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昭和49年5月2日東北大学法学部小嶋和司教授講義ノート紹介

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平成25年 5月17日(金):初稿
○とある事情で私が大学生の時、一講義でどれだけのノートを取ったか示す必要が生じました。記憶では、最も力を入れてノートを取ったのが小嶋和司先生の憲法講義でした。先生は講義ノートを取りやすいようにゆっくり話してくれたので話す内容全てをノートすべく懸命に書きまくったことを覚えています。
以下、昭和49年5月2日大学4年次3回目の憲法講義第1回目の講義ノート備忘録です。90分の間に約3000字書いています。講義ノートそのまま忠実に再現しましたが、移記するのに1時間以上かかりました。誤解・誤記もあり、意味不明のところが結構あります(^^;)。

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東北大学法学部 小嶋和司教授講義ノート
5/2

 マッカーサー草案
特徴 国民主権が明確でない。国民主権らしき表現ある。sovereign of peoples will
 天皇は象徴の地位にあるという規定
 戦争放棄の規定 当時日本側の各政党の改正案には出現していない。

問題-マッカーサー草案は、すみやかに起草されたこと-後になって明らかになったことでは、米国内では戦争中から戦争に勝つことを前提に日本の憲法をどうするか検討がなされていた。その結論が21年1/11にマッカーサー秘密指令として日本側に手渡された。S.W.N.CC228

マッカーサー草案は、この指令に基づくもの←日本側は知らない事情なので返上の努力をするが、無駄なことと悟り、やがて天皇の意見を聞いて受諾の腹を決める。2/20

総司令部 基本原則については変更出来ないが細目については変更出来るとして、その検討を内閣法制局第一部長の佐藤達夫に命じた。彼は3/2まで手もとで細目的技術的検討を行っていたが3/3に総司令部に呼び出されて、その日から日本側は彼と松本博士のみ、他は総司令部のスタッフで憲法の検討がなされた。(松本博士はすぐに辞退)

この検討の過程で一院制から二院制へ変更された。
検討の結果が、3/6、憲法改正草案要綱として国民に発表された。当時憲法改正を試みたどの派閥のものとも違うものであるが、これがひとたび発表されると国民は、ほとんど全面賛成の態度を表明-(裏の事情を察していたから)

4/12、弱冠の変更を加えて口語ひらがな交じり文の草案にされ、タイトルも日本国憲法とされた。
4/10、日本最初の婦人を含めた成年者による衆議院議員総選挙が行われたが、共産党以外はみな草案に賛成。
選挙の結果、第一次吉田内閣が成立。6/4枢密院の可決を得て政府案が可決。金森徳次郎を憲法問題担当国務大臣に任命。
6/20勅命をもって第91帝国議会に付託された。明治憲法第73条の手続を踏んだもの。
6/25衆議院本会議に上程。衆議院では弱冠の修正の後に421:8で可決された。

修正-主に表現上のもの。最大のものは政府案がマッカーサー草案を訳してsoverreignを「至高」と訳していたものを「国民主権」と変更したこと。衆議院の審議も全て総司令部の承認の下に行われた。

8/26~10/6 貴族院で審議。総司令部の命令による修正-連合国がFECを形成(極東委員会)、FECによる修正-
10/7貴族院の修正部分に対して衆議院が同意。その後枢密院の審議
天皇の裁可のもとに11/3公布された。

第四講「日本国憲法」概説
第一 民定憲法性
(一)意味 日本国憲法前文-民定憲法であることを宣言
憲法典の分類-三種類
①君定(欽定)、②民定、③協約(協定)
ex.①1814年仏憲法、明治憲法
②1791年仏憲法、1831年ベルギー憲法
③1830年仏憲法-議会が内容を定めて王にその内容を採択させたもの
分類の基準-制定の手続又は制定の権威

明治憲法の「欽定性」-制定手続の基準
しかし制定の手続を基準とする分類は、手続は歴史的事実に過ぎないので法理論上あまり意味はない。歴史的事実の認定に留まり法理論上の結論はでてこない。ex.seinからsollenは導き出せない。Kant

制定の権威を基準とする分類は法理論上の帰結を伴いうる。
民定憲法とは制定の権威が国民にあるものとして講義する。
三つの分類を別の角度から見ると憲法制定権力が単一の主体にあるとされるものが①、②であり、③は憲法制定権力が単一化していないものである。

更に①と②の間にはかなり質的相違がある憲法制定の権威とされる君主はそのまま社会的存在であり、憲法組織の中でそのまま機関として活動しうる存在であるが、国民は現実には多数者で単一と考えるのは一種の観念的統一体と考えたもの-国民はそのままでは憲法組織の中で機関として活動できない-何らかの機関が国民の名において行動しうるに過ぎない。
その名において行動しうるものを「代表」と言う。これは通常は組織法の決定に基づいて作られ、代表の権能も組織法によって限界付けられる。

③-憲法の権威の基礎を合意にあるとする。これは君主と国民の合意ではない。なぜなら君主は社会的実在、国民は観念対だから。君主と国民代表との合意である。

以上より、法理論上の結論
制定する権威をもつものは破棄する権威をもつとした場合
①君定憲法の場合、君主はいつでも破棄できる。
②民定憲法の場合、国民に制定権威があるが国民代表は組織法により破棄の権能が与えられない限り破棄できない。
③協約(協定)の場合-協約により破棄できる

憲法に欠缺があった場合-ex.規定すべき事項を規定しない場合
憲法を制定する権威をもつものが制定しなかっただけと考えると①の場合君主が決定権限をもつ。②の場合、国民代表は特別の規定のない限り決定権限をもたない。

憲法争議のある場合
憲法制定する権威をもつものが判断すべきとするなら①の場合君主が判断
ex.明治憲法下、君主が枢密院の審議により決定
②の場合、組織法でその判断権者を決めておく必要がある。決めていない場合は、当然には判断権者に特定されない。

(二)国民主権原理
憲法の民定性の根拠は国民主権にある。-前文
「主権」-多義性をもった言葉。…言葉そのものに価値が付着すると多様性をもつ
仏語souveraineteの翻訳
※中世仏での意味-仏国王とローマ皇帝・ローマ法皇の争いでどれがsouveraineteかと使われた-相対的意味、比較級

ここで適用されたものが最高になるという運命-やがて「最高」と言う意味を持つ。この意味で初めて使ったのがJ.Bodinの”Les six libres de la Republiqe”1576「国家論」
王の地位及び権能をsouveraineteと呼ぶ。国内外のあらゆるもの(ローマ法皇・皇帝)は王を拘束しえず、拘束しうるのは、神の法と自然の法のみである。国内の全ての権力は王の権力からの派生物である。封建領主の権威は固定のものではなく王からその権威を譲り受けたものである。souveraineteの国内的意味は「最高」と「起源的権威」として使用。

近代国家は以上のように王を中心に王の実力で成立。その過程において主権論が大きな役割を果たしたため「主権」と言う語は多義性をもつに至った。

意味
①国家的支配の権威の源泉を示す。ex.国民主権
②国際社会における独立的地位を示す。
近代-君主概念、国家概念は純粋なものではなく混同していた。ex.”L'Etat, c'est moi(朕は国家である)”
Bodin 君主 国 やがて国がsouveraineteとの考えが登場、ex.日本国憲法前文第三段
③国の統治権そのものを示す ex.「日本国との平和条約」2条(C)の「主権」は統治権の意味
④政治的用法として具体的に存する政治的組織の中でどれが最高の決定権をもつかを示す
ex.英国において国会に主権があるということは、国会が政治組織の中で最高の決定権をもつことを意味する。
 選挙民主権

問題
①の意味で使われる場合の法的帰結
①の意味の国民主権はおうおうにして④の意味の国民主権を要求すると解される。
しかしこの考えは政治論であり法理論とはなりえない。

以上:3,286文字

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