廃疾、死亡、老齢、失業、多子その他困窮の原因に対し、保険的方法又は直接公の負担において経済保障の途を講じ、生活困窮に陥った者に対しては、国家扶助により最低限度の保障すると共に、公衆衛生及び社会福祉の向上を図り、もって全ての国民が文化的社会の成員たるに値する生活を営むことが出来るようにすることを言う」と説明されています。 ○国民の生存権を具体化する法律として生活保護法がありますが、結核療養所で生活保護を受けていた朝日茂氏が兄からの仕送りを受けることになったことにより、福祉事務所長が日用品費にかかる生活扶助費廃止処分を行いその当否が争われた裁判が、有名な朝日訴訟です。 ○訴訟では日用品費に関して厚生大臣が定める当時の生活保護基準が健康で文化的な最低限度の生活を保障する憲法25条に合致するか否かが争点となり、第1審東京地裁は違憲、第2審東京高裁は合憲と意見が分かれ、朝日氏は最高裁に上告しました。 ○しかし朝日氏は最高裁上告中に死去し、最高裁は訴訟終了の宣言をしましたが、傍論において憲法25条の法的性格と厚生大臣による生活保護基準の設定に対する司法審査のあり方についての基本的考え方を示し、憲法25条についてのその後の指導的判例となりました。 ○この朝日訴訟最高裁判決のポイントは以下の通りです。 ①憲法第25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」との規定は、全ての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営みうるように国政を運営すべきことを国の責務としたに留まり、直接個々の国民に具体的権利を付与したものではなく、具体的権利は法律によって初めて与えられる(プログラム規定説の確認)。 ②「健康で文化的な最低限度の生活」の判断基準は、厚生大臣の合目的的裁量に委ねられ、その判断は裁量権を逸脱、濫用しない限り、司法判断の対象にはならない。 30数年前、小島和司東北大教授の講義で聴いていたことを微かに思い出しました。 以上:1,039文字
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