○令和3年2月4日午前高松地裁係属訴訟証拠調べ終了後、滞在先ホテルから高松市内をブラブラしていましたが、ホテルから徒歩数分のところに高松城別名玉藻城があり、訪問しました。香川県の高松城は、秀吉の水攻めで有名な備中高松城ではありません。こちらは、「岡山市北区高松に所在する備中高松城跡(国史跡)は、足守川左岸に広がる平野部に立地します」と説明されています。香川県高松城は讃岐高松城とも呼ばれています。
○讃岐高松城は、「豊臣秀吉の四国制圧の後、1587年(天正15年)讃岐1国の領主となった生駒親正によって、「野原」と呼ばれた港町に築かれた。現在見られる遺構は、江戸初期に徳川光圀の兄で常陸国から12万石で高松に移封された松平頼重によって改修されたものである。」と解説されています。
以下、写真です。
1.史跡高松城跡玉藻公園の看板があり、入場料200円支払ましたが、あとで入場受付に65歳以上無料表示に気づき、65歳未満に見られたとして納得しました
2.江戸時代20万坪が8万坪に減っているそうですが、至る所に工事中看板がありました
3.三方、海に囲まれた日本三大水城の一つとのことです
4.一面松林が広がっていますが、中央に昭和天皇・皇后のお手植え松がありました
5月見櫓・渡櫓、重要文化財とのことです
6.水手御門の看板があります
7.鞘橋から天守閣跡へ、途中の石垣の石が大小様々で、如何にも昔の石垣と感じました
8.鞘橋から望むお堀、天守台跡を目指します、不揃いの石段に注意
9.天守台跡に上りました、堀で囲まれています
10.天守台を下ります、彼方此方工事中でした
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