平成30年10月 2日(火):初稿 |
○「池上彰の世界を知る学校”紹介-ソ連からロシアへ2」の続きの備忘録です。 ・ソ連の崩壊 1985年3月ミハイル・ゴルバチョフ(54歳)が共産党書記長に就任 ペレストロイカ(立て直し)-節酒キャンペーンでウォッカ生産減らし値上げし店頭から消えるとソ連中の店から砂糖が消え、砂糖買い占めでウォッカ密造、メチルアルコール飲用事故発生→ペレストロイカは完全に失敗 グラスノスチ(情報公開)-「報道の自由」認め情報公開した結果、国民に自国の状況が如何に酷いかとの絶望感を与えただけ 新思考外交(東西冷戦の停止)-核兵器開発減少、アフガニスタンからの撤退、東欧諸国民主化運動弾圧停止→1980年東西ドイツ統一を経て「東西冷戦」終結に繋がる 1991年ゴルバチョフ改革に対する保守派クーデターでゴルバチョフは軟禁、これをロシア共和国大統領エリツィンが救い、ソビエト共産党活動禁止令を出し、同年12月ロシア・ウクライナ・ベラルーシソ連脱退、→ゴルバチョフ辞任でソ連は事実上崩壊、 ・プーチン少年の心に刻まれたこと 1991年ロシア連邦がソ連の後継国家となり対外交渉などを担うが、現在までトップはエリツィン・プーチン・メドベージェフの3人だけ プーチンは1952年レニングラード(サンクトペテルブルク、帝政ロシア時代の首都)生まれ レニングラードは第二次世界大戦時ドイツ軍に包囲・占領され餓死者・病死者多数でプーチン実兄も死亡、プーチンは子供時代から両親にその話を聞かされ「国が強くなければ市民は悲惨な生活を強いられる」ことを心に刻む プーチンはKGB(国家保安委員会)に憧れる。KGBとは1954年~1991年ソ連崩壊まで存在したスパイ組織で世界で有数の危険な組織、失敗したがローマ法王暗殺まで企てた プーチンはKGBのスパイとして東ドイツに派遣されているうちに東ドイツ崩壊後サンクトペテルブルク副市長、エリツィン部下で活躍し、エリツィン後継者にとなる ・プーチンはなぜ人気があるのか ソ連を崩壊させたゴルバチョフ・エリツィンは不人気、その理由は、その時代は石油・天然ガスの値段が安く国家財政が窮乏し、国民生活を豊かにしなかったから。 2000年プーチン大統領誕生時から石油・天然ガスの値段が急騰、国家財政に余裕ができ、国民生活が少しずつ豊かになったので、プーチンのお陰と国民が誤解してプーチン人気が高まる、しかしこの事実はロシアでは報道されない エリツィンのロシア連邦は資本主義国として「言論の自由」、「表現の自由」が認められたはずだが、プーチン大統領時代になると事実上制限される プーチン政権は「言論の自由」、「表現の自由」は認めるが、「プーチン政権を批判してもいい。その代わり、命の保証はないよ」となった。 多くのロシア国民はプーチン批判報道を見たことがなく、プーチンのお陰でロシアが立ち直ったと信じて、プーチンの支持率が非常に高いまま 2014年ウクライナのクリミア半島侵攻・併合、プーチンの「ソ連の栄光を再び」の思いから。ロシア国内にはこれを止める存在はない。 以上:1,258文字
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