令和 7年 5月27日(火):初稿 |
○毎日NHK朝ドラの前作「おむすび」は、観たり観なかったりでしたが、令和7年3月末から放映中の「あんぱん」は、毎日、熱心に観ており、その感想を既に、母子「別離のシーン」と「再開のシーン」2回このHPに書いていました。今回は、実母から事実上捨てられたやなせたかし氏をモデルとした嵩の父親代わりとして育ててくれた伯父寛氏の死の間際に発した言葉にホロリと涙が出てきました。 ○嵩が入学した美術専門学校の卒業制作に取り組んでいるときに、父親代わりの医師寛が突然倒れて、嵩の弟千尋から、「チチキトクシキュウカエレ」との電報が入ります。友人や担任教師から直ぐ帰るよう説得されますが、嵩は卒業制作の手を止めず、その完成まで帰りませんでした。嵩としては、立派な卒業制作を完成させなければ、折角、美術の道に進むことを認めて励ましてくれていた父親代わり寛に対し顔向けができないとの思いで、制作に打ち込んでいました。 ○徹夜で卒業制作に打ち込みようやく完成させると、直ぐに汽車に飛び乗り、御免与町に帰りますが、既に寛は亡くなっていました。弟千尋から、何故早く帰らなかったのかと責められ、嵩は、縁側にたたずみ一人、寛さんは早く帰らなかった自分を怒っているだろうな、ごめんなさい、ごめんなさいと亡くなった寛にわび続けます。ここに寛の妻が現れ、寛の死の間際の嵩に対する言葉を、寛本人の場面となって伝えます。「嵩は、卒業制作に打ち込んでいるときにワシが邪魔してどうする」から始まり、卒業制作を中途半端にして帰ってきたら殴ってやると、布団から手を出して殴る仕草をします。 ○寛は、これまでも、非の打ち所がない人格者としての言葉を残してきましたが、死の間際まで、父親代わりとして育ててきた嵩への思いが伝わり、これほど人間の情に溢れた人格者がいるだろうかと感激してホロリと涙が出てきました。妻の嵩への、寛さんと嵩さんの思いは全く同じで、寛さんは決して、早く帰らなかった嵩さんを怒ってなどいないとの言葉が心に染みました。 ********************************************* 「お父さんごめんなさい」やなせたかしが流した10年分の涙…「あんぱん」で竹野内豊が演じた"育ての父"の偉大さ WOMANPRESIDENT2025.5.27 ドラマ「あんぱん」(NHK)で描かれた主人公・嵩(北村匠海)の伯父・寛(竹野内豊)の死。嵩のモデルであるやなせたかしの自伝などを読んだライターの村瀬まりもさんは「家長が子どもの進路を決めることが多かった戦前の日本で、寛は子どもの自主性を尊重した、まさに理想の父親だった」という――。 (中略) 甥っ子たちを家に縛りつけず、自由に生きさせた 自身は家父長制の中できちんと責任を果たしつつも、甥の2人は家に縛りつけず、好きなことをさせる。毒親とは正反対のリベラルで、優しすぎる人だったのかもしれない。やなせも「田舎の開業医として激務に耐え」「五十歳の若さで天国に行ってしまったのです」と書いている(『人生なんて夢だけど』)。 自分を犠牲にしても他人のために尽くそうとした姿には、おなかがすいている人に自分の顔を食べさせるアンパンマンのイメージを重ねることもできる。 「あんぱん」では、寛が将来に悩む嵩に向かって「なんのためにこの世に生まれて、何をしながら生きるか」という、アニメ主題歌「アンパンマンのマーチ」の哲学的な歌詞(やなせたかし作詞)に通じる言葉をかけた。今後も、寛は嵩の心に大きな影響を与えた人物として、その存在は物語の中で生き続けていくだろう。 村瀬 まりも(むらせ・まりも) ライター 1995年、出版社に入社し、アイドル誌の編集部などで働く。フリーランスになってからも別名で芸能人のインタビューを多数手がけ、アイドル・俳優の写真集なども担当している。「リアルサウンド映画部」などに寄稿。 以上:1,597文字
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