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私が心から畏敬するA弁護士紹介序文

平成24年 1月29日:初稿
○「平成23年の目標達成状況反省等」に「平成23年12月27日、私の身近に起きた事件としては、この巨大災害にも勝るとも劣らない衝撃的出来事がありました。余りに悲しい出来事でもあり、現時点では思考が整理できておらず、ある程度時間を置いて、何らかの形で記述を残したいと思っております。」と記載しておりました。

○それは、「友人弁護士の根に持つ話」に記載した「私は、2度結婚しましたが、2回とも弁護士の友人代表として名スピーチをしてくれた同期の親しい友人弁護士」Aさんの平成23年12月22日急逝を27日に至り発見したことでした。Aさんは、12月19日(月)時点で明らかに重篤な体調異変があり、21日(水)から事務所に出て来なくなり連絡も取れなくなっていました。それを私が知ったのが27日で急遽動いてAさんのマンションを割り出し駆けつけたときは,既に時遅しで、その後しばらく、Aさんを救えなかった悔恨で悶々とした日々が続きました。

○Aさんは、私事で四方八方に迷惑をかけてばかりの私とは対照的に、私事では他人に絶対に迷惑をかけないとの信念の人でした。東日本大震災直後に最愛の奥様を亡くされ一人暮らしとなっていましたが、私事で他人には絶対に迷惑をかけないとの信念を貫き、そのことを限られた身内にしか知らせず、弁護士会関係者も事務所関係者も誰も知りませんでした。また、2人暮らしの最愛の奥様が20年近く前から病気で不自由な身体となり、それを労りながらの生活であったことも知りませんでした。

○Aさんは,そのような状況下でも、公務に邁進し、仙台弁護士会の各種委員会委員長から、仙台弁護士会会長、日弁連副会長等各種公職のトップに立ち,完璧にその職務をこなし、最近では法テラス仙台支所長の公職に就いたばかりで、正に世のため人のため懸命に尽くしました。世のため人のためになろうなんて大それた気持はこれっぽっちもないと公言する私とは全く対照的生き方であり、特に法テラス仙台支所長就任時期には、一人暮らしで且つ体調も勝れない状況であるにも拘わらず、頼まれたら嫌とは言えない性分から就任を承諾されました。

○Aさんは、自分がしたくないことは断固として断り、自分の好きなことしかせず、自己本位・身勝手に生きる私に対し、「小松君は,幸せな奴だよ。」と言いながらも、最期まで寛大に接して頂きました。最期の会話は、平成23年12月初め、私が初めて勤務弁護士を採用することになったことを報告し、条件面等のアドバイスを求めたことでしたが、体調が勝れないことなど微塵も感じさせませんでした。

○Aさんは、私より2歳年上で、まだ62歳の若さでのご逝去でしたが、その生涯は充実したものでした。そのAさんを、私が初めて知ったのは40年前に遡ります。昭和47年当時榴岡にあった宮城県立図書館4階の読書机のコーナーの一定位置をいつも陣取り、一心不乱に勉強していた姿に初めて接しました。雨や雪の日だけでなく晴れた日もいつも長靴姿だったことが強烈に印象に残っています。後日、弟さんから、Aさんは当時東北大学教育学部在籍し、4年で警視庁、大学院1年で自治省に受かるも、目標大蔵省入省かなわず、大学院2年から目標が司法試験受験に変わった聞きました。

○Aさんは、昭和51年に司法試験論文式試験まで合格するも口述試験に失敗し、東京に出て中華料理店の皿洗いアルバイトをしながら受験勉強を続け、翌昭和52年最終合格し、司法修習後期の昭和54年11月松戸寮でAさんと初めて言葉を交わし、県立図書館で一心不乱に勉強されていた方と知りました。以来、畏敬する友人としてお付き合いして多くのエピソードを重ねて貴重なご指導を頂き、いつしかAさんのことを、我が師匠で、兄で、父で爺様ですとジョーク混じりの紹介をするようになりました。Aさんにとって私は不肖の友人であり、迷惑な話と判っていますが,Aさんとのエピソードを徐々に我が人生データベースに加えていきます。
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