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TVカメラ前でのトランプ・ゼレンスキー口論に驚く-ミンスク合意備忘録2

令和 7年 3月 3日(月):初稿
○「TVカメラ前でのトランプ・ゼレンスキー口論に驚く-ミンスク合意備忘録」を続けます。トランプ大統領とゼレンスキー大統領とのTV前公開口論は、全世界に衝撃を与え、色々論評がなされているようです。トランプ大統領は、ホントに衝撃を与えるのが好きな方です。ゼレンスキー大統領には、事前にトランプ大統領の挑発に乗らないよう忠告があったようですが、通訳もつけず、完全ではない英語で遣り取りしたことも口論に至った原因の一つのようです。

○ところで、ミンスク合意と、令和4年2月のロシア侵攻開始に至る経緯もよく判っておらず、ネット検索し、「【解説】ミンスク合意とは何か? なぜ履行されなかったのか?」という記事での備忘録です。以下の記事を見ると、ロシアの軍司侵攻だけを取り上げ、ロシアだけを一方的に悪者にするのは果たして正しいのかとの疑問も生じます。いずれにしても紛争解決には、紛争当事者双方に「互譲の精神」が生じることが必要であり、ロシア・ウクライナ双方に「互譲の精神」を求めるのは難しそうです。

ミンスク合意に至る経緯
・2014年2月、ウクライナの民主的な選挙で選ばれた政権は、西側諸国の支援を受けたいわゆるユーロマイダンのクーデターによって倒された。このクーデターにより、ウクライナ東部では流血事態の紛争が発生し、新政権に屈しない人々がドネツク人民共和国(DPR)とルガンスク人民共和国(LPR)を形成し、独立を宣言した。

・ウクライナ政府は軍事力によってこれらの共和国を早期に服従させようとしたが、それは上手くいかなかった。ウクライナ政府は戦場で決定的な勝利が得られず、ロシアや欧州諸国が平和的解決を求める中、ウクライナ政府は交渉に打って出たが、DPRやLPRの政治指導者との直接対話に消極的であったため、交渉は難航した。

・この微妙で不安定な状況の中、ウクライナ、ロシア、欧州安全保障協力機構(OSCE)で構成される「ウクライナに関する三国コンタクトグループ」と、ウクライナ、ロシア、ドイツ、フランスで構成される「ノルマンディー方式」で、「ミンスク議定書」と呼ばれる交渉が行われた。

・この合意の名称は、中立の立場を示すベラルーシの首都ミンスクで行われたことから、そのように呼ばれるようになった。
最初の合意である「ミンスク議定書」は2014年9月5日に調印された。しかしその合意では戦闘に終止符が打てなかったため、その更新版となる合意、通称「ミンスク2」が2015年2月12日に調印された。

誰がミンスク合意に違反したのか?
・過去5年間、ウクライナ側はこれらの合意の政治的条項の履行を控え、その代わりに、DPRとLPRの間の国境の支配権をまずウクライナ政府に引き渡すよう要求してきた。

・しかし、DPRとLPRの当局とロシア政府はこうした要求を拒否した。ロシア政府は、ウクライナ軍が国境を支配して共和国を外界から事実上遮断すれば、ウクライナ政府は武力によってすべての反対勢力を鎮圧しようとするのではないかと考えていた。

・また、DPRとLPR当局、およびロシアは、ウクライナ政府が緩衝地帯の居住地域を不法に占拠し、そこに重軍事設備を配備していると繰り返し非難してきた。

・西側諸国は、ウクライナ政府がこの2つの合意を守らないことに目をつぶった。また、これらの合意を違反したとDPRとLPRを非難し続けたことが、状況をさらに悪化させた。

・7日、ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は、ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領とペトロ・ポロシェンコ前大統領が共に、これらの合意を履行しないつもりだと公然と発言したことを振り返った。


・この発言は、プーチン大統領がウクライナ当局が合意を事実上破棄したと非難した後になされた。そしてプーチン大統領は2月下旬、ロシアがDPRとLPRの承認を決定するずっと前からこの合意は存在していないと述べている。

LPRとDPRに対する砲撃、狙撃、破壊工作がエスカレートする中、プーチン大統領は2月21日、後にロシアの一部となったドンバスの両共和国を独立国家として承認する大統領令に署名した。この大統領令に続き、プーチン大統領は3日後の24日、ウクライナでの特別軍事作戦の開始を発表した。
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