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東北大学法学部小嶋和司教授講義ノート紹介5-昭和49年5月23日

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平成27年 1月12日(月):初稿
○「東北大学法学部小嶋和司教授講義ノート紹介4-昭和49年5月18日」の続きです。
私は、昭和45年3月気仙沼高校を卒業し、その年は、「東北大学法学部」一本に絞って受験しましたが、おそらく数学の出来が悪くて不合格となり、仙台にある文理予備校に1年間通った後の昭和46年3月ようやく東北大学法学部に合格しました。司法試験勉強を本格的に始めたのは大学3年の秋からですが、専門科目の中の憲法と刑法は、2,3,4年と3年間連続して同じ講義を聴講し、懸命に講義ノートを取りました。

○「昭和49年5月2日東北大学法学部小嶋和司教授講義ノート紹介」記載の通り、憲法の小嶋和司先生は、「講義ノートを取りやすいようにゆっくり話してくれたので話す内容全てをノートすべく懸命に書きまく」りました。4年生の時は小嶋講義3回目聴講で、余裕で講義ノートが取れ、1回目は約3000字でしたが、3回目以降は4500字程度書くようになり、一レコード4000文字制限の桐9では、1回の講義ノート全部が収まりませんでした。

○今般、桐HPBが桐10にバージョンアップしたので、一レコード8000文字となり、7500文字程度は一レコードに収まるようになりました。従って約4500文字の1回の講義ノートは余裕で一レコードに収まります。40年前の憲法講義ですから、現在の学説状況とは相当異なると思います。実務家になると民法は日常茶飯事に使うのですが、憲法を使う機会は殆どありません。そのためは、憲法は基本事項も忘却の彼方です(^^;)。そこで憲法の基本を思い出すため、時々、40年前の小嶋憲法講義ノートを更新情報としてアップしていきます。これはあくまで私個人のための備忘録です。書いた私が読んでも意味不明のところが有り、他人が読んでも判りません。

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東北大学法学部 小嶋和司教授講義ノート
5/23

第六講 「日本国憲法」の基本主義
第一総説

 憲法がいかなる主義に立つかということについては、そのとらえ方にいろいろな立場がある。通常は憲法の全体を観察し、その中から憲法の立場をとらえる方法がとられる。この方法では憲法の全体を観察した後で初めて可能になる。

 佐々木博士の方法
憲法自身が基本主義であると宣言しているものを基本主義として述べる方法があるこの講義はこの立場で行う。
憲法がはっきりこれを主義とは述べていないが前文の最初の文章が憲法制定の動機として3つのものを述べている。その3つを主義ととらえる。

 憲法前文
日本国民は…われらと
            }のために
      われらの子孫
(2)諸国民との協和による成果と                }ことこそ決意し、{主権が…この憲法を確定
                     }を確保し
(1)わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢
(3)政府の行為により再び戦争の惨禍がおこることのないようにする

(1)自由主義 (2)国際協和主義 (3)戦争放棄主義
 以上が日本国憲法の基本主義
(1)自由を確保するため新憲法を作ることは歴史上多くの例があるが、
(2)と(3)と動機として新憲法をつくる例は珍しい-この憲法の歴史的特殊性と考えられる。

第二自由主義
「自由」とは自己のあり方を自己の責任で決しうることをいう。-自己責任自己決定政治における自由主義とは一方では、国民各人の個人生活に自己決定の余地を残すことを要求するが、他方ではいわゆるデモクラシーを要求する。
「デモクラシー」とは国民各人の自己決定原理に基づく政治組織を要求するものである。
国民各人の個人生活に自己決定の余地を残すこと(自由)をなぜ要求するか?

 基礎的認識は2つある。
①社会的権威にも能力上の限界があるという自覚
 人間は全能ではありえない。自然に対しても、他人を幸福にする上でも全能ではあり得ない。このことは人間の形成する社会的権威についても妥当する。しかし社会的権威の中で最強のものは応々にして自らを全能であると誤認しやすく、この誤認は人数の進歩、国民の幸福にとって障害となる。このような認識が社会的権威の支配への限界の決定を要求する。

②相対主義価値哲学
 ①で述べたことは自由のもつnegativeな側面
 ②は何故各人に自己決定の余地を認めなければならない(自由)かという積極的側面の根拠となる。
 相対主義-relativism…他との関連でもってことを決しなければならないとする主義

 明治時代の訳語は関係主義
 一つのことのみを考えてことを決することを排除
この哲学は人間生活を絶対的支配すべき唯一万能の価値基準は存しないという認識が前提。多くの価値基準、即ち多元的価値があり、しかもその評価は各人にとって同一でないという認識といえる。
 ex.職業選択の基準-収入、名誉、権力など多くのものがある。
       ↓
 多元的価値の共存を認めることが必要になる。これが政治権力に対する寛容の要求となる。
 憲法の保障する国民の権利は自由の確保を中心の目的であることを宣言する規定がある。§97

 自由とはいわゆるdemocray-国民の自己決定原理に基づく政治組織を要求する。

§9Ⅰ「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し…」前文の平和主義の原則を繰り返し述べたもので、一国家が他国家をその力によって支配し、隷属させることにより保たれる奴隷の平和ではないことを示す。
「日本国民」…個々の国民ではなく日本国民全体を意味する。

b説-宮沢説 §9Ⅰを一切の戦争を放棄したものと解する。
(根拠)①およそ戦争はすべて国際紛争解決の手段として行われるものであり、戦争を限定する必要はない。②実際上自衛戦争と侵略戦争の区別は不明確である。③日本国憲法には9条以外には戦争や軍備の規定はない。④前文「平和を愛する…決意した」自衛戦争、自衛戦力を許されない。趣旨であることがうかがわれる。
a1説は無用な解釈の迂路をたどっている。

第三戦争放棄主義
 前文…「戦争の惨禍がおこることのないようにする」
 二項「…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した。…」

「専制と隷従、圧迫と偏狭」
 戦争をもたらす害悪であると同時に戦争がもたらす害悪
「恐怖と欠乏」戦争過程での惨禍

戦争放棄主義はポツダム宣言7項の実施でもあるが他方で憲法が起草された1ヶ月前に成立した国連に対する理想主義的な信頼にも満ちているものであらる。この前文の考えを具体化したのが、§9

§9の解釈
Ⅰ①国権の発動による戦争 ②武力による威嚇 ③武力の行使
③…国際法上の戦争ではないがそれに至らない一切の戦争行為をいう。
 日本の過失の反省から規定
 1928年パリ戦争放棄に関する条約調印。日本は翌年にこれを批准。
 しかし、昭和6年、満州で軍事行動が開始…政府の意思ではなく関東軍が勝手におこしたものであるが、外国からは戦争放棄条約違反でないかと非難された。これに対し日本国は満州では戦争をしていない。単なる武力の行使とする。-満州事変
 このような経験から③を規定した。

§9Ⅰ 戦争等を「国際紛争を解決する手段としては」放棄する。限定つき。
 この限定の意味について学説が分かれる。
a.通説…1928年パリ条約で述べたものと同じと考える。
 パリ条約-戦争放棄の約束…必ず守られるとは限られない。
 どこかの国が条約に違反して外国に侵入した場合、条約を守ると国の滅亡すらきたすことになる。そこでパリ条約では、戦争を無条件に放棄にしたのではなく外国から侵略を受けた場合の自衛行動は留保することを決定し、その趣旨を国際紛争を解決するための手段として戦争と表した。

イデオロギー的憲法…国家のあり方についての思想が強く表現されている憲法をいう。これに対し国家機構についての基本組織法的な性格の憲法典を「イデオロギー的に無色というべき」ものとする。

憲法規範の特質
 国の基本法として高度に政治的な内容をもつ
                           }憲法規範とその運用のずれをもたらしやすい。
 規範形式における最高法規制-規定様式における抽象性

政治的マニフェスト論
 「イデオロギー憲法」においては、直ちに実現し得ないような理想をかかげた規定、即ち政治的マニフェストの規定が通常の法規範とならびに正文のうちにおりこまれている。その規定には現実的な弾力解釈がなされるべきである。

<問題点>
・その運用において憲法規範の恣意的な類別をもたらすおそれがある。
・原理的にも国家権力への法的拘束という立憲主義の核心的課題を公然と放棄することになるのではないか。
                                ↓
 憲法の解釈においては、憲法の存在理由は人権保障であり、かつそのために国家権力を法により拘束することにあるということを銘記すべき。

 多数説はこれと同じ意味にとる。

b.少数説-宮沢説 外国の侵略に対する自衛も戦争である。
 多数説を前提として§9Ⅱで見解が分かれている。
§9Ⅱ「前項の目的を達するため」
a1説 ここで保持しないのは一切の戦力…註解日本国憲法
(根拠)手段が目的をオーバーする例であると説く※
 前文「諸国民の信義と構成に信頼してわれらのアン線の生存を保持しようと決意した」
※むだ使いを避けるために一銭ももたないと同じ原理

a2説 放棄は自衛のためのものは含まないとする。
 目的と手段とはイコールであると考える。 佐々木博士

「前項の目的を達するために」-衆議院の修正で付加された。
 衆議院の憲法委員会 委員長芦田均・a2説のつもりで発議したと後に述べている。

 文言上からはa1説の方が自然な解釈…前文の一項とも合致
 多数説はa1説

 文言上はa1説が自然であることを前提として新見解が登場
c説.前文には「平和を愛する諸国民と公正と信義に信頼して」という前提があるが、現実にはこのような前提は存在しないから§9は効力はない。
 パリ大学Burdean教授、田上教授がある時期この説に従っていた。

c’説 高柳賢三説(政治的マニフェスト論)
 このような国際的条件に左右される条規は政治的manifestと見るべきで、法的意味としては現実的な弾力解釈がなされるべきである。

・「国連軍」への自衛隊の参加は(自衛隊の合憲・違憲とは別個の問題とする)争いがある。しかし、いわゆる完全軍縮の行われた後、組織されるものとして構想されている「国連平和軍」への参加は許されることは大体一致している(Ⅱ-21)

c'説 独立国家はその本質上自己の存立を維持する権利を持つ、憲法はこれを否定しないような解釈をしなければならない。
 上智大学 小林教授 国際法

政府見解 §9は有効であることを前提として成立している。
 制憲会議の貴族院における政府答弁はa1説の立場にたっていた。
  吉田内閣
 昭25、警察予備隊→保安隊→自衛隊(昭29)が設置…吉田内閣
 警察予備隊、保安隊、自衛隊について戦力論争が国会の主たる議論となる。政府は一貫して戦力ではないと主張。戦力とは現代戦争遂行能力であり、それまでは至らないものであると主張。
 昭29 12月鳩山内閣、a2説(鳩山氏は在野中からa2説論者)を政府の正式見解とする。
 しかし、国会の答弁は次第に大づかみなものになり、佐藤内閣の末期にはc'的な答弁の仕方に変わってきている。

戦力に関する問題
 独立とともに日米安保条約が締結され、これに基づき米軍が駐留することになりこの米軍は戦力ではないかと主張された。最判34.12.16大
 §9にいう戦力とは、我国が指揮権、管理権を行使するもののみをいう。条約によると米軍の指揮権、管理権は米国にあり、日本にはない。従って米軍は「戦力」にはあたらない。

§9Ⅱ 国の交戦権はこれを認めない。
「交戦権」とは、
①主権の発動として戦争に訴える権利、
②交戦状態において国際法上認められる権利
 ex.A国とB国が戦争中にC国がA国に武器・弾薬を船で運搬している場合、B国はその船に停泊命令を下せる。そして内部の捜索ができ、武器・弾薬があったら処分できる。
制憲会議での政府説明は②説

第四 国際協和主義
 前文第三項 一般的に国際協和を宣言
「政治道徳の法則」-内容は不明
 外交方針としての国際協和は現実的には非常に難しい。
憲法は具体的には第98Ⅱに特別の制度を規定
「条約」国際法上の主体との間に合意により国際的権利義務関係を制定する一切の成文法をいう。
「確立された」…条約の手続きを待たず全国家を拘束するものとして成立したもの全てをいう。成文、不文問わない。

 条約と国際法規が憲法と抵触する場合の効力の問題
 この場合にも、誠実に遵守する必要があるかどうか-。
憲法は国家生活の基本法であり、最高法規というのは国家が行う能力を持っている範囲においてのみ最高といえる。しかるに国家の能力には国際的制約が当然に存在する。そこで本質的な国際的制約の場合には憲法の最高法規性は妥当しない。ex.明治憲法-天皇主権-敗戦により否認
 憲法の規定-国家がきめうる能力関においてのみ効力を持つ。


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(参考)

日本国憲法前文

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
以上:6,113文字

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