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不貞行為につき名誉侵害による慰藉料支払義務を認めた地裁判決紹介1

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令和 3年 8月11日(水):初稿
○令和3年からは50年近く前の古い判例ですが、原告の妻Aとの不貞行為継続について、被告は、原告に対し、原告のAの夫としてAに対し貞操を守ることを求めうる地位に基づく名誉の侵害により、原告の蒙った精神的損害に対する慰藉料を支払う義務があるとして、500万円の請求について30万円の支払を命じた昭和49年12月25日千葉地裁判決(判時782号69頁)全文を2回に分けて紹介します。

○原告の妻Aは、夫と子供一人がいる身で、13歳年下の被告と恋愛関係となり、肉体関係を持ち、その関係は、昭和45年10月から昭和47年8月まで継続し、被告と別れた4ヶ月後の同年12月、Aは持病の心臓病が悪化して死亡しました。原告は、Aの死去後、昭和48年7月に至り、Aのメモや被告からAへの手紙等を発見し、初めてAと被告とが後記不貞行為に及んでいたことを知って、被告への慰謝料500万円を支払を求める提訴となりました。この判決を紹介する理由等については、次のコンテンツで記載します。

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主    文
 被告は、原告に対し、金30万円を支払え。
 訴訟費用は、これを10分し、その1を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
 この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事   実
第一 当事者の求めた裁判

一 請求の趣旨
 被告は、原告に対し、金500万円を支払え。
 訴訟費用は被告の負担とする。
 との判決及び仮執行の宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
 原告の請求を棄却する。
 訴訟費用は原告の負担とする。
 との判決。

 ≪以下事実省略≫

理   由
第一 原告とAとの関係について

一 原告とAとが婚姻の届出をした夫婦である事実は当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば左記二ないし六のとおりの事実を認めることができる。右認定を覆えすに足りる証拠はない。

二 原告とAとは、見合いのうえ、昭和37年12月6日原告が30才、Aが29才の時結婚式を挙げ、以来昭和45年3月29日に原告肩書住所地に移転するまで○○市に居住し、その間に昭和38年10月長女花子が出生した。Aは、同年11月23日、心臓の発作で倒れ、以後約2年間、入院と退院を繰返した。その病名は、僧帽弁口狭窄兼閉鎖不全及び心房細動によるうつ血性不全と診断された(この事実は、≪証拠省略≫により認める。)。その後、Aは、昭和47年12月20日死亡に至るまで、右疾患の治療のため通院を続けた。

三 原告は、高等学校中退後、結婚前から現在まで、訴外株式会社○○商会に勤務し、貿易関係事務のベテランで、その月収は現在税込みで金18万5000円である。Aは、結婚後は洋裁の教師の職を退き、右治療と家事に従事していた。原告とAとは、医師により、性的交渉を控えるよう勧められており、二人は、稀にAの体調の良い時に性的交渉を持つに留まったが、その夫婦生活は、結婚以来○○市に移転するまでは、格別の波瀾はなかった。

四 原告は、Aの前記疾患とその治療に心を砕き、何事もAの無理にならないように注意し、家事を助け、その結果、多少の我儘をもAに許すところがあったが、反面Aが体を疲労させる行動に出ようとする時にはその自由を束縛することもあった。Aは、○○市に居住していた当時は、原告の指示によく従っていたが、○○市に移転してからは、家事のほか外出は治療のため○○市の病院へ通院するのみの生活に倦み、外に出て働きたいとの希望を持つようになった。原告はこれを許さなかったが、Aは、原告の出勤時に外出するようになり、昭和46年1月には、実家に行くと称して、元旦を含んで3日間外泊し、昭和47年の元旦も同様であった。

昭和45年暮ころからは、化粧も派手になり、次第に原告の注意と指示を無視して外出し外泊する度合が増し、家庭を顧みなくなり、Aの生活は防縦となった。原告は、Aに自愛を望み、自省を促がし、Aは再三にわたり二度と外泊等をしないと誓うのではあったが、それも長く続かず、原告とAの夫婦生活は破綻に瀕し、原告は昭和47年3月になりAとの離婚を決意した。

原告は、同年同月10日、千葉家庭裁判所佐倉支部に離婚調停を申立てた(この事実は、当事者間に争いがない。)しかし、Aは離婚を承知せず、調停委員もAの説得に熱意を示さず、結局、原告は、同年6月、調停申立てを取下げた。その後もAの放縦な行動は改まらなかった(しかし、Aが凶器をもって原告に手向かった事実を認めるに足りる証拠はない。)が、Aは、同年10月末、旅行に行くと称して一人で外出し、4・5日後に帰宅して謝罪し、以後放縦さも治まった。

その後、約2か月間、Aは家事に専心し、Aの体調にも家庭内の人間関係にも特に異常なく過す内、Aは、同年12月20日朝、前夜からの眠りのまま永眠した。

五 原・被告間の長女花子は、もともと快活な性格ではなかったが、昭和46年1月以後次第にその性格に暗さを増した。

六 原告は、Aの死後、昭和48年7月8日、≪証拠省略≫を含むAのメモや被告からAへの手紙等を発見し、初めてAと被告とが後記不貞行為に及んでいたことを知った。

第二 被告とAとの関係―不貞行為
一 ≪証拠省略≫によれば被告の生年月日が昭和22年6月13日である事実を認めることができる。被告が○○○市所在の○○○団地において米穀業に従事する者である事実は当事者間に争いがない。≪証拠省略≫によれば、被告は、昭和45年当時、○○米穀店○○○駅前支店に勤務していた事実及び昭和47年11月から独立して米穀商を営んでいる事実を認めることができる。

二 ≪証拠省略≫によれば、次のとおりの事実を認めることができる。右認定を覆えすに足りる証拠はない。
 被告は、昭和45年8月、以前からしばしば○○米穀店を訪れていて顔見知りであったAに、千葉を案内してくれと言われ、これを容れ
て1日割き自動車で千葉を案内したところ、さらに誘われて房州一周のドライブをした。その後、Aは同年9月下旬ころから○○米穀店に手伝いに来るようになり、再び被告にドライブに連れて行けと誘いドライブの後夜になって勢いのおもむくままAは被告に口づけを求め、被告とAは初めて口づけを交した。被告には、それまで異性関係の経験はなかった。

三 ≪証拠省略≫を総合すれば、その後同年10月24日、Aに誘われて被告とAは自動車の中で夜を過すという強行軍で日光に紅葉見物のドライブに行き、帰路勢いにまかせる二人は節度を知らず、自動車の中で初めて性的交渉を持つに至った事実を認めることができる。≪証拠判断省略≫

四 ≪証拠省略≫を総合すれば、次のとおりの事実を認めることができる。
 被告とAとは、前記認定のとおり昭和45年10月24日性的交渉を持った後、互いに手紙を交換したり会って話合ったりして相互の愛を確め合い、打ち合わせて旅行に行ったりして、平均一か月半に一度ぐらいの性的交渉を持ち、昭和48年8月ころに至るまで秘かな交際を続けた。その間、昭和46年1月には、元旦を含めて2、3泊の旅行に出掛け、その他にも一泊旅行が三回ぐらいあった。

性的交渉は、多くは自動車内であったが、右のとおり宿泊先での交渉や、モーテルでのこともあり、昭和45年11月22日には、Aが被告の自宅に泊って性的交渉を持ったこともあった。性的交渉まで至らず、単に愛撫に終ることも多かった。しかし、Aは、このような異性関係の最中又はその後においても、又被告と行動を共にしている間のどの時点でも、特に心臓疾患による異常を来すことはなかった。

 被告は、Aとの交際の最初から、Aが他人の妻である事実を知っており、また、遅くとも昭和45年10月24日性的交渉を持った時には、Aに子供がいる事実を知っていた。また、被告は、昭和47年11月21日、Aに対し、被告が心臓に疾患を有している旨を告げ、Aは、翌22日、被告に対し、Aが心臓に疾患を有していることを告げた。被告とAは、二人共同じ疾患を有していることに驚き、それだけ一層互いに引かれた。

 被告は、昭和47年8月ころ、同年11月又は12月に独立して米穀商を営むことになり、また他からAに他の異性関係があるとの注意を受けたこともあって、Aとの関係を清算することとし、同年8月ころ性的交渉を持ったのを最後に、Aに対し、二人の関係を終了することを告げた。その後は、被告とAは性的交渉を持つことはなかった。Aは、同年10月ころ、被告に対して手紙を書き、愛の終の苦しさを訴え、別れて思い出に生きる決意を述べ、被告の将来を励ました。

 ≪証拠判断省略≫

五 ≪証拠省略≫を総合すれば、次のとおりの事実を認めることができる。
 Aは、前記認定のとおり最初に被告にドライブに連れて行けと誘って房州一周のドライブをした後、昭和45年9月8日、被告に対して最初の手紙を書き、原告に対する強い憎しみと被告に対する愛を告白し、その間に悩む自己の苦しみを述べた。これに対し、被告は、同年同月30日、Aに対して最初の手紙を書き、Aに対する愛を告白してAに応えた。昭和45年中にはAの心の中には原告に対する罪悪感と被告への慕情との葛藤があり、被告に対し何度か別離を促したが、被告がこれに応じなかった。

もっとも、Aは、その実、心中被告との関係の継続をも望んでおり、理性は他律的離反を望むが、感情はこれを排していた。しかし、昭和46年に入ってからは、Aは、次第に、被告との秘かな関係の継続こそが本来自分の生きる場であると思うようになり、原告との家庭生活はいわば仮の宿と言うべき位置に置かれた。それにもかかわらず、Aの理性は、いつかは終りの来る被告との関係に頼り切って原告との家庭生活を捨て去ることを望まなかった。

 被告は、当初からAとの関係に罪悪感を持ったが、Aへの同情もあって、Aと性的交渉を持つまでは、ただやみくもに盲目的愛に走り、昭和46年になってから、Aに対し何度か夫と家庭に戻ることを促した。しかし、そのころには、既にAは被告との関係の終了を望まなくなっていた(しかし、被告の清算の申立に対し、Aが自殺すると脅して関係の継続を要求した事実を認めるに足りる証拠はない。)。被告も、Aへの愛を断ち切れなかったが、前記認定のとおり、昭和47年8月になり、被告は、清算を決意した。

 ≪証拠判断省略≫

第三 不法行為の成立
 以上の事実に照らせば、被告は、Aが原告の妻であることを知りながら、かつAに誘われてもこれを断わることが可能であったのに、Aと性的交渉その他の異性関係を持ち、これを継続したことにより、原告のAの夫としてAに対し貞操を守ることを求めうる地位に基づく名誉を侵害したことになる。そうすると、被告は、原告に対し右名誉の侵害により原告の蒙った精神的損害に対する慰藉料を支払う義務がある。
以上:4,436文字

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