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新聞配達の思い出-早朝勉強の重要性認識1

平成22年 3月20日:初稿
○私は中学3年から高校1年終了まで僅か2年間だけでしたが、新聞配達のアルバイトをしていました。「新聞配達の思い出-挨拶の重要性認識」に記載したとおり、早朝の新聞配達には色々な効用がありましたが、その中で特に大きな効用は早朝勉強の重要性を認識したことでした。中学3年の時は、早朝は5時30分起きで起きると直ぐに新聞配達に向かいましたが、通常3日間の定期考査の期間だけは、毎朝午前3時に起きてその日にある3科目を1時間ずつ総復習して新聞配達に向かっていました。

○昭和42年4月気仙沼高校に入学した私は、当初、課外活動はどの部に入部するか迷いました。中学3年4月からクラシックギターに熱中しており、ギター部があれば入部したのですが、当時の気仙沼高校にはギター部はなく音楽部はあるもギターはやってませんでした。そこで色々考えて、高校時代を半分に分け前期は硬式テニス部に後期は自らギター部を作ってギターをやろうと決め、硬式テニス部に入部しました。

「私とテニス」記載の通り、当時の気仙沼高校硬式テニス部の練習は大変厳しく、毎日ボールが見える間練習が続きますが、1年生は、毎日練習開始と同時に6または7時間授業の時は4㎞、土日や授業の短いときは7㎞のランニングをさせられた後に、コートに入って球拾いをさせられ、その後コート整備をして、高校まで徒歩片道40~50分かかる自宅に戻るのは毎日午後9時近くになってからでした。今ではおよそ考えられないと思いますが、テニス部の練習は土日も休みなくあり、休みは盆暮れ正月の数日間だけで、テニス部だけでなく、硬式野球部などもそうでした。

○そのため当初30人ほど入部した1年生部員は、秋には10人程度に減っていました。私も当初はとんでもないクラブに入ってしまったと後悔しました。特に練習開始と同時にやらされる毎日のランニングが、持久力の乏しかった私には大変苦手で苦しいものだったからです。3年生に厳しいマネージャーが居て、殆ど毎日、1年生のマラソンについてきて、遅れると叱咤激励されました。マネージャーの方はテニスコートでプレイはせず、1年生の訓練を中心とした雑務だけやっており、何が楽しくてやっているの不思議でした。

○またテニス部には、毎日だったかどうかの記憶はありませんが、早朝練習があり、1年生は午前7時前に登校して、コートを整備して、2,3年生の練習の球拾いをさせられました。私は、当時、新聞配達をしていたため登校時刻はどうしても8時過ぎになり、新聞配達を理由に早朝練習参加だけは免除してもらいました。

○こんな厳しいテニス部でしたが、自分で高校時代前半はテニス、後半はギターをやると決めてしまったので、兎に角、2年生半ばまではやるんだと自分に言い聞かせて継続しました。しかし、練習が終了して午後9時近くになって帰宅し、遅い夕食を取り風呂に入るとドッと疲れが出て、直ぐに眠くなり、夜の勉強が身に入らなくなったのには困りました。1年生当時から国立大学の法学部進学を希望していたので勉強も必要です。

○新聞配達は、2年間は絶対に継続すると決めていましたので止められません。テニス、勉強、新聞配達をどうやって両立(三立)させるかが課題となりました。
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