平成25年 2月20日(水):初稿 |
○当HPで、間男・間女?の責任について軽減すべきとの判例・学説を紹介し、私自身、間男・間女?無責任論の立場で、間男・間女?に対する損害賠償請求事件は、原則として受任しないことにしているためか、間男・間女?側からの相談が多くあります。私自身一番感じていることは、「間男・間女?の責任に関する最近の学説概観」末尾に「男女関係は、感情の発露による部分が大きく、この感情は圧力では動かないという現実をシッカリと認識させるという意味で、『配偶関係の醜い争いに裁判所が手を貸すのはむしろ非道徳的である。』と言う表現には魅力を感じました。 」と記載したとおりです。 ○日本では、不貞行為について、当然に慰謝料が発生するとの一般に当然の如く、通用していますが、「好きになる・嫌いになる」との男女間の感情即ち相手の心変わりを金銭支払という圧力によって制御・支配しようとする感覚に強い違和感を覚えるようになりました。 ○しかし、男女問題相談では、必ずしも間男・間女?側からだけの相談ではなく、間男・間女?に対して損害賠償請求をしたいと意気込んで来られる場合も多くあります。このような場合には、この不倫問題の法律関係について、法律には素人の方にもできる限り判りやすく判例・学説状況を説明して、間男・間女?に当然に慰謝料が請求出来るとは限らないことをお伝えします。配偶者の不倫相手憎しに凝り固まっている場合、男性よりも女性の方が、説明に納得されず、強い不満を示します。男は理屈に弱く一貫性乏しく、女性は、理屈なんてどうでもよい、兎に角、憎い相手の女をとっちめたいと一貫しており、女は強く逞しいと感じます。あくまで一般論ですが(^^;)。 ○不貞行為第三者責任については、「不貞行為第三者責任についての優れた論文紹介1」に記載したとおり、名古屋市守山区にある守山法律事務所岩月浩二弁護士の論文が、最高レベルに位置すると評価していますが、この間男・間女?無責任論の学説について、「不貞行為第三者責任岩月論文紹介-有名学説の紹介部分」で、比較的古い学説を紹介していました。 今般、私の備忘録として、比較的新しい学説を、「岩月論文」から引用して紹介します。最近の学説は、間男・間女に「害意」があったとしても、責任がないとの徹底したものもあります。 ********************************************** 3 人格の独立性 (1)はじめに かようにして、限定的否定説の債権侵害論が法論理的には正当であるかのようである。しかし、違法手段によるにせよ、あるいは、害意に基づくにせよ、果たして、不貞行為をなした第三者に不法行為責任が成立するかは、なお疑問の余地がある。 害意があるとしても、配偶者の自由意思の介在は否定できない。この自由意思に基づく決定は、私的かつ一身専属的なものであり、取引法と同様の債権侵害論で論じてよいかが問題になりうる。また、違法手段による場合についても、なお自由意思が介在する限りでは、その被害はやはり一身専属的なものであり、生命侵害に準じて、その配偶者に慰謝料請求権を認めることが果たして妥当かという問題が残るのである。 配偶者の自由意思を介した場合に、他方配偶者から第三者に対する不法行為責任を認めることは、多かれ少なかれ、配偶者を自己の所有物として扱うことになり、根本的な意味での人格の独立性を認めていないことになる。違法手段によって貞操を害された場合についても、直接の被害者が加害者に対して不法行為責任を問いうる以上、それを超えて被害者本人の意思に反してでも配偶者に独自の慰謝料請求権を認めるとすれば、同じく配偶者を所有物として扱うことになるのではないだろうか。 (2)潮見佳男説 潮見佳男教授は、こうした疑問に対して「夫婦それぞれは独立対等の人格的主体であって、相互に身分的・人格的支配を有しないのであるから、夫婦の一方が自らの意思決定に基づき、不貞行為に関わった以上、加担した第三者に『配偶者としての地位』の侵害を理由として賠償責任を導くのは適切でない。否定説をもって正当と考える」とする(潮見佳男「不法行為」64頁)。尤も同教授は続けて、「加担した第三者の『害意』による不貞の誘発は、純粋の-すなわち、『配偶者としての』という形容詞を付さない-個人人格権の侵害もしくは名誉毀損を理由とする慰謝料請求権の成否に関する問題として処理すれば足りる」とするので、結果的には債権侵害構成に準じる説に近接するかのようである。しかし、人格の独立を前提として、直接の人格権侵害として不法行為責任を考えるのであるから、この種不法行為が成立する範囲は、極めて限定的になるものと考えられる。 (3)島津一郎説 島津一郎教授は、「夫も妻もお互いに身体の一部もしくは全部について物権類似の独占的排他的使用権を有する」とするカントの説を引用した上、「しかし、近代社会においては、人は本来自由な人格者として他人の物権の対象とすることは、ないはずである。カントの婚姻観はヘーゲルによって痛烈に批判された。それは人格を冒涜するものであり、恥ずべき思想だというのである」として、人格の独立の観念からも第三者の不法行為責任について、否定的である(島津「不貞行為と損害賠償」判タ385号122頁)。 (4)水野紀子説 水野紀子(現東北大学大学院教授)の昭和54年判決評釈(法協雑誌98巻2号)は、大審院判例にまで遡って問題の所在を明らかにした点で、この問題に関する最も網羅的な研究成果であるが、この種訴訟を認めることの実際上の意義を探求する立場から、第三者に対して慰謝料を請求するケースについて次のように述べている。 「理論的には、婚姻を尊重することと、夫婦間にお互いの人格に及ぶ排他的支配権を認めることとは同義ではない。自己の身体について、なかんずく性機能についての決定権限は、当該個人の人格にしか属し得ないはずのものである。ただ、婚姻制度があるからには、相互に貞操を約しあった夫婦の間でのみ、その違約をとがめる権利を法が担保すると考えるべきである。 また、実際的にも、婚姻破綻において配偶者の不貞行為の相手方に対する慰謝料請求を認めるとすると、離婚に至る婚姻破綻については多くの場合、表面に出るかどうかはともかくとして、このような問題が内包されていると思われるから、婚姻破綻の結果を救済するための離婚という制度の枠外で、新たに第三者を相手に不貞行為を争うことになり、法的紛争処理の方法として繁雑にすぎ性質上も妥当でないと思われる。(中略)婚姻制度を尊重するために法のできることは、婚姻費用分担の履行を確保し、離婚給付を厚くすることにつきるであろう。」(法協98巻2号309頁) (5)松本克美説 松本克美教授は、性的自己決定の立場から、より根底的に、この種の慰謝料請求を否定する。 「性は各人にとって最もプライバシーにかかわる問題であり、自己決定権が最も尊重されるべき領域である。このような観点からすれば不貞を不法行為と評価する前提に位置づけられている『貞操義務』や『貞操を求める権利』或いはそこから派生する配偶者に『性交を要求する権利』は、その実現が法によって強制されたり、或いはその侵害を不法行為として不貞配偶者やその相手方に損害賠償請求したりすることができるという意味での法的な『権利』や『義務』はないと言える」とする。 そこでは、セクシャルハラスメントや夫婦間レイプ、DV等に取り組む角田由紀子弁護士の文献が参照されている。 この問題に対する理解を問うのは、女性の性的自己決定という個人の尊厳に関わる問題に対する理解を試すリトマス試験紙でもあるのである。 (6)結論 結局のところ、貞操請求権の侵害に関して第三者の不法行為責任を認める説は、配偶者の精神・身体に対する物権類似の何らかの支配を想定しない限り、成り立ち得ない。民法は解釈基準として個人の尊厳を挙げるが(民法2条)、人格の独立を前提としない解釈は、個人の尊厳の前提を欠くものであって、基本的な解釈において誤っている。 以上:3,345文字
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