平成30年11月 2日(金):初稿 |
○「時効完成後の債権回収-平成13年3月13日福岡地裁判決復習」の続きで、同様に消滅時効完成後の債務承認に関して、債務者側に有利な最近の判例を紹介します。 ○事案概要は、貸金業者である原告が、一般消費者である被告との間で締結した金銭消費貸借包括契約に基づき、貸付金30万円の残元金及び遅延損害金の支払いを求めたに対し、被告が消滅時効を援用して争ったものです。 ○平成24年10月15日宇都宮簡裁(金融法務事情1968号122頁)は、被告が消滅時効の完成後に債務の一部弁済をしても、被告において時効を援用しないと債権者が信頼することが相当であると認め得る状況が生じたとはいえず、被告が時効を援用することが信義則上否定されることはなく、被告の時効の援用により本訴請求債権は消滅したことになるとして、原告の請求を棄却しました。 ○時効完成後に被告債務者が債権者である貸金業者原告の従業員の訪問を受け、2000円の支払をし、1万円による分割弁済の申出をしたが、2000円は貸付金30万円に対する毎月の約定弁済金の6分の1の金額であり、債務の弁済として実質をなしているとは認めがたく、その後全く弁済が行われていないこと、分割弁済の申出に対し、債権者は最初から応ずる意思がなかったことなどの事情に照らすと、債権者と債務者の間に、もはや債務者において時効を援用しないと債権者が信頼することが相当であると認め得る状況が生じたとはいえないから、その後債務者が時効を援用することが信義則上否定されることはなく、債務者の時効の援用により債権は消滅したといえるとしました。 *************************************** 主 文 1 原告の請求を棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。 事実及び理由 第1 請求 被告は、原告に対し、75万9247円及びうち29万2417円に対する平成24年3月15日から支払済みまで年26.28パーセントの割合による金員を支払え。 第2 事案の概要 1 請求原因 別紙請求の原因記載のとおり 2 争いのない事実等 本件取引における貸付け及び弁済の内訳が別紙計算書のとおりであることは当事者間に争いがない。また、被告は期限の利益喪失の事実を争うが、当事者間に争いのない期限の利益喪失特約を適用すると、被告が平成18年2月3日の支払を怠って期限の利益を喪失したことが認められるから、結局請求原因事実は全て認められる。 3 争点(時効援用権喪失の有無) (被告主張の要旨) (1)被告が期限の利益を喪失した後の最後の弁済日である平成18年2月6日から5年が経過した。 (2)被告は、原告に対し、平成24年4月9日の本件第1回口頭弁論期日において上記時効を援用する旨の意思表示をした(答弁書の陳述擬制による)。 (3)被告は、上記時効期間経過後である平成24年2月22日、原告に対し2000円を支払っているが、これは、次に掲げる事情の示すとおり、原告が、債務の承認と見られる行為を被告にさせることを目的として、原告の従業員(以下「従業員」という。)を被告宅に訪問させ違法な取立てを行った結果被告が支払義務のある債権が存在するものと誤信するとともに恐怖を感じて支払ったもので錯誤無効であるから、信義則上被告の時効援用権の行使が妨げられることはない。 ア 取引経験、法的知識の有無及び程度 原告は貸金業者として時効が完成していることを熟知しているのに対し、被告は時効制度の理解、知識のない素人である。 イ 時間経過 被告が最後に弁済した後数か月間は原告から督促状が送られてきたが、その後は送られておらず、また、その後は、原告が時効中断の措置を講じないまま時効期間が経過した。 ウ 2000円の支払をめぐる交渉経緯 従業員は、平成24年2月22日午後9時過ぎ、突然被告方を訪問して返済を迫ったため、本件借入金のことが意識から完全に失われていた被告はひどく動揺した。従業員の「いくらなら払える」,「払えるだけ払って」という言葉に、夜間であること、当時被告宅には被告一人しかいなかったということもあって、払わなければ何かされるのではないかとの恐怖を感じ、手元にあった2000円を支払った。従業員は、被告に対し、本件債務が時効消滅していることを告げることなく領収書を発行し、「また連絡する」と言って帰った。 (原告主張の要旨) 原告が平成24年2月22日2000円を受領した経緯及びその後の原告と被告との交渉経過は次のとおりであり、被告は、自己の債務を認識しその一部を弁済し、さらにその後分割弁済の申出をしたのであるから、これらの事実を総合すると、時効完成後に債務を承認したものと評価することができるので、被告がその後に時効を援用することは信義則に反し許されない。 ア 原告は、平成18年2月6日以降、被告の固定電話及び携帯電話を利用し、又は書面送付の方法で弁済の請求を行っていたが、被告からの弁済はおろか相談・連絡等もなかった。 イ そこで、従業員は、平成24年2月22日午後8時ころ、被告方を訪問して一括弁済を求めたものであるが、被告は一括弁済が困難である旨を申し出た。従業員は、原告の営業拠点の社員に電話で話すようにお願いして電話機を手渡したところ、被告から毎月1万5000円宛の分割弁済する旨の申出がされた。しかし、長期分割は受諾困難である旨を回答するとともに短期での弁済を提案し、本日は弁済可能な2000円を従業員に弁済し、翌23日被告から原告に電話連絡することとなった。この電話による会話の時刻は、午後8時20分から25分ころである。 ウ 2000円の弁済のあった日の翌23日午後零時50分ころ、被告から原告にされた電話で、被告から1万円での長期分割弁済の申出がされた。これに対し、原告がこれを拒否して再度の検討をするように提案し、同月27日午後1時頃までに検討結果を原告に連絡することとなったが、その後被告から連絡がなく、また、原告からの連絡も取れなくなった。 第3 争点に対する判断 1 従業員が、平成24年2月22日被告方を訪問し2000円の支払を受けた事実は当事者間に争いがない。被告は、午後9時過ぎに従業員が突然訪れたので、動揺するとともに、当時被告宅には被告一人しかいなかったということもあって、払わなければ何をされるのではないかとの恐怖を感じ、手元にあった2000円を支払ったなどと主張するが、証拠(乙1、乙2、甲4、甲5。乙号証は書証としての提出行為はないが、弁論の全趣旨として考慮した。)及び弁論の全趣旨によると、従業員が訪問した時刻が9時過ぎとは認められず、また、被告を恐怖に陥れる言動があったとは認められない。他方、被告の履行遅滞後時効完成前における原告と被告間の交渉経過は明らかでなく、証拠(甲4、甲5)によると、時効完成後である平成23年11月から被告に対して頻繁に督促状を発送していること、平成24年2月22日に従業員が被告方を訪問し、2000円の弁済を受けた上で被告に対して早期返済計画を立てることを求めたことが認められる。そして、被告は、翌23日、電話にて1万円による分割弁済の提案(その詳細は不明)をしたが原告がこれを拒否し合意に至らなかったこと、その後は弁済に関する交渉が行われなかったことが認められる。 2 時効完成の事実を知っていることが弁済の要件とされていないから、債務者が時効完成の事実を知らずに弁済したとしても、弁済意思に錯誤が生じたとして錯誤無効となるとは認められない。 一般に消滅時効期間経過後、債務者が債務の全部又は一部を弁済したときは、債務者が時効完成の事実を知らなかったとしても、これにより、以後その債務について消滅時効を援用することは許されないと解するのが相当である。時効完成後に債務者が債務を承認することは、時効による債務消滅の主張と相容れない行為であり、債権者において、債務者がもはや時効の援用をしない趣旨であると考えるから、その後においては、債務者に時効の援用を認めないものと解するのが信義則に照らして相当であるし、このように解しても、永続した社会秩序の維持を目的とする時効制度の存在理由に反するものではないからである。そして、債権者が時効完成後に債務者に対して債務の弁済や承認を求めることは、その態様が相当である限り、債権者の権利行使として不当というわけではなく、また、時効が完成している事実を債務者に告げる義務もない。 もっとも、債務の承認によって時効援用権喪失の効果が生ずるのは、信義則に照らした判断であるから、債務者の行動が債務承認に該当するかどうか、該当するとしてもこれによって時効援用権を喪失したとする債権者の認識を保護するに値するかどうかについては、事案の内容、時効完成前の債権者と債務者との交渉経過、時効完成後に債務を承認したと認め得る事情の有無、その後の債務者の弁済状況等を総合し、債権者と債務者との間において、もはや債務者が時効を援用しないであろうと債権者が信頼することが相当であると認め得る状況が生じたかどうかによって判断することが相当であると解する。 これを本件についてみると、本件債権は、貸金業者である原告と一般消費者である被告との間の継続的貸付取引によって生じたものであるところ、上記認定した事実関係のもとでは、時効完成後の原告の行動は、被告が時効制度等について無知であること、一括払いの請求に対して多くの多重債務者が分割払いの申出をするとともに僅かな金銭を支払うことによりその場をしのごうとする心理状態になることを利用し、被告がこのような申出をした場合には、一括払いの請求を維持しつつも弁済方法について再考を促して分割弁済に応じてもらえるかもしれないとの期待を与えて申出に係る僅かな金銭を受領することにより一部弁済の実績を残すこと、その後被告に分割弁済の申出をさせることにより残債務の存在を承認したと評価できる実績を残すことを意図したものであると認められる。 そして、被告は、まさに原告の意図したとおりの反応を示し、従業員に2000円を支払うとともに分割弁済の申出をしたものである。そうすると、従業員の訪問時に被告が支払った2000円は、本件貸付金30万円に対する毎月の約定弁済金1万2000円と比較して6分の1の金額にすぎず債務の弁済としての実質をなしているとは認めがたいこと、その後全く弁済が行われていないこと、被告の分割弁済の申出に対して原告が当初から応ずる意思がなかったことなどの本件の事情に照らすと、被告が2000円の支払をしたこと及び1万円による分割弁済の申出をしたことは、多重債務者にありがちな対応であって、従業員の訪問請求に対する被告の反射的な反応の域を出るものではないと解される。 したがって、その後、分割弁済の合意ができないにしても被告がその申出どおり分割弁済を継続したなど弁済に向けて被告が積極的な対応をした事実が認められるような場合はともかく、被告の対応が上記認定した事実にとどまる本件においては、原告と被告間に、もはや被告において時効を援用しないと債権者が信頼することが相当であると認め得る状況が生じたとはいえないから、仮に原告において、もはや被告が時効を援用しないであろうと信頼したとしても、この信頼は、信義則上保護するに足りない。 3 以上によると、その後被告が時効を援用することが信義則上否定されることはなく、被告の時効の援用により本訴請求債権は消滅したことになる。 第4 まとめ よって、原告の請求は理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。 (裁判官 上田正俊) 【別紙】請求の原因《略》 計算書《略》 以上:4,809文字
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